宇野昌磨選手応援記【番外編】スマブラとOjiGaming「みんな愛してるぜ」

このところ『大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL』というゲームにハマっている。

といっても、ニンテンドーSwitchを持っていないのでもっぱら見る専門だけれど、ゲームにそんなスポーツ観戦のような楽しみ方があるんだということを、子どもの頃からわりとゲーム好きだった私も初めて知った。
そのきっかけとなったのが、宇野昌磨選手がゲスト出演した『ケプトの定時退社』だった。

宇野選手のスマブラの腕前はもちろん注目されたところだと思うけれど、それは置いておいて、それ以上に私には宇野選手のあふれるスマブラ愛が印象的だった。
この1年ほどの間、スマブラのあらゆる大会をチェックし、いろんな選手を応援しながら、そのプレーを参考にして自分でも真剣に取り組み、心からスマブラを楽しんできたのだということが伝わってきて本当に嬉しかった。

誤解を恐れずに書くと、宇野選手からそういったフィギュア愛を感じたことはあまりない気がする。
2018年のNHK杯に初めて出場した時には、記憶に残っている大会や演技を質問されても特にないですと淡々と答えていた。
私は空気を読まずに発言できる宇野選手のそういうところが好き(だと宇野選手もザクレイ選手に言っていた)けれど、五輪の時と同じようにそんな宇野選手をよく思わない人もいたかもしれない。

誤解のないように書くと、フィギュアスケートとゲームでは宇野選手の愛情や努力の方向性が違うだけで、フィギュアでは自分の使い手は自分だけなのだから、多くの人が同じキャラを使うスマブラとは追究の仕方が異なるのだと思う。

宇野選手はシャイで受け身だった十代の頃と比べたら、今では人前でも明るく何事にも積極的になっていて驚くことがある。
もちろんフィギュアでの様々な経験も大きいだろうけれど、最近はスマブラの影響もあったのではないかと思った。ウメブラという大会に観戦に行く予定だったことや、keptさんにグッズが欲しくてDMしたり番組への出演を自らオファーしたことを考えると“好き”の力は本当にすごい。

私は二十歳の頃に1年くらい、大学を休んで将棋に没頭したことがある。ネット対局だけでなく、プロの棋譜を並べて研究したり、引きこもりだったのに将棋会館に講座を受けに行ったり、各地の将棋祭りに出かけたりもした。
将棋で生きていけないかと女流育成会の入り方を調べたりもしたけど、私にはそこまでの実力はなく、やがて大学に戻り、その後は将棋をまったり見て楽しむファンを続けている。だけどあの頃、何も考えずに将棋に夢中になれる時間がなければ私は人生を乗り越えられたかわからない。

私の推測だけれど、宇野選手にとってのスマブラも、この1年そんな“救い”でもあったんじゃないかと思った。昨年のオフシーズン、一人での練習がどんなに辛くても、家に帰ればゲーム仲間と楽しくスマブラができる、それだけで乗り越えられた日もあったんじゃないか。(実際にそう話していた記憶があるので…違ったらごめんなさい)

その頃から、宇野選手のゲームは一部のファンやファンでないのに関心を持つ人たちから常に厳しい言葉をかけられてきた。フィギュアスケートを好きな層と、いまだゲームへの偏見が根強い世代や性別が重なっているのでないかと私も逆に偏見を持ってしまうくらいには逆風だった。

そんな中で「何でも良いよ笑顔なら」と言ってくれる家族がいて、話を聞いたり時には盾にもなってくれるようなゲーム配信の友人がいて、どんな時も理解あるマネージャーさんやトレーナーさんがいて、宇野選手を支えてくれていたのだと思う。
以前「本当に心から信頼できる人は、多分、片手で数えられてしまうくらい」と語っていた宇野選手だけど、自分の世界をどんどん広げている今なら、両手ではちょっと足りないくらいになっていたらいいな。

だからこそ、宇野選手が出会う新しい世界の人たちにファンが自己満足でからんでいって邪魔をしないように、そっと楽しませてもらえたらと思う。ゲームに理解があるからといってファンが声を大きくしてアピールする必要はきっとない。

宇野選手を通してスマブラの選手たちに詳しくなっていくにつれ、私の中でもプロゲーマーという職業へのイメージがだいぶ変わった気がする。他のスポーツと同じように真剣に競技に取り組むだけでなく、選手が主体的に発信や大会運営などの普及活動もする、想像以上に厳しくもあり可能性もある世界だった。

子供の遊びの延長線上にあるのはスポーツもゲームも同じなのに、なぜゲームだけが、真剣に努力を続けてトッププレイヤーになっても一般のゲーマーとひと括りにイメージ付けられるのだろう。
スマブラの選手にはnoteで文章を書いている人が意外と多くて、それだけ世間と自分たちとのギャップにもどかしい気持ち、伝えたい考えがすごくあるのではと感じた。

eスポーツと呼ばれることが、ゲームのトッププレイヤーの人たちが望んでいることなのか私にはわからないけれど、スマブラはスポーツ選手のような反射神経や動体視力が必要なだけでなく、手筋の先を読むといった将棋の棋士のような頭脳を使う競技でもあると思う。

こうした一見スポーツらしくない要素があるために、時に競技として異種的な扱いを受けることがあるのはフィギュアスケートも同じなんじゃないかと思った。スケートの技術だけでなく、表現を審査される競技でもある分だけ、見る側も複雑になって難しい。

そして宇野選手はもしかしたら、スポーツと表現が融合したフィギュアスケート、スポーツと頭脳が融合したスマブラといった、2つの能力を組み合わせて競う分野が得意なのかもしれない。
宇野選手は物事を感覚的にとらえるのではなく、ものすごく理屈っぽく考えて判断する人だと思うから、競技が複合的なものであればあるほど才能のある人たちを狭間の努力で越えていけるタイプな気がする。

私は(宇野選手のしょーぐん選手への想いと同じように)すべてを応援しているので、フィギュアスケーターの宇野昌磨選手と同じくらい、スマブラプレイヤーの宇野昌磨選手がすでに大好きになっている。

果たしてこの先、宇野選手がどういう人生を歩んでいくのか、ファンに見せてくれる範囲で応援し続けられることを今から楽しみにしている。いつかアマチュア競技を引退した後、宇野選手にはプロスケーターになる道の他にプロゲーマーになる道もあるのかどうか。
これはスマブラのオフ大会で勝てる上位のトップ選手になれるという意味より、収入があって生活ができるという意味で、所属のトヨタさんもスポンサーのコラントッテさんやmizunoさんもeスポーツに理解があって支援を続けてくだされば、宇野選手にはどんな可能性も自由も広がっている。

そんな選手の可能性や自由を、応援しているはずのファンが奪わないでほしいとフィギュアスケートを見ているといつも思う。この世界は美しく見えるからこそ、選手たちに品行方正な態度を求めるファンが多すぎる気がする。

私にはフィギュアスケートの一部のファンは、選手を応援しているというより選手で遊んでいるように見える時がある。そしてフィギュアの選手はスマブラのプレイヤーというよりスマブラのキャラクターのようだと感じる時がある。
男子フィギュアでいえば、世界で競う80人くらいの選手、もう少し多いとしても他のスポーツより限られた枠の中の選手たちを、スケート関係者、コーチ陣、ジャッジ、フィギュア担当の記者、カメラマン、そして世界のスケートファンが思い思いにいじっているような、そんな構図のゲームに見える。

フィギュアファンはプレイヤーだから、自分の理想のキャラクターを求めて好き嫌いやランクで選別し、技術を批評してアップデートで改善されることを望み、他のキャラ使いといつも煽り合っているんじゃないか。そう考えるとフィギュアファンの楽しみ方も戦い方もしっくりくる。

決してそれがダメだと言いたいわけじゃない。他のスポーツでも選手が将棋の駒のような役目だったり運命だとを感じることもあるし、実際に発売されるゲームタイトルの中のキャラクターになっている場合もある。でも選手には駒やキャラクターと違って心があるから、スポーツは厳しい世界だなと思う。

宇野選手が友人のたーぼさんのゲームチャンネルOjiGamingの中でこんな話をしていた。
「みんななんか、すごいプロゲーマーとかに厳しいからさ。プロ選手とか。僕が嫌いなのは、いやプロだからって言葉で片付ける人たちが嫌い。プロは言い返せないじゃないですか。有名人もだけど。言い返せないから、言いまくるんですよね、みんな」

その後、宇野選手はファンに「申し訳ない」と言わなくなった経緯を説明していたけれど、それは同時に、ファンの「言葉はいらない」とセットなんじゃないかと勝手に思っている。そう伝えないといけないくらい、スポーツの世界では選手とファンの関係が歪んでいるのかもしれない。

私は宇野選手のスケートだけでなく(宇野選手があばだんご選手を尊敬しているように)人としての精神の持ちようも尊敬している。だからと言って必要以上に称賛したり、理想化したりするのは大好きな人を追い込むだけだと思う。
宇野選手が楽しそうに笑っていても、本人の希望であっても、YouTubeでゲームをすることや家族がプライベートを出すことに不満を持つファンは、自分の思いどおりのキャラじゃないと愛せないんだろうか。スケート以外に興味はないと言葉にする必要があるだろうか。

将棋を見ていると、プロ棋士はファンに尊敬のまなざしで応援されているなぁと思うし、人としてありのままのキャラを愛されているなぁと思う。対局内容や結果に多少ファンの言葉が荒れることはあっても、トップ棋士の技術にまで口を出したり裏で執拗に叩かれたりすることはあまりなくて、これが健全な世界なんだとほっとする。

宇野選手がスマブラプレイヤーたちへ「みんな愛してるぜ」と照れながら言った時、たぶん長年のファンは驚いたと思う。もし宇野選手がスケートだけをしていたら、そんな言葉を聞くことは一生なかっただろうし、逆に、みんな嫌いだと言ったとしても私は頷いていた。フィギュアが美しいのは見せかけだけで陰湿な世界だとぞっとしたことが何度もあるから。これは陰謀論ではなく、それらが渦巻く悲しい土壌があるという意味で。

今はただ、フィギュアスケートの期待されたキャラクターだった自分を壊して枠の中から飛び出し、大好きなスマブラのプレイヤーとして楽しんでいる宇野選手を見ることができて本当に嬉しい。

ゲームでも顔と名前を出すようになったからこそ、フィギュアスケートを頑張ってきたからこそ、好きなスマブラの番組や大会に参加できたり、すぐに記事になって賛否両論があったり、話題になることも誤解されることも(ファンが)迷惑をかけてしまうことも、様々な場面で一喜一憂することがこの先もあるかもしれない。それでも宇野選手の新しい挑戦がどうか実を結んで、たくさんの笑顔が見られたら私はそれだけでいい。

少し前に文章の流れで、1日も早くスイスに帰れますようにと書いたことがあるけれど、それは早く収束しますようにという意味であって決してスケートに集中できますようにという意味じゃない。
宇野選手には好きな時に好きな場所で好きなことをしてほしい。たとえそれで応援する人が減ったとしても、何かを我慢してファンがたくさんいる人生より、自分がやりたいことを親しい人たちに理解してもらえる人生を歩むほうが幸せだと私は思う。

散々書いてしまった後だけれど、宇野選手の「言葉はいらない」をもう一度心に刻んで、スケートファンとしてもスマブラファンとしても「みんな愛してるぜ」の気持ちで、これからも応援していたい。

どんな宇野選手も大好きだから、ファンにも誰にも縛られないで、自由に生きてほしいと心から願っている。
そして私も、尊敬と感謝を忘れないで、宇野選手に出会い応援できる人生を心から楽しみたいと思っている。