20220117
最近は人と人とのことに悩まされることが多かった
主にはまあ仕事でのことではあるが
個人の主観と、また別の個人の主観は違うものだしそれを客観視する視点もまた、違う主観であることを思い知った
過去を悔やみ、想いに深けても、現実は変わらないが
今この悩みの中にいること、それをこうして書けることはある意味でとても幸せなのかもしれない
昨年までの自分は、このように文字を打つ時間もなくただ生きていた、というよりも心臓が動き肉体が活動していただけという表現が正しいとさえ思うほどに忙しない毎日を送っていた
一般的に想像するような、まさに「働く」といった所作ではあったが
埋もれていく毎日の時間にもある意味で、当たり前の幸せというものを感じていた
今こうしてPCを開き無心で文字を打っていると、そんな当たり前の幸せを感じていた自分というのを軽蔑したくなるが
それはもう過ぎた事であり、思い出として記憶する以外大して役に立たないので何も考えないでいたいと思う。
一昨年は家具を作っていた
昨年は店を作っていた
今は世界で初めてのモノを作っている
改めて見返してもつくづく作っている人生なんだと思う
これまでと違うところは指示を出すだけの側になってしまったことだろうか
「なってしまった」という言葉を使うのは文字通り「なってしまった」と思っているからだ
なってしまったからには頑張らなければならないが、なってしまったが故にもの悲しさは心の奥に残ってしまった
そして今までただ作っていれば良いだけの立場だったのが、そうではなくなってしまった
学ばなければいけないことも今まで以上に増えた
このままやっていけるのか
不安はある
あとどれだけ夜を越えればこの不安は消えるだろうか
消えることはもうないのだろうか。
走るだけだとは思う、ただ無心で走るだけ
カードは配られ、賽は投げられ、ゲームが始まり、試験でもある
「ただ与えられた機会に対して一生懸命やるしかない」
結果は常に後からついてくる
見えなくったって構わない
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