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「筒香球場」を探して

 年の瀬が近づき、野球選手にも束の間のオフが訪れた。それは、メジャーリーガーでも変わらない。

 レイズやドジャースでは苦しんだものの、パイレーツに移籍した夏頃からは確変でも起こしたかのように長打を放って存在感を増した筒香嘉智もまた、故郷・和歌山県橋本市に帰っているという。

https://www.asahi.com/articles/ASPDP6WR0PDPPXLB001.html

 来季はさらなる飛躍を果たすために英気を養うとともに自主トレに励んで頂くこととして、気になるのは「筒香が橋本市に球場を建設している」ということだ。
 野球振興のため、選手がオフシーズンに野球教室をやったり、子どもたちにグローブを贈ったりすることはよくある。それらを飛び越えて、故郷に野球場、しかも内外野天然芝のメジャー仕様のものをつくりたいどころか既につくり始めているという、何ともスケールの大きい話なのが実に筒香らしい。

 だが、上記のニュースが世に出たのも割と最近、しかもつくり始めとあって球場の詳細はよくわからない。

 いったいどこに、どういう球場をつくっているのか。俄然興味がわく。もっと言えば、いったん完成した球場ならいつでも見られるが、建設中の球場を見られるのは当然建設中の間だけだ。
 これは、見に行くしかない。そう決めて、12月24日、クリスマス・イヴに浮かれる世間をよそに和歌山県橋本市を訪れた。


 さて、そう決めたはいいものの、どう探したらいいのか。どの記事を見ても、「橋本市あやの台に野球場を建設している」という実にアバウトな情報しかない。地図と己の勘だけが頼りの旅になる。加えて、車もないので移動は足だ。

 地図を見るとどう考えても車でしか行けなさそうな立地だが、文句は言えない。とりあえず、堺東駅から南海高野線で橋本駅に向かう。
 一応1本で着きはするのだが、急行でも40分ほどかかる。平日昼間、数少ない乗客とともに電車に揺られる。

 思えば、筒香も中学の頃は堺のボーイズチーム、堺ビッグボーイズに入っていた。今走っているこの線路は、幼き頃の筒香もまた辿った道なのかもしれない。さすがに親の送迎なのかもしれないが。というか、筒香はなぜわざわざ移動だけでも負荷のかかる堺のチームに入ったのだろうか。
 とにもかくにも、筒香のボーイズ時代に思いを馳せながら電車に揺られるうち、橋本駅に辿り着いた。

橋本駅

 当然のように、何もない。車社会なので、人も歩いていない。
 とりあえず、歩こう。それがまちがいの元だった。

 駅の裏手の上り坂を、ふうふう言いながら上る。

橋本 坂道

 あやの“台”というくらいだから、台地なのだろう。こんな坂くらい、当然だ。あの丘の上の学校に通っている子たちは、さぞ足腰が鍛えられていることだろう。そんなことを考えながら、大きな工事現場を探す。

 ……本当に、何もない。あるのは学校と、林と、畑だけ。畑では何かが燃やされているが、きっと誰からも文句など言われないのだろう。幹線道路にぶつかるまで、そんな台地の中をさまよい歩いた。

 ……いや、おかしい。膝が震えるころになってようやく考えた。記事の通り、もう建設に着手しているなら、林が切り拓かれているはずだ。だが、そんな形跡はない。だいたい、平らでもない土地になぜ球場が建てられるのだ。

 結局、駅の裏手の台地をぐるりと回っただけでいったん駅に戻る。改めて調べる、あやの台とはどこだ。

橋本 地図

 なるほど、橋本市駅からはそこそこ東に向かう必要がある。そして、バスの路線図を見たら、そこには「あやの台中央」の文字が。そうか、足じゃなくてバスに頼るべきだったのだ。

橋本 バス路線図

 すぐさまロータリーに停車していたバスに乗り込み、「あやの台中央」へ。他にも「あやの台」と名付けられたバス停はあるが、吟味している時間はない。

 あやの台中央で降りると、幹線道路沿いに商業施設や大きめの飲食店があり、橋本市駅周辺よりはいくぶんか人の気配がする。
 同じく幹線道路に沿って、またも台地となったエリアがある。今度こそ、これこそが「あやの台」だったのだ。

 1時間に1~2本程度の帰りのバスを逃すわけにはいかない。東京に帰る時間を考慮すると、本当のあやの台に滞在できるのはもう正味30分ほどしかなかった。

 この近くだと、信じるしかない。

 駆けるように台地を上ると公園がある。おお、なんか球場つくれそうかも。さらに奥へ奥へと進むと……そこは、ひたすらに住宅街だった。まっすぐ行っても、角を曲がっても、家、家、家。どう考えても、典型的な宅地開発された台地だ。じゃあ、球場つくれないじゃん。

あやの台 眺望

あやの台 眺望2

(あやの台から眺めた橋本市街)

 そうこうしている内に、あっという間にタイムリミットが訪れた。

 ダメだった。筒香球場(仮名)に、巡り合うことはできなかった。途方に暮れながら、高野線の駅(帰りは林間田園都市駅を使った。橋本駅よりも2駅難波寄り)に向かう。

 球場を探しながら、過去の記事も見ていると、筒香がオフに橋本市長を表敬訪問したことは去年もニュースになっている。

https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/202001180000811.html

 この時も、球場の話が出ている。ただし、筒香がつくっているわけでも、つくろうとしているわけでもない。市長に、「野球場をつくって」とお願いしているのだ。

 橋本市には、野球場がないのだと言う。そりゃそうだ。死ぬほど歩いて痛感した。申し訳ないが、市内には野球のヤの字の気配もない。

 それが、筒香の心の中に引っかかっていたのだろう。そして自分がつくる方が早いと思ったのだろう。ちょうど1年後の今は、市長にお願いでなく「つくっています」という事後報告をするまでになっていたのだ。

 単なる野球振興や、故郷へのアピールではない。本気で、未来の故郷の子どもたちのために筒香は行動しているのだ。今は畑や商業施設しかない橋本市にも、本格的な球場ができれば、いつしか野球が浸透するのかもしれない。

 迂回の多さゆえにかえって筒香の心の内に少しだけ近づけた気がした。

 帰りの車中、最後の悪あがきで車窓に目を凝らした。どこかに、工事現場はないか。すると、「あやの台一丁目東」を過ぎた辺りだっただろうか、急に台地から軒先が消え、代わりにフェンスがめぐらされていた。
 それも、けっこう大規模だ。フェンスの奥には、わずかに重機の姿も見える。

 きっと、これなのだろう。これだと信じよう。このバスを逃すわけにはいかないから降りて確認はできないけど(おまけに写真もありません)。

 今は野球に恵まれた環境ではないかもしれない。それでも、橋本市が生んだ日本の大スラッガーは、本当にスケールの大きなことをやろうとしている。
 いつしか筒香球場(仮名)が完成した時には、橋本市の子どもが白球を追っていることだろう。

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