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おやすみ日記(1月27日~29日)

1月27日(木) 

5歳から11歳の子ども達のワクチン接種が遅々として進まないままに、長らく足踏みしたことが今の結果を生んでいるのなら、担当者出てこいという話になるのではないかねと今朝

「だって、俺んとこの中学校はいっこも学級閉鎖なんかしてへんで」

など12歳の息子が言うのを、まあそうかもねえと聞く。しかし息子の中学校というのは地域の小学校3つを合わせた割に大きい学校であるのでそのへんは眉唾ものだ。

その上12歳は来月だか再来月だかにやっと5歳から11歳のワクチン接種が日本で実施されても、うちの4歳はとりこぼされてしまうのだから、それやと意味が無いやないかと言い大変に真面目な顔をして妹の4歳に

「おい、オマエは5歳や、4歳ちゃうぞ」

あからさまな嘘を仕込んでいた。

「ワクチン接種は年齢自己申告ちゃうんやで、接種券もないし、そんなん言うても即バレよ」

私は笑ったけれど、何しろこの12歳の少年にとって4歳は生まれてこの方、何度も本気で死にかけている妹なもので、その点、兄としてはちょっと気が気ではないのだろう。


4歳をずっと家に置いておくととにかく碌な事をしない。

休校日間が今日からまた3日間延長された10歳が授業を受けている自室に侵入してタブレット画面の隙間に乱入、画面の向こうの4年生のお友達と担任のセンセイに手を振って、それに気づいた私があわてて部屋から連れ出すと今度は台所に侵入して鍋とボウルを奪取して遁走、鍋をお玉で打ち鳴らしながらまた10歳の授業に乱入しに行く。

アンタには自分タブレットがあるでしょうと、娘専用の『ブン投げても壊れない』お子様用タブレットをホイと手渡しても、こんなものはつまらないとそれをブン投げて怒る。10歳が画面を通して誰かと話をしているのが羨ましいのだ。

「あれはお勉強なんやで…」

私が力無くそう言っても、4歳にはそんな事はわからない。仕方なく特に用事も無いけれど近くのドラッグストアまでお散歩。枯れ薄が頭を垂れる自宅前の広場には同じように幼稚園か保育園か、そういうものが休園で自宅で退屈を極めた末に屋外に飛び出て来た子ども達がシャボン玉を飛ばし地面に生えた枯草を一心にむしっている。

その傍らには私よりずっと若い、放心した表情のママ。

ドラッグストアで安売りのトイレットペーパーとヤクルトとハッピーターンを買ってもとの道をまた引き返す。お徳用12ロールと雑誌のおまけのエコバッグと4歳児。この上ない位に主婦。化粧もしていないし髪の毛はニットの帽子で誤魔化していているけど朝から碌に櫛も通していない、名実ともにくたくた。

でもこの様を誰かに見られたら恥ずかしいかと聞かれたら、そういうのはあまりないのが43歳。

『トイレットペーパーを提げている己を誰に見られても恥ずかしくなくなってからが人生』

そんな謎のコピーを思いついて帰宅する。

この日のお昼はまたお弁当。10歳の赤くて大きなアルミのお弁当箱と、4歳の無印良品の小さなアルミのお弁当箱に、昨晩のおかずの残り物、コロッケだとかキャベツのおかか醤油いためなんかを詰めたもの。昨日はキャベツ?いらないなんて残していた癖に2人とも目先が変わるとよく食べる。

4歳はここ数日、夕方のお風呂の時間になると

「ねぇねといっしょにはいる!」

母の私に今日は遠慮せいなどと言いだすようになった。

めんどうだな、もう。

とりあえず10歳と4歳を先にお風呂に入れて、2人が湯舟で遊び始めたところでスッと隠密のようにして私が風呂場に忍び込むという案配でやりすごしている。4歳は頭の上からお湯を掛けられるのを酷く嫌がる子で、今でも横抱きで頭を洗い、その時にちょっとでも顔に水がかかると泣いて怒る。

それでいくら10歳が「あたしがやってあげる」と言ってくれても残念ながらこれは任せられない。10歳では4歳を横抱きにして座るということができないのだ。4歳は怒ると人を平手で打つし。そのへんを何とかするためにこの日、Amazonからシャンプーハットがやって来た。

しかしこれを激オシャレな帽子と認識した4歳は、大切なオシャレ帽子を「濡れるから」とお風呂には持ち込むことなく、お部屋でこれをかぶって楽しそうに過ごし、10歳と12歳はそれを見て大笑いしていた。

穏やかでいつもの騒がしい夕暮れ時。

この日の大阪の感染者数9711人。


1月28日(金)

『つい数時間前までの風景が突然に姿を変えてしまうのが人生で、幼児もまた同じ』

というのは、どこかの偉人の言葉ではなくて、市井の主婦である私の言葉。

あまりにも元気の良い4歳を家に1日留め置いておくと、ホントにロクなことにならない。

最近工作に凝っている4歳の手によって廊下には折り紙を細かくハサミで切った紙片が撒かれ、水のりは丹念に壁に塗布される。セロハンテープは置いた側から使われ消えるのでもう買うのを止めた。

そんなことであるので自転車でウチから一番近くの小さなスーパーに行って卵や牛乳やパンなんかの、日々家から消えていく類の食品をいくつか買ってそれをお散歩の代わりにしましょうと、ピンクのダウンを着せた4歳と一緒に出かけたのはお店の混まない午前中のこと。

そして家に帰ればもうお昼、4歳の好きな天かす入りのうどんを作ったのに、4歳はそれをひとつも口にしないでソファにころりと横になったまま、こちらがどんなに

「ねえご飯だよ、4歳の好きなうどんだよ」

と呼びかけても

「ねむいの」

と言って毛布にくるまるばかり。なんだか嫌な予感がして体温計を4歳の腋下に突っ込んだらばハイ出ました37.7℃でハイ発熱。

普段なら風邪の予感がして熱発を認めて次の瞬間には即、病院に駆け込むのが定石である心臓疾患児も、いまこの時期ばかりは少しの熱では安直に病院に連れて行くことができない。クリニックに行けばまず抗原検査が待っているし、大学病院なら発熱外来に回される。検査を待つのは病院の外だ、みんな車の中で順番を待っている。そして私は車を運転できない。

「今度こそ万難を排して免許を取るんだ」と1000回目の決意を固める。

しかし今スグ免許は取れないし、無免許で運転を目論もうにも私は車のエンジンのかけ方すらわからない。

4歳自身は水分は取れているし、とんでもない高熱と言う訳でもない、尿も出ている、バイタルも平常通り、コロナの可能性は勿論捨てきれないけれど、とりあえず1日様子を見よう。

それで今日どうしても不安な状況になったら契約している訪問看護ステーションに電話をして指示を仰ごう。こんな状況でさえなければ緊急時には電話ひとつで来てもらえる頼もしい看護師さんも、今は発熱時に「来てください!」とは呼べなくなってしまった。4歳の全てを母親の私がひとりで守るのだと思うと、このちいさい人の命の責任を今自分の双肩にすべて背負っているのだと思うと、それどういう状況よと、腹立たしくも暗澹とした気持ちになる。

私は、一体いつから医者になったのだ。

夕方になってもおやつに目もくれずにうとうとと眠ったり覚醒したりを繰り返す4歳の傍らには10歳がマスクをつけて張り付いている。17時すぎ、12歳が学校から帰宅して

「え、また熱?」

そう叫んだ。この4歳はつい先週の土日にも熱を出してひと騒ぎ起こしているのだ。

そうだよまた熱だよ。

とりあえず頼みの12歳が帰宅したので、4歳を2人の兄と姉に託して日がとっぷりと暮れる前に一番近所のコンビニに4歳の食べられそうなものを買いに行く。コンビニまでは自転車で行って帰って約10分。

9歳学年上の兄と6歳学年上の姉。意図してそうしたつもりはないのだけれど、3人目の4歳に年の離れた兄と姉があることは幸運だったと思う。この4歳を生む時は何しろ自分が39歳だったもので

「成人する時は還暦直前か、これは先が思いやられるな」

とは思ったものの、今のところは結果オーライだ。年子3人兄弟という人を知っているけれど、それだと私の場合は実家も遠いし夫は全然早く帰ってこないし我が身は更年期直前だし、きっと確実に詰んでいた。

コンビニでいつもなら定価で絶対買わないハーゲンダッツのマルチパック、ストロベリーにバニラにクッキーアンドクリームの王道中の王道と、プッチンプリンと、雪見大福とポカリスエットを買って急いで自宅の四角い集合住宅を目指す。普段夕暮れ時に外に殆ど出ないもので、この時間の冬のしんとした冷たい空気とか、夕暮れが夜空に変わる直前の空の色に少しはっとする。

レジを待つ間にちらりと見たTwitterで、隣の隣の県に住むお友達の娘さんが高熱を出していると知る。その子は4歳よりもずっと年上で、しかし4歳と同じような心臓の持ち主で、4歳よりももう少し体が弱い。

イヤだなあ、心配だねえ。

そう思いながら帰り着いた自宅のエレベーターにはマクドナルドのポテトの香り。金曜の18時、きっと仕事帰りに保育園から学童からお子さんをピックアップした満身創痍くたくたのママが「夕飯とかもう今日は作ってられへんねん」と思って買ってきたのだろうな。どこの家のどこのお母さんもお父さんも子どものない人たちも若者もみんな必死に頑張っているのに世間のこのざまよ。

この日の大阪の感染者数10013人。

もうだめかもしれない、うちの子だけが無傷という訳にはいかないのかもしれない。

そんなことを少しだけ考える。

1月29日(土) 

朝、起きると4歳の熱は平熱に戻っていた。

とは言え、4歳が起きてそして私にも起きろと言ったのは朝4時のことなので、これは平常運転に戻ったとは全く言えないのであって、大体この4歳は体調の悪い時には妙に早起きをして午前中に昼寝をする。

熱が下がっているのならひとまず病院は見合わせるのが正解なのかな、ややお腹がゆるいところを見ると、前回の胃腸風邪をぶり返したのかもしれない、それならそれで病院でちゃんと診てもらいたいのだけれど。

そもそも重度に分類される心臓疾患児なのに、風邪と下痢を本人の自然治癒力に丸投げしていいものだろうか。でも主治医からは、今は迂闊にクリニックには近づかん方がええとクギを刺されているのだし。

思い悩んだあげく、早朝の我が家の台所には、ビオフェルミンを乳鉢で砕く女が現れた。仕方ないので子ども飲める整腸剤を砕いて水に溶かして与えることにしたのだ。医療機関の逼迫って、こういう状況もその影響と言えるのだろうか。

こうやって、徐々にひとつひとつが門戸を閉じて行くようにして医療機関がその扉を閉めていくとうちの4歳のような子はどうなるのだろう。

去年の5月、大阪大学の医学部付属病院のICUがコロナ専用になって、一般の患者の受け入れを停止した時も感じたことだけど、うちの4歳のように毎日の薬、24時間使用しなくてはならない医療機器、毎月の定期的なチエック、そういうものの必要な、普通より生存にコストのかかる子どもは有事にはトリアージが黒になる。そういう風に世界は出来ているのだ。大げさでなくそうなのだ。

コロナの時代がやってきて私はそういう不穏な事をよく考えるようになった。こういう嫌な、そして大きなうねりを、個人では一体どうやって抗っていけば良いのだろう。

無理なのかな。

しかしトリアージが何だろうとそれが何色だろうと4歳の精神は鋼のように強い。何しろ4歳はひとより脆弱な身体と特殊な循環機能を持つがために、生まれてこの方小児循環器医療と共に歩んできたプロの病児だ。

「きょうはかぜだからねとく」

と言って、朝食をほんのひと匙お味噌汁を舐めて終わらせた後に、ソファの父親にどいてと言ってそこを陣取り、私が体温を測りイタルを計測して

「なんかえらい徐脈じゃない?ねえ大丈夫?生きてる?」

など聞けば

「かぜだから、ねむいから」

と言う。確かにこの子は眠たい時に脈拍ががくんと落ちる。しかし己が体についてあまりにも冷静すぎないか、すげえな4歳、そしてそのまま赤ちゃん毛布にくるまってうとうとと眠り、お昼までを過ごしていた。

4歳がこの状態だと私もちょっと台所用洗剤を買いにそこのドラッグストアまでと言う訳にはいかないし、お昼はありもののカレーにして4歳は箱買いしてある半田麺。

10歳と12歳は妹が仰臥して静かにしている姿にそこまで狼狽することがない。普段からもの酷く気が強くてヤンチャである反面、病気のために年相応の体力というものが無くて、少し疲れるとソファに転がって充電というのかな、大人しく体力を貯めている姿を見慣れているのだ。

きっとすぐに良くなるよね。

2人にはそういう空気が流れている。病児を妹に持つきょうだいはこの4年で病気にすっかり慣れてしまっている。若さゆえの高い順応性か。思えばこのポストコロナの時代に何よりも誰よりも早く順応しているのはこの小学生と中学生の子どもたちなのかもしれない。

そして4歳は1歳の後半からコロナの時代に生きているので、もうネイティブコロナ世代と言っていい。物心ついた時にはそれはもうそこにあったのだ。

ここでは、親だけが以前の時代を最後まであきらめきれていない。

結局4歳はこの日、お昼のうどんを寝ながら横向きで食べた。寝ながらのご飯は喉に詰めそうとかお行儀が…なんて言うのが普通なのかもしれないけれど、何しろこの4歳はプロの病児であるので、術後の長期入院中にはいつも寝ながら食事をしていた、麺類だってお手のものだ。

私だって仰臥位、側臥位での食事介助にはすっかり慣れっこになった。

「食べられるのなら、回復します」

子どもは、食べることさえできれば回復するものです。それ去年の春、この子と13時間の長丁場を手術室で共に戦った小児循環器医の先生の言葉だ。1年近く前のひとことが、いまこの状況で患児の親を支えることもあるのだから、医師というのは凄い仕事だなあとしみじみ思う。

食べているんだから、明日にはきっとすっかり元気になるだろう。

夕方

「あしたたべるからマピンやいて」

と4歳が言うので、何よマピンてと聞いたらそれはマフィンの事で、食べるのならばと腕まくりをして干し柿をドライフルーツがわりに入れたものと、アーモンドチョコを砕いて入れたのを2種類を10歳と一緒に焼いてやった。

12歳はというと昼過ぎ「友達と公園で遊ぶねん」と言って外に飛び出して行った。中学生の男の子って何をして遊ぶものかと思って聞いたら、オニゴッコとポケモンのカードゲームだそうで、それってウチの12歳が幼いだけなのか、中学生って大体はそういうものなのか。

自分もかつては中学生だったはずなのに、その頃友達と何かをして遊んだという記憶がぜんぜん存在しないのは、もしかして友達がいなかったからだろうかとか、そういうの今、お母さんはあまり考えたくないな。

4歳は病院もいかず、夜には解熱剤も抗生剤もない自宅で体調をほぼ自力回復させた。

小学校からはついさっき『月曜からクラス再開のお知らせ』のメールが来た。

この日の大阪の感染者数10383人。

大丈夫、うちの4歳は強い。


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