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私が離婚後も婚姻中の名字を使っている理由



最近は言われることも少なくなったのだが

「どうして離婚後も婚姻中の名字を使っているのですか?」

と問われることがある。

理由は
離婚後も前夫から婚姻中の名字を使うことをお願いされたからだ。
元夫の言い分は、離婚後も責任をとっていきたいからとの事だった。

しかし

「シングルマザーの方が国からの援助や保育園なども考慮されるのよ」
とか
「昼も夜も働き過ぎじゃないの?そして習い事とかやらせ過ぎじゃない?」

責任を取るといいながら、養育費も支払わずに勝手なことばかりいう前夫や前姑に嫌気がさしまくり何度も名字を戻そうと思った。

家庭裁判所に手続きをしに行った事もある。

でも手続きは一度では終わらないのだ。

今思うとそんなに難しいことでもないのだが

はい、ここから言い訳。

その当時の私はとにかく疲れていた。実際、朝、昼、晩と働いていた私は、名字変更のための手続きを最後までやりきるのがだんだん億劫になってきたのだ。
娘が小学校に入る時期に合わせるか……などと理由をつけてはみたものの、気がつけば娘は小学生になっていた。

もうひとつの理由は、旧姓が嫌い。もっと言うと両親のことが嫌いだったのだ。

旧姓に戻してもなぁ。
あの人達と一緒の名字って今更な……
というような、どっちつかずの状況のなか
だんだんと「面倒くさがり」という私の性格から、名字について考えることもなくなっていったのだ。

言い訳終わり。

そしてしばらくは、とくに名字について大きく気にすることもなく過ごしていたのだが、私が現在の名字である理由はこれだ!

という私の中でとっても腑に落ちる思いに最近たどり着いたのだ。

きっかけは私の仕事。

そろそろお客様の層を新しく変える時が来たな。と思ったことである。

まったく関係ないように思えるかもしれないが、自分史のような物を書き客観的に自分をみるというようなワークをすることで、自分が今求めることを探ろうと思ったのだ。

そうやって自分掘り下げ祭りをしているうちに、当初の目的とは違うが、もっと意味があるこの理由にたどり着いたのだ。

どういう理由かと言うと

掘り下げ祭りを開催していくうちに

この世に存在する全ての人にご先祖様という存在がある。

という当たり前のことに焦点が向いたのだ。

名字を継ぐという事は、そのご先祖様との繋がりに感謝しながら思いを繋ぐ大切な事柄でもある。

しかし私は、名字というものに頼らなくても、私という存在は命の繋がりがあったからこそだと言うことを、鼻から承知の助だ。

血縁ではなくても名字を継ぐこともあると思う。

なのでそこに捕らわれてはいない。

捕らわれる必要性を見いだせない。

やばい、なんだかだれかに怒られそうな事を言い切ってしまっているが、そう思うのだ。

だがしかし、私は姓名判断には捕らわれるという変な人である。

その変な人の私が更に思ったこととは


これも当たり前だか、娘のご先祖様は私の両親だったりと私のご先祖様だけではない。
前夫のご先祖様とも娘は繋がっているのだ。

はっきり言うが、私にとって前夫や前姑なんて今頃何してようがどうでもいい人達だ。

だが、娘のルーツへの繋がりの間にいる人たちであることは変えられない事実。

ちなみに娘の現在の姓名判断はバッチリ!

私が思う名字に変えようとすると、私は良くても娘は最悪な画数になることばかりなのだ。(そもそも名字なんて日本では簡単には変えられないが)

もっと言うと、前夫の父親、娘のお爺ちゃんの存在だ。

現在の名字はこの娘のお爺ちゃんが継いだものだ。

そして娘のお爺ちゃんは幼少期は違う名字だったと前夫に聞いている。

様々な事情で私達が現在使っている名字になっている人なのだ。

娘は、私の大嫌いな私の両親から、それはそれは溢れんばかりの愛情を注いでもらっている。

それを踏まえて、娘に忘れないで貰いたいことがある。

「貴女にはもう一人のお爺ちゃんがいる。」

ということだ。
すでに婚姻前には今世で逢うことが出来なかった娘のお爺ちゃん。
前夫が、こよなく愛していた人。

そんなお逢いすることが出来ない存在の方だったのだが、どのような方だったか垣間見れるものを見つけることが出来た。
インターネットに娘のお爺ちゃんの名前を入れたら出てきたのだ。
娘のお爺ちゃんの事を、心から偲んでいると感じられるとある方のブログを見つけたのだ。

娘のお爺ちゃんのことは前夫からも聞いてはいたのだが、そのブログを書かれた方は娘のお爺ちゃんのお仕事仲間だったようで、その方だから話せる内容が書かれていた。

その方から語られる娘のお爺ちゃんは
とっても素敵な人だった。

会ってみたかったな。
話をしてみたかったな。
娘と触れあってもらいたかったな。

そんな叶わぬ思いが私の中に芽生えるのは自然なことだと思った。
そして私は気がつけば、こう思うようになっていたのだ。
娘は、前夫の名字を使うことで、娘のもう一人のお爺ちゃんからの愛情を貰っているのだ。
そう思うようになったのだ。

それほど娘にとっては良い名字だ。

逢うことが叶わぬ相手だからこそ思いは馳せる。

私の想像はとても膨らんでいる。
なんて素敵な娘のお爺ちゃん、なんて素敵な私の元舅。

貴方には感謝しかありません。

存命中にお逢いしていても、きっと大好きになったと思います。

この世に存在してくれた時があったことで、娘は今、私と同じ時間を共に生きてくれてます。

娘は貴方に似て大きな瞳をしていて、健康的な肌色をしていて、人をもてなすのが大好きで、そしてとってもユニークです!
ね?貴方にそっくりでしょ?

そしてどういうわけか、貴方が幼少期に過ごした場所の近くに毎月行くご縁を頂いてます。

来月は娘と行きますね。

娘は貴方が幼少期に眺めていたであろう、あの海が大好きです。

貴方は海に散骨されたと聞いています。

海を眺めながら貴方と語り合えるのを楽しみにしています。


という訳で、私達は現在も婚姻中の名字を使っている。
娘が結婚したり、私でなく娘が現在の名字に思うことがあれば、名字について考えることは今後あるかもしれない。
「前夫にまだ未練があるからだろ。」とか「子供のためにもちゃんと旧姓に戻したら」とか言われたこともあるが

私からすると、色んな状況も知らずに一部分だけを切り抜いて物事を判断して、自分の考えを押し付けるような人の脳ミソは、焼いてレクター博士に食べさせれば良いと思っているので沈黙になるのだ。

そして私は今日から、私の大嫌いな私の両親ではなく、娘の大好きな私の両親と他者には紹介しようと思う。

お父さん、お母さん、いつも娘を守ってくれてありがとう。
そして、私をこの世に存在させてくれてありがとう。

あなた達が生きている間に、長かった私の反抗期はどうやら終わりを告げました。

今夜は宴だ。



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