Midori Takada

福島県郡山市に生まれ育ちました。忘れ去られてしまわないように、昭和時代の郡山市での思い…

Midori Takada

福島県郡山市に生まれ育ちました。忘れ去られてしまわないように、昭和時代の郡山市での思い出を残しておきたい。昭和9年生まれの母の戦争体験者の言葉を残していきたい。徒然に....そう思っています。

最近の記事

戦争保険

父の遺品は殆ど手元にないが、戦争前や戦時中の家族写真と一緒に古い証書を見つけた。昭和20年に加入した「火災保険証」だった。 内訳は、火災保険と戦争保険と地震保険。保険会社の記述を調べてみたところ、火災保険に加入すれば戦争保険契約を申し込まなくても自動的に戦争保険契約が成立することになり、地震保険が附帯すると記されていた。 昭和20年4月12日に郡山空襲があったために、急遽、加入したのかと推測されるが、大都市への空襲が激しくなっていた当時、保険が支払われるとは、到底考えられ

    • 「長崎の被爆者永井隆博士の遺言」より

      以前、長崎原爆資料館で永井隆博士夫人の緑さんの遺品であるロザリオをみたことがある。ガラスが溶けて原型は留めていなかった。緑さんは亡くなるまでロザリオを離さなかったという。 永井隆博士が、子どもに残した言葉は、今の世を予測していたかのようだ。悼む。 「長崎の被爆者永井隆博士の遺言」 いとし子よ。 あの日イチビの実を皿に盛って、母の姿を待ちわびていた誠一(まこと)よ、かやのよ、 お母さんはロザリオの鎖ひとつをこの世にとどめて、ついにこの世から姿を消してしまった。 そなたたちの寄