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うれいなくたのしく生きよ、娘たち

美しく生まれたかったと思いながら、賢く生まれたかったと思いながら、街をあるいてひとから振り返られて見惚れられるような経験も、東京大学を最終学歴として履歴書に書けるような人生も持ち合わせていない私は

「エマ・ワトソンに産まれていれば…」

なんてことおばさんになった今も時折思わなくもないのですけれど、しかしおばさんであるからこそ美貌と聡明、そのふたつを持ち合わせていることが果たして女の子の幸福にそのまま直列繋ぎとなっているかどうかはちょっとわからないとも思うのです。


これは昔々、まだ私が京都で大学生をしていた頃の話。

京都は今も昔も学生の多い街で、街は学生をひとつの都市機能として飲み込んでいて、それだからそこに暮す学生は単位を落としてもアルバイトにはこと欠くことがない街です。例えば私が定期で働いていたホテルの宴会場なんかもそう。そこは春や秋の季節の良い時は本当に大学に行っている暇のないほど忙しいのですけれど、真夏の灼熱の時期にパーティや宴会というのはごく少なく、結果とても暇で、それだから代わりに鞍馬の山奥にええ仕事があるから行ってこいとバイトの元締めのおっちゃんに言われて鞍馬の山奥で働いていたのは3回生の夏のこと。私はそこで舶来のピアノの上に鎮座するフランス人形のような女の子に出会いました。

その子は私よりひとつ年下の当時大学2回生、びっくりするくらい肌理の細かい白い肌に、大きな瞳とそれを縁取る睫毛が白い頬に長い影を落とす、大柄な私よりも頭一つ小さな体にほっそりとした手足の子で、実はモデルとかアイドルのお仕事をしていますと言われても

「そうでしょうねえ…」

と、ため息とともに深く同意したくなるような子でした。しかも在籍していたのは京都大学であるという完璧さ。

私は当時京都は上京区の私立大学に通っていましたが、友人は同じ大学の子か近くの同じようなのんびりとした私大の子ばかりで、京都の東側、百万遍の通りに見える謎の立て看板の数々が圧倒的な存在感を放つ、変人と天才を量産することにかけては日本一(あくまで私見)の京都大学に在籍している女の子に、私はこの時人生で初めて会いました。

私はその子が森に迷い込んだ白雪姫のように美しく、かつとびきり賢いという事実を目の前にして、感嘆というか驚嘆というか、そういう感情をいだきつつも、その子と「すごいね何学部なん?」とか「頭がいいんやねえ」という会話をすることがなかったのは、そこが観光客に溢れる夏の川床のお運びのアルバイトの現場で、それは朝から晩まで地獄のように忙しくて、私達派遣のアルバイトはトイレに行く暇もなく、ひたすら折敷に料理を乗せて厨房から川床を往復するだけの生きた駒だったからです。

「無駄口を叩くな」

そういう空気を全身に纏って周囲ににらみを利かせているババ…ではなくて女将さんの厳しい監視の中、私たちはお喋りをする暇も隙もなく機械のようにくるくると料理を運ばなくてはいけなくて、祇園祭も送り火も琵琶湖の花火大会もそれは一体どこの国の話やら、ひたすら八寸や椀物や向附けのお皿と漆器を運んでいました。

でも、年の近い娘達はその仕事の行き帰り、なんとなく仲良くなり、なんとなく他愛もない会話をするようになり

「酔っ払いおっちゃんが張り付いてくるのんがなあ…もう」
「中居頭のババアが恐ろしすぎる、世界中の全部が憎いのかあれは」
「ホラあれよ、何やったっけ…あの働けへんでもお金がもらえるやつ、うちアレが欲しい」
「不労所得?」
「それよ」

娘達はその日おきた諸々に憤慨し、時折くすくす笑い、夢のない夢を語りながら、がたんごとんと鞍馬のお山を下る叡山電鉄の箱の中、立ちっぱなしですっかり浮腫んだ足をいてえいてえと言いながらさすっていました。昼酒に酔って気の大きくなったおじさんが張り付いてくるのは大体の場合とびきり綺麗な件の京大の女の子で、私は大柄な自分の背中によくその子を隠して歩いていたものでした。

そんな愚痴ばかりの会話の中に突然、ひとりの子が何の脈絡もなく

「なあ、エリカちゃんはなんで京大なん」

という質問をしたのです。エリカちゃんというのはその美しい京大の女の子のこと。これは勿論仮名ですけれど、でもアリサとかリナとかそのての可愛い名前の子でした。そして質問したのは東山にある女子大に通っていた2回生のとても元気な女の子。

『なんで京大?』

というこの質問は、もしこれを読んでいるあなたがうんと若い、私の娘か息子でもおかしくないような年ごろの人であればやや奇異に聞こえるかもしれないのですけれど、四半世紀ほど前のこの国にはまだ

「女の子が最高学府とそう変わらんような賢い大学にあえて行かへんでも、ちょっと家から通えるとこに地元の国立やら私大があるやないの」

という空気がまだふんわりと、ほんのりと残っていたゆえのことです。すこし前に私立の医科大学で女子の受験生が暗黙のうちに足切りにあっていたということが問題になりましたが、あれもまた医師というやや特殊な職業のもついろいろの問題をはらみつつもその根底に「いいやんか女の子がそんなに無理しやんでも」という感覚がまだこの世界に脈々と存在し続けている故なのだろうなあと、ニュースを見ていた私はしみじみ呆れたものでした。それだから女の子がそんな大学に望んで入学したのには何か特別な志や夢でもあるのかと、これはそういう意味の質問でした。

実際私もその女子大の子もエリカちゃんも皆、地方の、田舎の高校を出て数年しかたっていない本当に何も知らない何持たない娘達でしたし、そういう「女の子は無理しやんでも」という刷り込みのようなものは無意識のうちに身体のどこかにしみついていて、それだから私達はいつも少しどこか不安でした。自分たちはえらいことイキって都会の大学に来てしまったけれど一体本当にこの先大丈夫なのだろうかと。しかしエリカちゃんの答えというのは

「彼氏が一緒に京大に行こうて言うたから」

というもので、そんな志望理由ありなん、だって京大やで、実は京都なんとか大って別の私大ですってことと違うやんなと私達は驚愕し、次いで大笑いしてしまったもの。

でもそれはまごうかたなき真実で、エリカちゃんはたまたま高校でお付き合いするようになった彼が京大を受けるしオマエも一緒に行こうというから一緒に受けたのやということでした。曰く

「親は地元の国立を受けて家から通えて言うてたし、うちもそうしよて思てたんやけど、彼が一緒の大学に行こて言うから」

エリカちゃんの親御さんは最初、当時の田舎によくあることで家から娘を出すことを渋っていたようで、それに地元国立を目指していたエリカちゃんに京大は流石に高すぎる山だし「無理では」という空気もあったのだそう。ところが多分エリカちゃんはもともと頭がとても良かったのでしょう、3年の夏の模試で「そう無理な話ではないよ」という結果を叩き出してしまって、それで「まあ並みの大学やない、京大やし…」と親御さんは折れたのらしい。そしてエリカちゃんは本当に京大に現役合格し、一緒の大学に行こうと誘った彼の方は

「彼は落ちてん…」

彼氏の頭上にはサクラサクことなく、京大に近い場所にある私立大学に通っているのだと言っていました。それでもふたりのお付き合いは変わらず続いているというので、それならよかったねえと私と女子大の子は言い、そして言葉にはしなくとも、神様というのは気に入った人間には二物も三物もホイホイ気前よく与えてしまうねやなあと、丁度叡山電車が京都精華大前駅を通過する時、なんとはなしに、私と女子大のその子は頷き合ったのでした。

(エリカちゃんて、すごいよな…)

私たちは生物学上エリカちゃんと同じ「女」という生き物ではあるけれど、見た目もスペックもそれはもう天と地ほどちがうのやわと、鴨川と賀茂川の違いどころやあれへんと。多分そういうことを互いに沈黙のうちに確認し合ったのだと思います。

でも、私達が飲まず食わずでひたすら清涼な夏の川床に懐石料理だとか松花堂弁当を運び続けた夏がバイト代だけを残して音もなく終わり、また秋が巡って来た頃、今度は市内のホテルの大きな宴席で一緒になったエリカちゃんは、いつもなら元々頭のとにかく切れる子であるので、てきぱきと脊髄反射の素早さで仕事をこなすはずがこの日はなんだかひどくもたもたと元気がありませんでした。それで仕事上がり、薄暗い地下のロッカールームですっかり毛足のすり切れたカーペットにやれやれと座った時

「エリカちゃん大丈夫?具合悪いん?おなか痛いとか?」

私はエリカちゃんよりひとつお姉さんであるし、心配してそう聞いたらそれは

「昨日、彼と別れた」

ということで、私は驚いて「ファー!」とか「ホー!」とかすごく妙な声を出してしまったのでした。あれ、どこから出た声やってんやろ。だって一緒に京都に来てくれ、俺についてこいて言うた奴が一体どういうことやねん、そいつを今からここに連れてこい。私はそんな感じで目の前にいないその男の子を詰るようなことを言ってしまったような気がします。

「なんかな…同女の子が好きになったのやって、そっちのがいいのやって」

別れの理由は彼が大学の隣の敷地にある女子大の子を好きになったのだと、そういうことらしく、それから更にしょんぼりと肩を落としながらエリカちゃんは

「うちが京大で、彼は私立の別のとこで、それやとなんか、恥ずかしいていうのか、いやなんやって…」

などと言うではないの、そうしたらその場にいた女子は全員大学生で、たしか同志社、立命、京産、府立大だったと記憶しているけれど、皆それなりに関西の大学受験の戦場を戦ってきた娘達であり、そしてこの先は男子学生とあたりまえに肩を並べて就職の戦場を戦う気持ちのあった娘達だったものだから、憤ったことと言うたら。

「ハァ?どんなヘタレや」
「女が下やないとあかんのか、アホちゃうか」
「勝ってないと死ぬやつか、そんなんもう死んだらええねん」
「ちっさい奴、きっとその同女の子に即フラれるわ」

あんた程の子を捨てるなんてアホもええとこよ、何も気にせんでええ、そんな奴は鴨川に流したれ、おし今日は飲みにいこう。そんな話がまとまったところでエリカちゃんがふと

「なんか、回りのみんなが喜んでくれるからウチは頑張ろうて、そう思て大学も今のとこに決めてんやけど、そういう頑張り方って、ホンマはあかんねやろね…」

ぽつりとそう言ったのを、それは一体何のことなのか、当時の凡庸な21歳の私ではよく理解ができませんでした。美しいから周囲に珍重されて、賢いために周囲の期待とか要望とか時代の空気とか、そういうものの全てを感知して察知して、それに応え続けることのできてしまったエリカちゃんは、なんでもできてしまうからなんでも持っているから、せやからこそ苦しいことが沢山あったのだろうなと、何となくそう思えるようになったのは随分大人になってから、ほんとうについ最近のことです。

エリカちゃんはその後、今度は自分の意思でもって遠い外国に行きました。そして今、これも本当に最近になって知ったのですけれど「ファー!」って変な声の出るほど、偉い人になっています。私はいま、エリカちゃんが自分の意思で、誰にも何も忖度することなく幸福であるといいなと思っています。

うれいなく、たのしく。


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