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恋とか愛とかいう死に関する考察

 人は恋をすると馬鹿になると誰かが言った。出典元は不明である。私はそうは思わない。人は恋をすると死ぬのだ。

 本記事では人は恋をすると死ぬという仮説に基づき、以下の三点について考察する。誰が死ぬのか。恋をすると死ぬと言うのなら、いま私とすれ違った恋人たちはゾンビなのか。なぜ恋をすることが死に繋がるのか。

 まず、誰が死ぬのかという第一の問について考える。恋をすると死ぬのは恋をする前の自分である。恋をする前の自分が死ぬと、恋をした後の自分が“自分”という存在を無意識下で引き継ぐのではないだろうか。
 いくつか例を挙げる。恋をする以前は「私は男に媚びたくないから」と居酒屋でジョッキ片手に言っていた友人がいた。その彼女が彼氏が出来る前後からカンパリオレンジを好むようになるのは恋をする前の彼女はジョッキを片手に死に、恋をした後の彼女がカンパリオレンジを片手に生まれたからである。恋をする以前に「どうせ結婚しないだろうから老後は一緒に暮らそうね」と言っていた友人の右手薬指に銀が光ったのでその話をぶり返すと覚えていないのは、恋をする前後の“自分”間での引き継ぎ時に伝え忘れがあったからである。

 次に、恋人たちはゾンビなのかという第二の問について考える。一点目の問に対する考察から、新たな“自分”が生まれているので厳密に言うとゾンビでは無いのだが、一度も死んだことの無い私から言わせてもらうとゾンビのようなものである。(これは感覚に基づく記述であるため実証性に欠けることは重々承知である。)つまりクリスマスやバレンタインや夏祭りなどは死者が盛り上がるためのイベントであり、生者である我々が楽しめないのは対象とされていないからである。死者の行進、死者の行列。恐ろしいことである。昨今では我々のような生者向けの物販や催しも増え、どちらも対象にしたビジネスチャンスも逃がさない工夫が垣間見える。

 最後に、恋をするとなぜ死ぬのかという第三の問について考える。結論から言うと死ぬ必要があるから死ぬのではないだろうか。恋をすると、ほとんどの人は相手から好かれたいと思う。そして好かれるためには今の自分ではなく相手の好みに沿った自分が好かれると思い込む。そこで自死の必要が生まれ、実行され、新たに“相手の好みに沿ったであろう自分”が誕生する。

 以上の三点から私は人は恋をすると馬鹿になるのではなく、人は恋をすると死ぬと考える。拙い文章ではあったが最後まで読んでくれた読者諸君には感謝を述べると共に次の一文を本記事の最後としたい。死にた〜〜〜い!!!

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