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たそがれに寄せて(32)「シルバー・フォックス〜その1」

 妻は二度も流産し、しかもその後、子宮筋腫の診断が出てそのかなりの部分を切り取られ、子供を作るのは、かなりむずかしいことになってしまった。妻は口にこそ出して言わなかったが、かなり落ち込んだようだった。

 こんな時には誰だって気晴らしのひとつもしたくなる。

「今度の連休にはホンコンに遊びに行こうや」と妻に言い、アメリカ船ルーズベルト号の客室を予約した。

 初めての海外旅行、二週間の船の旅である。若い時、船で世界一周をしたことのある父から、船旅の素晴らしさを度々聞かされていた私は、どうしても豪華客船の旅がしたかった。それもファースト・クラスでなければならない。その夢が二十年ぶりに実現したのだ。

 今でこそ客船ブームだが、当時日本人の乗客は私たち二人のほか何人いたであろうか。当然、食事の時はアメリカ人たちと同席となる。二人用の席もあったが折角の海外旅行だ、それらしくやろう、と八人テーブルを申し込んだ。一旦テーブルのメンバーが決まると余程のことがない限り、少なくとも次の寄港地までは毎日同じメンバーで食事をすることになる。

 午後四時、横浜出港。ディナーのテーブルにつく時には、「グッド・イブニング」と笑顔で言いながらも、膝頭がガクガク震えているのがよくわかった。英語のメニューだって最初からそうそう簡単に分かるものではない。「今夜はニューヨーク・カットのステーキがおいしそうよ」と隣の席の老婦人が助け船を出してくれたので何とか切り抜けた。

 夕食後、最上階のバーラウンジに行って見た。妻とポツネンとしていると、少し離れた席で談笑していたグループから一人の紳士がやって来て「よかったらこっちに来て仲間に入らないか」と誘ってくれた。この席でシルバーさんと知り合った。カリフォルニア在住の元大学教授で、色白で異様なまでに面長だった。私たちはこの人にシルバー・フォックスというあだ名を奉った。

 船でのランチは階下の食堂に行ってフルコース・メニューから選んでも良いのだが、天気さえ良ければバイキング・スタイルのデッキ・ランチオンの方がはるかに楽しい。私たちはし
ょっちゅうシルバーさんと食事を共にした。当時の日本ではグレープフルーツが異常に高価で、一個千円近くもした。私はむきになってグレープフルーツのたっぷり入ったフルーツ・サラダのお代わりをした。 「君は胃袋の中にグレープフルーツを仕込んで日本に密輸するのかね」とシルバーさんは愉快そうに笑った。

 その年、クリスマスカードを出したところ、返事が来て翌年の五月に再び日本に来るという。私たちは横浜に出迎え、再会を喜んだ。椿山荘でご馳走をした帰途、彼は突然こう切り出した。

「私はまったくの天涯孤独の身だ。私には、あなたたちが自分の家族のように思えて来た。実は、この十一月に同じ船で世界一周の旅をすることにしている。横浜にも寄港するから、あなたたちも乗船して、来られるところ迄ついておいで。旅費はもちろん、私が出すよ」

 あまりに唐突な申し出に私たちは面食らってしまった。正に狐につままれた思いだった。「あの人、本当にシルバー・フオックスなんだわ」横浜からの帰り道に妻がつぶやいた。

 結局、私たちはこの申し出をありがたくお受けすることにして、準備にとりかかった。問題は休暇をどうやって取るか、である。まずいことにこの年の春、私は労組の副委員長に選ばれてしまった。しかも、出発の時期はボーナス交渉の最中である。この時期に長期休暇を取れば非難ごうごうとなることは分かり切っている。しかし、窮すれば通ずで一計を思いついた。

 この年の労組のスローガンに「有給休暇をフルにこなそう」というのがあった。これは毎年掲げられるスローガンでありながら実行に移した者は一人もいなかった。「これで行こう!」労組の委員会の席上で一ヶ月の休暇宣言をした。案の定、非難が殺到した。「組合の副委員長が身を挺して運動方針を率先垂範しようというのに文句があるのか」と開き直り、十一月初旬、妻と共に再びルーズベルト号の客となった。

 恐らくこれほど豪華で思い出に満ちた旅をすることは二度とあるまい。横浜からシンガポールまでの二週間、シルバーさんのお供をし、そこから空路でバンコック、アンコールワットを訪れ、ホンコンからは姉妹船のウイルソン号で帰国した。

 この船では、乗客が船上で誕生日を迎えるとディナーの時にバースデイケーキをプレゼントしてくれる。バンドが入って来てハッピーバースデイを奏で、主賓はケーキを切り分けて同席の客にお裾分けするのがならわしだ。横浜で下船する日がたまたま私の誕生日だった。入港するのが午後四時だからディナーの時までは船に留まれない。すると、ウェイターがランチの時にケーキを持って来てくれた。同席のB夫妻にも食べてもらったが四分の三以上も残ってしまった。ウェイターは家に帰ってから、もう一度お祝いをしなさいよ、と言って立派な洋銀のお盆ごとケーキを進呈してくれた。

 問題は税関である。恐る恐る事情を話すと、いとも簡単に通してくれた。「こんなことなら、ホンコンでダイヤでも買ってケーキの中に隠して来るのだった」と言うと、「お金もないくせに」と妻に一笑されてしまった。バンドの演奏こそなかったがハッピーなバースデーであった。

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