宇野昌磨選手応援記【11】「やはり僕はどの大会も特別な、一つの試合」

宇野昌磨選手の応援記は【10】が最後のつもりで、その後どうしても書きたくなって二度特別編として書き、次こそは完結編まで心に秘めて応援しようと思っていた。

でも今こうして応援記の【11】として書いているのは、北京五輪での宇野選手の言葉が私の中であまりにも特別だったから。私も先のことは何も決めないで、どの応援記も特別な一つの記憶として書こうと思う。

今シーズンはまだ終わっていないし、ボレロの完成や現在の社会状況のことを考えると、世界選手権への緊張感で私はまだ冷静にオリンピックを振り返れていない。

それに北京五輪までの二週間、怖くてTwitterやInstagram、ネット記事などの情報を見ないでただただ祈って過ごしていたので、直前の宇野選手の特集やファンの空気を把握できていないところもあるかもしれない。
修道女みたいに、無心に家の清掃をしたり気がつけば手を合わせてどうか健康で無事に出場できますようにと願いながら過ごした開幕前の二週間も含めて、私にはやっぱりオリンピックは特別な大会だった。

北京五輪で宇野選手は団体戦のSPを任されると予想していたので、そこで良い演技ができることを私は一番強く望んでいた。だから心底ホッとしたし、平昌からの四年間の苦しかった経験もシニアに上がってからの立場も、すべてが報われた気がした。

個人戦は課題だったSPの4T-3T、一年前には4Loがなくコンボが3S-3Tだったことを考えると信じられないくらいのFSの高難度構成に、どんな失敗をしても受け入れる覚悟で挑んだからこそ掴んだ銅メダルだったと思う。

「この構成、この練習を間違いなくあと数年続けていけばもっともっとレベルが上がって、今のようなネイサン・チェン選手の位置で戦える存在になることも可能なんじゃないか」と宇野選手は話していた。
それは裏を返せば、数年前から今シーズンのモチベーション、今シーズンの調子で成長できていたらトップで戦えたかもしれないことを後悔ではなく、必要だった過程として理解しているように見えた。

昨年のオフシーズン、長年の悩みだった靴問題に本気で取り組むと決めた時には、今シーズンを棒に振る可能性にも言及していたことを思うと、宇野選手は不思議な巡り合わせを持っている人だと感じる。

NHK杯の前に、宇野選手が海外インタビューで「主人公になりたい」と答えていたのは、翻訳の翻訳だった気がするので本来はどんなニュアンスだったのかわからない。

宇野選手とネイサン選手の間に、特別なライバル関係があるとは言わないけれど、これがスポーツ漫画やアニメなら、私にとってはまさに宇野選手が主人公の挫折と成長と挑戦の物語だった。

平昌五輪シーズンのグランプリファイナル、世界選手権、そして翌シーズンのグランプリファイナルと、あの一年間の羽生選手不在の試合では、私の記憶ではネイサン選手と宇野選手の一騎打ちだと言われていた。
もしかしたら日本特有の報道だったかもしれないけど、少なくとも優勝を競い合うライバルだった選手がその後一気に先に行ってしまったような感覚を、誰よりも受け止める必要があったのは宇野選手だったと思う。

名古屋グランプリファイナルではたった0.5点の差だった。0.5点の差だと思っていた選手に50点の実力差を付けられたと感じた時、アスリートはどう生きるんだろう。

それが宇野選手を応援する、私の最も大きな関心だった。諦めるのか、心を震い立たせるのか、もちろん様々な葛藤があっただろうけれど、宇野選手は純粋にネイサン選手を好きだと言って、真っ直ぐ見つめていた。

「ネイサンに関しては明らかに僕より実力が上だったというのもあり、今大会で金メダルを目標にすること自体が自分の成功ではなく、ネイサンの失敗を願うことと一緒だと思っていたので、そういったことは全く考えていなくて、自分がやってきたことをそのままやろう、僕の目標はここが最後ではない、もっと先を見据えて成長できる舞台にしたいと考えていました」

まずはトップで戦える構成を安定して滑れる自分になること、それが北京五輪には間に合わなかった。もし今回ノーミスで滑れていたとしてもそれは偶然であって、それを「ネイサンのように」数年間続けることが宇野選手の目指している道だと思う。

「二大会連続出場させていただいたんですけれども、一大会目よりもいろんな経験を経てオリンピックを迎えたことで、変わった心境はあるのかなと思いましたけれども、やはり僕の今シーズン掲げている成長したいという意思が一番強かったのかなと思います。その結果、やはり僕はどの大会も特別な一つの試合で、そして試合だけでなく練習一日一日もすべてが僕にとって特別、かけがえのない、すべてが一つの特別な時間なんだなと改めて認識しました」

北京五輪FSの翌々日、宇野選手は公式練習で4Lo 4S 4F 3A 4T-3T 4T-2T 3A-1Eu-3Fの構成を完璧に滑り「何も言わないでください。試合でやれよ!って」と笑わせていた。
さらに高難度の4F-3T 4T-3Loも決めていて、それを安定して試合で跳べれば世界のトップで戦える日がきっと来る。偶然ではなく必然の始まりとして、世界選手権への練習を開始したこの日も特別な時間だった。

練習での3A-4T着氷、5T挑戦に関しては試合後の宇野選手らしい気持ちのコントロール方法だなと思うし、4T-1Eu-3Fの試みは本当にワクワクするけれど、今はまだ現実的ではないので一旦置いておこう。

練習から高確率でノーミスできる構成だとしても、試合で練習どおりの力を発揮すること、それが宇野選手にとっていかに難しいかはSPの4T-3Tを見ていたらわかる。
練習での成功率は九割でも試合では一割くらいで、よくネタにされることもあった。でもそんな自分と向き合い、正直に話し、淡々と挑み続ける、その落ち着いた姿勢に最近はなんだか風格さえ感じることがある。

唐突だけれど、私は相撲の稀勢の里関が好きだった。現役時代、駐車場で相撲を取ったら最強だと言われていて本番の土俵での難しさを知ったし、ここ一番で負けても黙々と取り組み続ける姿をずっと応援していた。
稀勢の里関の「天才は生まれつきです。もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます」という中学の卒業文集の言葉は、そのまま宇野選手の姿に重なる。稀勢の里関が横綱に昇進したのは三十歳の時だった。

宇野選手がスイスの凍った湖で演技をしたらクロスで滑っているだけで最高だと思う。だけど、本番のリンクで世界のトップに立つ日を私は何年だって待っている。

そのために必要なのが安定感なのか、爆発力なのか正直わからない。宇野選手の演技にはOboe Concertoのように流れる「水」を感じることがあるけれど、Great Spiritのように荒ぶる「火」を感じることもある。

宇野選手のボレロ(Bolero Ⅳ~new Breath~)は、宇野選手の理解者であるステファンコーチがこの火を燃やすために、全エネルギーを出し切れる器として振り付けてくれた渾身のプログラムだと思う。

高難度ジャンプが確実じゃない不安による揺らめきが火を消すリスクもあるけど、安定したジャンプだけでなく挑戦のジャンプを跳ぶからこそ炎になる可能性もある。宇野選手のFSはいつもその時の精神状態が正直に表れる演技だからこそ私は好きだ。

(私のイメージでは…水の呼吸は使いこなせるけど日の呼吸はまだ制御できない、うまく融合できれば…みたいな段階…!)

宇野選手のテレビでの扱いがひどいと怒る人がいるけれど、宇野選手の魅力をスポーツニュースやワイドショーで伝えることは無理だと思う。一位じゃないし、完璧じゃないし、誰にでも火が見えるわけじゃない。

数年前の宇野選手が最も苦しかった時期に、「応援してくれるだけで嬉しい、言葉はいらない」と言っていたのは、自分に対してだけでなく、こういう時に声をあげなくていいという意味だと私は受け取った。
人それぞれ受け取り方や信念があるだろうけど、選手を盾に自分の気持ちを満たすための言葉を振りかざすのはやめてほしい。

以前はファンの厳しい部分だけを見ていたと宇野選手は話していた。スケート界で子供の頃から注目されていた宇野選手の感情や考え方は、受け入れることも反発することも含めて、日本のフィギュアスケートの縮図のように思えることが私にはあった。

今の宇野選手が人の優しさを知ったように、これからの選手もそうあってほしい。私はどんな時もスケート界をポジティブな雰囲気や調和で満たすファンの一人でいたい。

オリンピックで宇野選手に興味を持ってくれた人がいたら、ありのままの姿を知ってもらえる発信の場が今はたくさんある。それ以上に優等生や人気者である必要は宇野選手の人生にはないと思う。リンクの外では「僕は僕のままで充分で、、今のままで本当に幸せです」と言っていたんだから。

五輪前の二週間、私は他の情報を断って唯一YouTubeで樹くんのUno1ワンチャンネルだけを見ていた。普段から大きな楽しみではあったけれど、その間どれほど安心と癒しをもらえたかわからない。本当にありがとう!

俳優の窪塚洋介さんがほぼ日のインタビューでこんな話をされていた。
「役者はミステリアスであるべきだって信じ切ってたし、プライベートをさらすだなんて、みっともないと思ってたから。(でも、価値観が変わって?)家族ができて、変わったんですよね。ダダ漏れの私生活なんだけど、そこを一瞬も感じさせない完成度で演じればいいって思ってます」

宇野選手のOboe Concertoはそんな完成度の演技だと思うし、でも私は今の宇野選手が正直に表れた演技にも成長過程を見られる喜びがある。宇野昌磨史上最高の演技を見るのはこの先の試合の楽しみに取っておこう。

その日が来るかどうかよりも、今この瞬間の宇野選手が健康で幸せであることを感じながら応援できること、それがファンである私の望むすべてだと知った北京五輪だった。

「僕は自分に正直に生きていきたい」
そんな宇野選手をずっと応援している。

シーズン序盤の頬の腫れは虫歯ではなく噛み締めによる神経の壊死が原因だったけど、心以上に体は正直にいろんなものを感じて今回も詰め物が取れるくらい歯を食い縛って頑張ったんだと思う。ゆっくり休んでね。

北京五輪を終えた選手の皆さん、本当にお疲れ様でした。どんな挑戦も勝負も美しかったです。オリンピックの先に続いていく人生が幸せであることを心から願っています。