アイドル=少年漫画論

最近、アイドルは少年漫画なのではないかと思っている。そう思う根拠はアイドルが「友情・努力・勝利」で成立するからである。前回の記事【「Juvenilizm-青春主義-」感想文(後編)】でアイドルは青春に似ているという持論も展開したことだ。必然とも言えるだろう。
記事によって口調が変わってしまうのは気にしないでほしい。人間は日々キャラクターを演じながら生きている。今日はこういうキャラクターなのだ。
なお、今回の記事に関しては、基本的にライブアイドルをベースに考えている(特に「努力」の面で)。その他のアイドルにも言えるかもしれないが、書き手の想定の範囲外であることはご了承願いたい。


アイドルには、友情がある。

アイドルオタクは、仲良しエピソードが大好きである。推しのキュートな写真の「photo by」がメンバーだっただけで綻ぶ生き物なのだ。休日に一緒に出かけた話には需要しかない。メンバーにならマウントを取られたい。どんどん「わたしの〇〇(メンバー)」感を出してくれ。
時にぶつかりながら、切磋琢磨してお互いを高め合う関係性に尊さを感じる。メンバーに宛てた手紙を朗読されようものならボロ泣きである。ライブでそれをされるとメイクがすべて落ちた状態で推しとツーショットチェキを撮ることになる。なんてことをしてくれるんだ。ありがとう。かろうじてまゆげは生き残る。

ちなみにわたしは「距離感バグらない」ペアが好きである。その他が距離感バグであればあるほど、距離感のバグらない2人に萌えを感じてしまう。しかし、距離感がバグらないだけでちゃんと仲良しなのは前提としておきたい。必要以上に踏み込まず、互いを理解し、背中合わせで戦う「仲間」の関係性が好きなのだ。そんな2人だからこそ、稀に距離感がバグると頭を抱える。咽び泣く。
そんな「距離感バグらない」ペアの目撃情報があれば随時ご提供いただきたい。


アイドルには、努力がある。

アイドルに必要なのは、紛れもなく努力である。
アイドルオタクでない人たちからしてみれば、彼らとアイドルが接するたった1回のパフォーマンスのクオリティはとても重要である。そこでクオリティが低いパフォーマンスを見せると「パフォーマンス力のないグループ」と切り捨てられてしまう。世間の目は厳しい。
しかし、頻繁に現場に通うオタクにとっては、初めから完成されているパフォーマンスを見るよりも、むしろ未完成なものが磨かれていく過程を見るほうに価値があるのかもしれない。(ある意味、お茶の間とオタクの溝であり、ライブアイドルが国民的アイドルになる難しさとも言える。)

アイドルは広義のミュージシャンである。しかし、その他のミュージシャンと違うところは「どんな音楽であるか」より「表現者が誰であるか」が中心になる点である。
確かに歌がうまいアイドルは魅力的である。ダンスがうまいアイドルも魅力的である。しかし、それと同時に、不器用ながら一生懸命に歌い踊るアイドルも魅力的なのである。そのアイドルにしか表現できない音楽があるのだ。努力し続けるその姿勢こそが何よりの魅力なのではないかとわたしは思う。


アイドルには、勝利してほしい。

勝利がある、とは書けなかった。アイドルは少年漫画だが、必ずしも売れる少年漫画ではない。連載が打ち切りになってしまうことも当然あるのだ。アイドル戦国時代なんて言葉もある。日々新しいアイドルが生まれては消えていく世の中だ。
それぞれのアイドルに、それぞれの人生がある。さまざまな夢がある。わたしはいつからか「夢は叶わないもの」という前提で夢を見るようになっていた。推しが夢を叶える姿を見て、夢が叶う可能性を思い出したのだ。アイドルの夢は、オタクの夢だ。勇気だ。希望だ。アイドルに勝利してほしいのは、結局は自分本位な願いである。誰だって、主人公の勝利が読みたい。

「友情・努力・勝利」の揃ったアイドルは最高のエンターテイメントである。アイドルに人生を捧げて心身がボロボロになってしまうくらいなら、アイドルをやめて心穏やかに暮らしてほしい。そう思いながらも、アイドルに人生を賭けているアイドルほどひどく魅力的でずっと見ていたいと思ってしまう。アイドルオタクは業の深い生き物である。

さて、「友情・努力・勝利」の要素で成り立つ少年漫画は、よほどのことがない限り、勝利を収めると完結するだろう。アイドルはどうだろうか。多くのアイドルが「日本武道館」「ドームツアー」などの夢を掲げて日々命をステージで輝かせている。悲しいことに、夢を叶えるとそこで頭打ちになる場合もある。
しかし、「努力」で書いた通り、磨かれていく過程がアイドルの価値のひとつである。だからこそ、勝利にたどり着いたとき、願わくば魅力的な続編を描けるアイドルであってほしい。わたしはそんなアイドルを推したい。


最後に最強で最高のアイドルの動画を貼る。少年漫画すぎる。特に意味はわからないが、これを聞いていると勝利する未来が見えるしその先もなんとかなる気がする。限界最高で無限大サイキョーなのである。

おしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?