戦争保険_-_コピー

戦争保険

父の遺品は殆ど手元にないが、戦争前や戦時中の家族写真と一緒に古い証書を見つけた。昭和20年に加入した「火災保険証」だった。

内訳は、火災保険と戦争保険と地震保険。保険会社の記述を調べてみたところ、火災保険に加入すれば戦争保険契約を申し込まなくても自動的に戦争保険契約が成立することになり、地震保険が附帯すると記されていた。

昭和20年4月12日に郡山空襲があったために、急遽、加入したのかと推測されるが、大都市への空襲が激しくなっていた当時、保険が支払われるとは、到底考えられない。当時、祖父は他界しており、病弱だったという祖母の名義になっているのをみると、亡き祖父が職業軍人であった所以であろうかと推測されるが、記録が全く残っていない。申込書を二重線で削除して契約証となっていることから、早急に加入したことはうかがえる。

だが、物資がなく貨幣に価値など無くなっていた時代の戦争保険は、国策に寄ってつくられた保険であることには違いがないであろうと思う。

昭和20年4月12日に郡山空襲

昭和20年5月7日に保険加入:高田タリ(祖母)。

昭和20年8月15日に終戦。

住所は、福島県郡山市神明町79。(郡山空襲のあった郡山駅から2キロ弱)
保険金額の五千円は、現在の貨幣価値で五百万円。保険期間は一年。


無意味な保険であったことは一目瞭然であった。

《戦争保険臨時措置法案について》
大蔵省では第七十八回臨時議会に戦争保険臨時措置法案を提出することに決定したが、同法制定の趣旨は戦時下における経済秩序の維持並に国民生活の安定を目的とするもので、火災保険等の戦争による損害に対する免責約款を実質上停止し、それによって生ずべき保険会社の損失を国家に於て補償せんとするものである、戦争保険臨時措置法案の骨子は大体左の如くである
(神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 中外商業新報 1941.12.13 (昭和16)より引用)

《戦争保険臨時措置法の説明》
国立国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1437258

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?