疑うって難しいよね

疑うことって難しいよね。
他人の言うことを疑うことってとても難しいよね。基本的に私達の一つ一つの行動は前後の文脈のなかに存在する。未来の企てが見えて騙されていることに気付けることもある。しかし,多くの場合前の行動と整合性を自分の中で持ってしまい疑えなくなるだろう。前の行動を疑うという事はいわば前提を疑うことになるからだ。きりがない。
 普段の私を知ってるいる方ならわかると思うが、私には危機予知能力が皆無である。自分でいうのはなんだが、良くもまあ人間不信にならなかったなと思うことがある。(けど実際には他人のことを信じてないのかな僕は、と思うこともあるので実は人間不信なのかもしれない。またその話はいつか。他者に対するスタンスでも考察してみよう。)留守番してた時に詐欺にあいそうになったこと、宗教勧誘にあってLINEを交換してしまったこと、4年間仲良かった先生が性犯罪者だったこと(小児愛同性愛的な犯罪だった、これのせいで私はLGBTQに関して生理的に受け付けられなくなってしまっている。あれは違うと言われるのだろうが、私からしたらわからない。母数が裏切られた犯罪者の1/1なのだ。理解しなければならない問題なのだろうが、どうしたらいいのかわからない。ただ生理的に怖くて無理でしたがないのである。またまとめて書きたいが炎上しそうで怖い。)、母親と父親の関係。エピソードまで書き出したらキリがない。非常に読みにくい文章になってしまった。
 何が言いたいのか、多分裏切られた経験が同世代の中で多い方だと思う。そんな私の最近のスタンスは『裏切られてもいいや』である。その背景はいくつかあるので以下に書いてみよう。
まずは、「他者を貶めようとする人はそんなに多くない。」ということに気づいたからだ。上記に裏切られた経験をつらつらと書いたが21年生きてきてこれである。良いエピソードはもちろんもっともっとある。他人に最大のポイントは他者に優しく接することだと思う。世の中極悪人は一握りしかいない。恩を仇で返される事はほとんどない。仇で返されたと思った時の大半にちゃんと、醜い素の自分を思い情けなくなるし虚無になったりする。まあこれは自分が悪いので仕方がない。話が脱線した、基本的には誰もがwin-winを目指しているはずなので信じる事から入れば良いと思う。
2つ目は「裏切られてもそこまで事故にはならないようにするリスク管理」をしているから。今の自分は誰か1人に裏切られたとしても致命傷を負う事はない。絶対に裏切られないなんて事はないからこそ、逆に裏切られないなんて素晴らしいことだとおもえるようになったら行きやすくなる気がする。
まあ1番大事なのはあなたも私も他人を裏切らない事。

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