娘②のなまえの話

私が産んだ3人の子どもの末っ子、娘②の先天性心臓疾患の全容が明かされたのは、妊娠30週目の時の胎児エコーの時だった。

その時、説明に立ち会って下さったコロボックル的可愛らしさのある新生児科医のドクター(男)が

「単心室症と言って、本来2つあるはずの心室が一つしかありません」
「肺動脈が閉鎖というか狭窄しています」
「それから…」
「あとは…」

とても静かに、この先生は優しい口調が行き過ぎてすごく声が小さいのだが、説明してくれて

もういいです、おなか一杯です。

あと出来たら板書してください先生。

理科生物から遠く離れて錆びついた私の頭は、更に聞きなれない疾患名の羅列に混乱して全然全く先生の説明について行けず困惑したものだったが

白い病院の面談室で、当時主治医だった産科医の先生同席の元、そのコロボックルもとい新生児科医の先生からそんな山盛りの聞きなれない疾患名を矢継ぎ早に告げられた私はその日その時、その言葉の一言一句を聞き漏らさないように神経を張り詰めながら私は

これから一体どうしたらいいのか

この子は生きて産まれてくるのか

産まれてきたその後私は何をしたら良いのか

完治もしないらしい疾患のこの子とどう生きていったらいいのか

様々な事象が脳内を目まぐるしく駆け回り、妊婦である事も手伝って貧血を起こしそうになったが

気合いでそれを押しとどめ

まずは、医師が説明しているこの難解な心臓疾患を理解したいと思い、

そして、少し置いてその次に

何故、こんな事が私の、そしてお腹の娘の人生に起きたのかその『意味』を知りたいと思った。

誕生の後の前途多難を約束されて産まれてくるってどういう事なのか


生きるのに不足だらけの命で産まれてくるとはどういう事なのか


そしてそれがどうしてウチの子なのか

こんな運命というか神様に突然マウントでタコ殴りされるような事が無為に無作為に起こっていいのかそれは正しいのか

そしてそれは一体何故なのか

兎に角、意味を知りたいと思った。

こんな意味なくぶん殴られるような目に私はまだしも無辜の私の娘が合わないといけないのだろう。

法治国家やぞここは。

弁護士を呼べ。

あの日あの時私は、そう病気や障害にやさしくない世の中にそこそこ重い疾患のある子どもを産む母親としてその未来を恐れつつ、同時に嘆きつつ、かつ混乱し

そしてひどく怒っていたのだと思う。

情緒不安定。

だってそれ酷くない、先生。

混乱した私は、この日の帰り、諸事情で帯同していたおなかの子の姉である娘①と病院の中にあるドトールでミルクレープを1人で、2個。食べた、娘①にも1個、なんならお代わりしていいよと言って、オレンジジュースも頼んだ。

私は始末な人間で、平たく言うと貧乏性で、普段そうそうお店でケーキやジュースを子どもに食べさせたりすることがないので

一緒に居た娘①はこの母親の突然の大盤振る舞いにとても喜んで、フォークでミルクレープの先端を慎重に突きつつ、にこにこと

「おはなし、ながかったねぇ」
「ケーキおいしいねえ」
「赤ちゃんいたね!」
「赤ちゃん病気なの?」
「クリスマスの前に産まれるんだよね」

機嫌よく盛んに話かけてくれたが、私は上の空で逆に娘①に

「どうして病気でうまれてくるのかなあ」

ぼんやりと独り言のような質問を返していた。

6歳児に何を聞くねん私は。

しかしそれに対して娘①はミルクレープをせっせと掘っていた手を止めて

結構、真剣に考えて

しかる後

大真面目にこう答えた

「かみさまにきいてみたらいいんじゃない?」

娘①はこの当時、カトリック教会に併設されている幼稚園に通っていて、そしてその園のマリア組さんで、全能の父なる神とか聖霊とかイエス様とかそういうものを、復活とか奇跡を信じていた。

今はどうだろうか。

それで母親の漠然とした質問に

わからないことはかみさまにきいてみて?

そう答えてくれたのだった。

それなら聞こうじゃないですか。

その日から私は小児の心臓病についての入門書を、一日中せっせとそれこそ食事をしながらも読んだ。

何かを読んで、それを頭で咀嚼していないと、哀しいことばかりが頭を巡って辛かった。

それに何しろドクター、それも大学病院の専門医というものはこちらに疾患の基礎知識がある事を前提にして話をしてくるのだから、母親としては予習万全で備えなくてはいけない。

生物とはご縁が切れたと思っていたというのになんてこと。

食事中の読書はご法度として息子娘①にはきつく戒めていたが致し方なし。

子ども達はそれに習って天下御免で食事中にコロコロコミックやドラえもんを読むようになり、躾もなにもあったもんじゃないが、なりふり構わないとはこの事だ。

そしてそれと並行して、学生時代の宗教哲学諸々の書籍を子ども達の大好きな『ドラえもん』の並んでいる本棚の奥から発掘しては、今度は布団の中でせっせと読んだ。

エーリッヒフロム、ヘーゲル、カント、フランクル、新共同訳聖書...なんでだか五輪書まであったが、宮本武蔵に何を聞きたかったのか私は。

あとドイツ哲学関係は私には難解すぎて胎教に悪かった。

洋の東西を問わず、哲学宗教これは学生時代の杵柄だけれど、手の届く範囲の神様っぽい関係ものを紐解いてみたが、

お腹の子の病気の『意味』はその時の私には皆目見つけられなかった。

読み手の読解力に関してのお問い合わせと疑問はこの場合一切受け付けておりません。

強いてあげるなら、フランクル先生の

『私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っている、人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているのだから』

「貴方の今の苦悩の答えと意味は自分で見つけなさい」

というものくらいだろうか。

1905年生まれの精神科医、超厳しい。

わからないから聞いているというのに。

そして、もう一つ、近年帰天されたあるシスターのエッセイの中にあった詩が目に留まった。

それはニューヨークのリハビリテーション病院の壁にある詩で

作者は不明だと言う。


『大事を成そうとして、
力を与えてほしいと神に求めたのに、
慎み深く、従順であるようにと
弱さを授かった。

より偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた。

幸せになろうとして
富を求めたのに、
賢明であるようにと
貧困を授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして、
権力を求めたのに、
神の前にひざまずくようにと
弱さを授かった。

人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるように
命を授かった。

求めたものは一つとして
与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた。

私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されたのだ。』

これは多分聖書の、新約聖書の冒頭マタイ福音書の「山上の説教」と呼ばれる5章1節から11節のオマージュだと思う。

私はそう感じた。

イエスが山に登り『幸い』について群衆に述べるあの「貧しきものは幸いなり」で始まる有名なあの聖書の一説。

『心の貧しい人は、幸いである
悲しむ人々は、幸いである
柔和な人々は、幸いである』

柔和な人々が幸いであるのはわかるが、心が貧しい人と悲しむ人はなにがどう幸いなんだろう。

そして先の詩の中の『よきこと』って何だろう、その為に『病弱』が与えられた事を、この詩の作者はどうしてそんな運命を承服できたんだろうか。

その立場に立つ人が苦痛とか懊悩とか悲しみの末にたどり着ける悟りの境地みたいなものなんだろうか。

結局、人生に降りかかる数多の理不尽な艱難辛苦の意味は自分で見つける以外にないのか。

アレか、ニルヴァーナか。

宗教が変わっとるがな。

自らの困難と艱難と理不尽な運命の中に幸せとか意味を見つけるというのは相当な胆力と成熟を必要とする行為なのでは。

常人にはきっと相当難しい。

そんなことできるだろうか。

産まれたときから約束された万難を排してそこに幸せや救いを実感する事が。

私の娘はそんな風になれるんだろうか。

結局、娘②を産むその時まで私はその『意味』も『答え』も皆目見つけられないまま

39週と1日目、娘は生きて産声を上げた。

あの時見つけたあの詩は、あの時かなり混乱して世を儚んでかつひねくれていた私の胸中に長く残って、そして娘②が産まれたその日も私の記憶メモリに残されていた。

娘②が産まれて暫くしてから、知り合った娘②と同じような疾患や障害のある子達の名前には

「生」とか「愛」とか「希」とか「翼」とかそのような文字がよく使われている。

その子の親がその少し重い荷物を持って生まれた我が子の人生に持たせてあげたいと願ったものが詰まっている

そんな名前がとても多い。

皆、とてもうつくしい名前だと思う。

それはその子への祈りだから。

娘②の名前も。

私は娘②の名前を、彼女を産んだあと暫く出血が酷いからと留め置かれた分娩室の分娩台の上で決めた。

私は娘②が産まれるその日まで、やれ産後の入院の準備だ、上の二人の子の世話だと忙しくて、肝心な事を考える事をすっかり忘れていた。

3番目、超可哀想。

それで、長考を許された、というか何もする事がなかったあの分娩台の上での時間に名前を決めた。

その時、あの詩とそれに出会った時に考えた事を何故かよく覚えていた私は、名前に山上の説教からの取った一字を入れた。

『心の貧しい人は、幸いである
悲しむ人々は、幸いである
柔和な人々は、幸いである』

『さいわいである。』

その逆説的な、ともすれば自虐的な、それが私が見つけた『答え』のようなものかも知れない。

病を得て産まれた娘②には

いずれ成長した時に病を得て産まれた事を幸せに変える強さを持っていて欲しい。

その不思議な形の心臓を持って生まれた事の意味を自分で見つけて欲しい。

そうして自身が祝福された人間だと思える人生を送ってほしい。

それが、娘②の母親である私の娘②への祈りだ。

それを忘れないようにしたい。

いつか娘②に話してあげるために。

私は、そんな名前をその時もうすでにNICUに搬送されていた娘②に産まれて最初の贈り物として渡した。

あの子が幸せになるために。


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