世界の中心でアイを叫んだけもの
タイトルは再放送していたエヴァンゲリオン最終話の題名から。
アニメ最終話のキーワード;
愛着障害/境界線/捉え直し(リフレーミング)/トラウマ/レジリエンス
題名はハーラン・エリスンの作品のオマージュであるが、英題が"Take care of yourself."となっていることと本編の内容から、ここでのアイは愛とI、すなわち"私"のダブルミーニングであると思われる。
とまあここまで繋げたけれども、別にエヴァンゲリオンについて語りたいわけではなく。
私の話。
一人称が定まらない。
普段使っているものとしては「私」、「俺」、「僕」。
一応フォーマルな場では「私」を、友達や年上となら「僕」を、ごく近しい間柄の友人や家族には「俺」を使っている。
別に多重人格というわけではなく、あちこちで顔を無意識のうちに使い分けてるんだと思う。
大人ならおそらく当たり前だと思うけど。
男性ではあるが、20代になってからフォーマルな場での一人称を"私"に統一している。
これは10代後半に出会った人の影響で、素直に尊敬の念から使い始めた。
しっくりくるようになったのは20代半ばになってからである。
日本語には一人称が何種類もあるっていうのは結構面白いと思う。
逆に考えると、それだけ日本人は人によって顔を変えているのかもしれない。
日本は他の国に比べて上下関係が厳しいように感じる。
欧米のように個人がフラットに意見を言えない。
それももしかしたら生きづらさの理由にあるのかもしれない。
個を滅した社会の行く末はどうなるのだろうか。
枠を設けてはみ出しものを排除していくと、どんどん枠は狭まっていくと思う。
それを成長と呼ぶのなら、私はそんな成長は欲していない。
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