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盆日記

8月13日(火) 

今日の最高気温を聞くだけで、どこにも行きたくないお盆1日目。

お盆、盂蘭盆会、盆会、精霊会、魂祭、歓喜会、さまざまに呼び名のあるこの行事、大まかにいうと「お盆になったらご先祖さんが、帰ってきはるので、みんなでお迎えしましょう」ということだけど、これ、灌仏会とか涅槃会なんかの仏教行事とはちょっと違って、祖先祭祀と仏教が融合した地域色強めのハイブリッド行事らしい、そう思えばお盆て、地域ごとに全然違うことしてたりするなと、今更気が付く46歳。

ところでお盆、お墓も仏壇も実家も手近にない人間は何をするのが良いのでせうね。

実家は細田守監督が好んで描きそうな田舎オブ田舎なので、お盆の頃はさぞ…という印象持たれがちなのだけれど、そもそも分家筋我が実家にはお仏壇もなければお墓もないので、せいぜい14日の午前にお墓参り、それから徒歩10分程のところにある本家にお盆のご挨拶に行っておばあちゃんにお菓子を貰う、それだけ、以上解散。

『広い座敷に並べた座卓に山盛り盛られた料理と酒を囲んで男は飲み食いし、女は台所でひたすら料理をして酒を運ぶ』

という女子だけ罰ゲームイベント的なアレは田舎の割に発生していなかった。実家周辺の人々が皆「予定説に憑りつかれているのかもしれへん」というレベルの働き者で、その上みんなが大体兼業農家だったりするからなのかもしれない、夏の農家は忙しい。

むしろ、大阪と京都が通勤圏である立地の夫の実家の方が『エクストリームお盆』だった。

盆暮れ正月のイベントの多かった夫の実家では、親戚の集まりが多かったし、お盆期間中は三秒目を離すと大変安直に死にかける幼児期の息子を見ながらの『親戚バーベキューの会』もあった。しかし肉に1ミリも興味のない幼児には食べられるものがなく、その上「おれも火をおこしたいんや」とか「おれもあのトングをふりまわすんや」と言って火に突進し、それを阻まれては泣く。そんな命知らずの生き物を制しながら、肉を焼き、野菜を焼き、飲み物を補充する嫁の人々。あれは正直キツかった。

そもそもお盆にバーベキューて、一体何の供養やねん。

話がそれた。

ともかく、うちの実家は田舎ではあるものの、お盆はものすごくミニマムに簡略化されていて、別にお坊さんも来ないし、般若心経も唱えないし、迎え火も送り火もなかった。そういう風習がないのかもしれない。じゃあ関西にはあるのかと思い夫に「迎え火とか送り火て、したことある?」と聞くと「いや、俺はしたことない」とのこと。でも今住んでいる家の近所にあるスーパーには、お盆用のお砂糖の打ち菓子なんかと一緒に迎え火用の白くて細い焚き付けが売っている、もしかしたらこれは信心とか宗派の問題なのかしらん。

よそモンの核家族育ちには、地域の習慣がわからぬ。

わからぬが、どこにも行くアテのないこのお盆、なんにもしないというのもなんだか寂しいので、我が家でアイドル的に人気のあった優しい夫の祖父と、かつて私の母方の一族の女帝として君臨した私の祖母、それぞれの写真をリビングの小さな棚に並べ、そこに祖父の好物だった森永のミルクキャラメルと祖母が湯上りにいつも飲んでいた135mlのキリンラガーを並べて置いた。そしたら、そこにだれかが災害用備蓄のロングライフな羊羹とビスコを置いていた。

仏さんにも災害の備え。

なんでやねん。

8月14日(水)

「南海トラフ地震が発生する可能性が普段よりも高まっている」

という気象庁の発表に怯えながら数日。

不穏な時節には流言飛語がつきもので、「南海トラフ地震は8月14日に起きる」という文言がSNSの中に踊るのを見て、これがもし万が一起きてしまった場合、津波とか家屋倒壊のことよりもまず、この猛暑の中、生活インフラが壊滅的ダメージを受けたら「クーラーが使えへんな」ということを考える、心配性の中に楽天家の素養のきらりと光る私。そうなると屋外用のポータブル電源とか発電機とかその手の物が必要になるな、多分。

「Jackeryのポータブル電源、買う?お値段は…じゅうさんまんきゅうせんはっぴゃくえん、え、じゅうさんまん?」

「医療機器を使う子どもがいる家なのだからその位は買いなはれ」と言われそうなこの案件、実のところ数年ずっと悩み続けているのだけれど「でもさ高すぎん?大体普段どこに置いて何に使うん」という貧乏性の自分が横やりを入れて来るのでなかなか思い切れない、しかし「よし買うぞ」と思い切った瞬間、今度は「ほなついでやから」とEcoFlowとかいう屋外用のエアコンも買ってしまう気がする。自分やけくそになると気が強くなるもので。

外は暑いし、災害はおきるかもしれないし、おきないかもしれないし、いつでもマイペースでのんびりな真ん中の娘の理科と社会の課題は終わってないし、ということで「お母さんは今日もう出かけません、皆で宿題をやります」と宣言し、娘ふたりを机に座らせて、自分は精神の安定のため、よそさんの家のワンちゃんの動画を見続けるお盆の中日。

子どもがYouTubeばかり見て困る、という悩みはママ業界の王道らしい。しかしうちでは誰よりも今私がタブレットで犬を見ている。真っ白くてでかいの、金色で食いしん坊なの、小麦色の三角耳、犬はいいぞ。

中でも川遊びをよくする金色犬の動画が、夏は楽しい。

その動画の作成者であるパパさんが「最近、古いiPhoneで写真を撮るのが流行ってる」と言ってiPhone3GSで犬とお子さんの写真を撮っていた。現行最新機種であるiPhone13とか15なんかの鮮明な画像よりもかなり荒くなる画像が『エモい』のだそう、そうなのか。

エモいと言えば、私は3GSよりもフィルム写真をエモいと感じるけれけど、それは昭和の、フィルム写真しかなかった時代の記憶があるからで、それより若い世代の、うちの子どもみたいなデジタルカメラが当たり前の世代はどうなんだろう、印画紙にプリントされたフイルム写真を「なんじゃこの画素数の粗い写真は」と感じ、3GSの方を「エモい」と感じるのか。

そう思って件の3GSで撮ったワンちゃんの画像を子どもに「どう?」と言って見せたらそれすら「なんじゃこの画素の粗い写真は」と言われた。調べてみたらウチの子、一番上が3GS発売年の生まれだ。エモいとはその人の歴史と記憶に密接に関係する。たぶん。

この日の夕飯は餃子、餃子の餡はキャベツ軽く茹でてから命を賭して細かく刻む、うそ、フードカッターという文明の利器で細かくし、包丁で極限まで細かく切ったニラと塩を振って水けを絞り、下味をつけた豚ひき肉と合わせて仕上げるという超絶に面倒なアレを朝のうちに実行する。

「ほほほ、これで今日の夕方は大勝利」

と思っていても、大体は夕方、餃子を包む段になって必ず後悔する。

「包むのめんどくせー!なんで今日餃子にしてしまったんや自分」

それはね、うちの子達が唯一喜んでキャベツとニラを食べてくれるのが、餃子だからですよ。

結局どこかの誰かの予言ははずれてこの日、地震は起きなかった、よかったよかった。

8月15日(木)

朝、起きたら大阪市内のいくつかの区と守口市が停電していた。

終戦記念日に、何をするねん。

こういう時はまずTwitter、じゃないわXの情報を見る。編集も校正もなく数多の人々の手元でさらりと作られ即座に流されるテキスト情報はデマも多いが話が早い。この猛暑の中、早朝とは言え停電はたいへん辛いことだなあ、暑さに弱い犬や猫は無事なのかなあと思ってタイムラインを遡る。するとまさに停電地域にいる方が曰く「外を救急車がめっさ走っとる」。

毛に覆われているワンちゃんや猫ちゃんもそうだけどお年寄りとか、医療機器を使っている人なんかにもこの蒸し暑さは危ないよなあと思っていたら、うちにもおるやんけ、酸素濃縮器を24時間使ってる子が。

またぞろ昨日の『じゅうさんまんきゅうせんはっぴゃくえん』が頭をよぎる。

もし停電がおきた時、例えば家庭用の人工呼吸器は内蔵バッテリーが少しの間作動するらしいけれど、うちの子の使っている酸素濃縮器にはそれはない、無慈悲にスンッ…と止まるだけ。自宅においてある外出用の酸素ボンベは大きいのがもって6時間、小さいのがもって3時間、家にある全部をかき集めても丸一日もつかどうか、やっぱり買うべきなのかJackeryのポータブル電源を。

今回、ウチは停電地域ではなかったので、そこはまあなんとか。

と、思っていたら停電地域では電車が止まっている。忘れていたけど、電車は電気で動くのだった。停電地域一帯を走る私鉄やら地下鉄が一斉にストップし、今日も元気に出勤するはずの夫の行く手を阻む。

「え、電車が動かへんので休みますではあかんの」

会社など休んで、うちの6歳児と遊んだらいいやんという社会不適合者(妻)のささやきを無視し、時刻表と路線図を眺めるのが「だーい好き」(※大好き、ではなくて、だーい好き)な夫は、ややウキウキしながら、現在停止しているルートを上手く回避して会社に辿り着く最短の方法を考え、方針を決定し、いつも通り出勤していった。

きみはゆくのか、そんなにしてまで。

終戦記念日なので、夜はまだまだ地震に怯える娘達に挟まれつつ向田邦子の「父の詫び状」を読む。収録されている「ごはん」は中でも大好きなエッセイだ。東京大空襲の次の日、昨晩のような絨毯爆撃が日常になれば自分達は確実に死ぬだろう、だったら家族で旨いものを食って死のうとパッパが言い出し、一家でサツマイモの天ぷらと白いご飯を食べる話。

あれが初見だった時の自分は高校1年生、一番上息子と同じ年で、私は活字を目で追う間ずーっと高等女学校3年生の邦子ちゃんと同じ「戦争は怖いがなんだか映画を見てるよう」なんて気持ちでいたけれど(邦子ちゃんの俯瞰の視点と万物への客観力は恐ろしいものがある、文脈に主観をほとんど持ち込まない、だからこその作家なのだけれど)、今は邦子ちゃんのお父さんの気持ちになる。個人で戦争や国家にはひとつも歯が立たない、しかし我が子を飢えさせて、ひもじいままで、どうして死なせることなんかできるだろう。

地震は無いほうがいいし、戦争も無い方がいい。

8月16日(金)

今日は京都で送り火の日なので、うっかり京都に近づかないことを教訓に生きている。

ついでに言うと、7月25日は天満橋には行かないし(天神祭)、8月3日には十三大橋に近づかないし(淀川花火大会)、8月8日はJR琵琶湖線(びわ湖花火大会)に乗らないことを己に課している。

人ごみに耐性が無さ過ぎるのだ、オケラだってもう少し強いと思う、というか今おけらを『螻蛄』と書くと初めて知った。Word、きみってほんまに賢いな。

人より長く京都で学生をしていた人間の割に、8月16日の送り火を「送り火を見る!」という明確な意思を持って観たことは一度しかない。

むかしむかし、堀川通の鞍馬口と今出川の間の通りをちょっと東に入ったところにある小さいアパートに住んでいた時、確か3回生だったかな。そこの大家さんが「今日、送り火見えるで」と言って屋上にあげてくれたのだ。お盆に家に帰らずに市内でアルバイトに精をだす明らかに貧乏な店子数人には、大家さんからの缶ビールのふるまいもあった。

それ以外の年は大体、アルバイトしていた某ホテルの最上階で催される「五山の送り火鑑賞会」というもののサービス員として駆り出され、遠くに赤く燃える送り火を一瞥する暇もなく、お客様にひたすら皿を運び、ビールを運び、ワインを注ぎまわり、宴が終れば皿の上の食べ残しをゴミ袋にまとめ、シルバーを回収し、リネンを剝いでデカいワゴンでリネン室に運んでいた。

あの頃、私は格差社会を憎み、ブルジョアジーを厭い、階級のない平等な社会を夢見ていた、造反有理、革命無罪。

後半はうそです。

ともかく。

そんな感じで毎年8月16日になるとなんとなく、学生時代にあまりにお金がなくて、高校であんまり勉強してこなかったツケがまわってレポートを英語で書いてと言われてもなんもできず、色々しょっぱいことだったなあという昔を思い出す。あとあんなにアホでお金がなかったのに、なんで大学に居続けたいと思っていたのかなあとかも。

多分社会に出るのが嫌だったんだろう、今も外で人に会うと舞い上がって変に饒舌になるか、妙に無口になるかする中年だし。

さて本当に何もない、平常運転どころか普段の倍はヒキコモリだったお盆の4日間、最終日の夕食は『実家に帰ると食卓に登る食い合わせトライアスロン』をやろうぜと言ったら、子どもらに天ぷらをリクエストされた、それと蕎麦。

それ、ただの天ぷら蕎麦やん。

娘達は、学校の宿題をやり、時々2人で絵を描いたりゲームをしたりして過ごしている。高校生の息子は、ずーっと数学をやっている。対数関数とはlogとは一体何のことやったか、お母さんはきれいさっぱり忘れましたから、なんも聞かんといて。

今日、送り火の煙と共に、死者の魂はまた彼岸の向こうに帰るのだとか。

ところで一番下の娘には「てんごくにすんでる」お友達が何人かいる。娘のように生まれつきの疾患があると人生の尺は普通の元気なひとよりもやや短い。幼稚園にも行かず、ランドセルを手にすることなく旅に出たあの子とあの子とあの子、帰るついでにちょっとウチにもよってくれるといいのにね。

来てくれたら、今日は天ぷらと蕎麦です。

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