イエスタデイヘッダー

ダニーボイル×リチャードカーティスの映画『イエスタデイ』は実質「船越英一郎と崖」だった話



初めてnoteを投稿する。

まず知っておいてほしい前提として、私は今、中国は北京に住んでいる。北京での生活については追々話すとして、今回はとにかく映画『イエスタデイ』について話したい。

日本でも現在公開中らしいので、もうご覧になった方も多いのではないだろうか。私は中国国内の動画配信サービス「腾讯视频(テンセントビデオ)」で見た。中国語+英語字幕で見たので、私の理解が及んでいなかったり、日本語字幕とニュアンスが違う部分もあるかもしれないのでその辺はご容赦いただきたいが、以下、感想である。※軽ネタバレあるかも




まずはこの映画、私がめちゃくちゃ見たかったやつだ。夏に一時帰国していたとき、劇場で予告を見て、「あっ、うわっ、これめっちゃおもろそう!…あ~10月公開か~!中国で絶対劇場公開なさそうやし、あきらめなあかんやつ~」とテンション爆上げから谷底まで突き落とされたやつだ。(※中国では1年に劇場公開される外国語映画の本数が制限されているらしく、こういう映画はまず公開しない。)

何が私を惹き付けたかというと、まずはその制作陣。監督に「トレイン・スポッティング」「スラムドッグ$ミリオネア」のダニー・ボイル先生(ドン!)、脚本に「ラブ・アクチュアリー」「アバウト・タイム」のリチャード・カーティス先生(ドドン!)という、イギリスの才能と才能ガチンコぶつかり合いの激アツ映画なのである!!!(ドバーン!地球ボカーン!!!)

さらにはその設定。「もしも世界中で『ビートルズ』を知っているのが売れないミュージシャンである自分1人だけだったら…?」荒唐無稽かつ、キャッチ―!キャッチ―が過ぎる。思いついたもん勝ちの設定大勝利映画である。

そんなこんなでめちゃくちゃ楽しみにしてた映画だったもんだから、テンセントビデオで見つけたときにはうれしすぎてたぶんちょっと浮いた。そして、すぐさまビールを用意し、見た!!!

ビートルズ最高~~~(泣)

これは紛れもなくビートルズ最高映画である。「ビートルズがいない世界」を描くことによって「ビートルズ最高じゃね???」を具現化した映画である。

なぜか世界中で12秒間電気が止まった夜、売れないミュージシャン・ジャックはバスにはねられてしまうのだが、ジャックが目を覚ますと、そこは「ビートルズが存在しない世界」だった…という話。ジャックが初めて「イエスタデイ」を弾き語って聞かせたときの友人たちの衝撃、そこからビートルズの曲を発表し続けトントン拍子でスターダムをのし上っていくジャック。どれも「ビートルズの曲最高」が大前提でそこは疑いの余地すらないのが気持ちいい。

しかもジャックは白人じゃなくてインド系(あるいはパキスタン系?)なのだ。さらに見た目も良くない(とケイト・マッキノン演じる凄腕マネージャーに言われ続ける)。きれいごとでなく実際問題として、「誰が」「何を」発表するかというのは少なからず影響するかと思うのだが(劇中でも「赤毛のエド・シーランがラップ歌ってんのはアレやな」みたいなこと言われてたはず)、ジャックが人種もルックスも乗り越えて世界中で人気を得ていくのは、純粋に「ビートルズまじ最高」以外のなんでもなくて、最高に気持ちよかったし、その意味では最高のキャスティングだと思う。ヒメーシュ・パテル、歌もめちゃくちゃうまいしな!

キャスティングで言うと、ジャックの幼なじみかつ献身的なマネージャー・エリーを演じるリリー・ジェームズもよかった。リリー・ジェームズと言えば個人的には大好きな映画『ベイビー・ドライバー』のデボラ役なんだが、『イエスタデイ』のリリーも、そのどことなく親しみやすいようなルックスと、それでいてなんだか手に入れがたいような愛らしさが役にぴったりだった。

そして、これ、めちゃくちゃリチャード・カーティス映画だった。①イギリスが舞台のロマコメ、②素敵な友達カップルが出てくる、③やべー友達(今作ではロッキー)が出てくる、という3点において、やっぱり脚本のリチャード・カーティス色がかなり強く出ている。

※完全に余談だが、他のリチャード・カーティス要素としては、「友達みんなで車に乗り込んで急いでどっかへ行く」「結婚式」「郊外の素敵なホテル」等が挙げられ、これらの要件をすべて満たしているということから、私は『あと1センチの恋』を「実質リチャード・カーティス映画」と認定している。そして、めちゃくちゃ大好きで年に1回は見る。

そして、今作でもっとも「うわ~リチャード・カーティス~!」と思ったのが、ジャックが「あの人」に会うシーンだ。ジャックと「あの人」はきれいな浜辺を歩きながら話す。そう、これは『アバウト・タイム』のあれなのだ!!!

アバウトタイム 浜辺

これは絶対にわざとだと思う。リチャード・カーティス、泣かせるときには男2人(それも親子かそれ以上年の離れた2人)に浜辺を歩かしよるのだ。そしてカーティスの計算どおり(?)、私はこのシーンにかなり心を揺さぶられてしまった。「ビートルズのない世界」で人生が大きく変わったのはジャックだけではなかった。「ビートルズ」が存在しなければ、今頃「彼」はどうしていただろうか?「ビートルズ」の存在が「彼」(ないしは「彼ら」)にどんな犠牲を払わせたのだろうか?そんなことについ思いを馳せる。

「リチャード・カーティスと浜辺」、これはさしずめ「船越英一郎と崖」みたいなもんである。船越英一郎が崖に来ると「あ、これはクライマックスだな」とわかるように、リチャード・カーティス映画で浜辺が登場すると、それはもう感動的なシーンなのだ。監督としては『アバウト・タイム』で引退してしまったリチャード・カーティスだが、これからも「浜辺」を使ってくるのだろうか?監督としてはすでに引退してしまったリチャード・カーティスだが、脚本だけでも存分にその個性と才能を発揮している。一介のリチャード・カーティス研究者として、今後の動向に注目したい。

ただ、リチャード・カーティス映画としては、ロマコメ要素には個人的にあまり満足できなかった。ジャックとエリ―は幼なじみでいつもいっしょにいる「親友」なのだが、恋愛関係に発展したことはなかった。中盤の2人の葛藤や、エリーの使う“column”という言葉はとても印象的だったけど、2人の関係の決着のつけ方については、なんとなくすっきりしないものだったかなあ。

しかし、総合するととにかくビートルズ最高映画だったし、リチャード・カーティス映画だった。私はイギリス的カルチャーがめちゃくちゃ好きで、月に1、2度は「イギリス」をどうしようもなく摂取したくなるという発作が起きるのだが、そんなときにもちょうどいい映画かと思う。(ジャックの両親がすごくいい味だしてて、ジャックが“Let It Be”を演奏して聞かせようというときにご近所さん招き入れちゃったり、紅茶淹れるためにお湯沸かしたりするのがめちゃイギリスだった。)

列車がすぐ横を通る小屋でレコーディングするシーン、そしてそんなジャックがどんどんスターへの階段を駆け上がっていくシーンは楽しく痛快で、昨年ヒットした『ボヘミアン・ラプソディ』にも似通った部分があるが、SNSやエド・シーラン(自分の曲を着メロにすなよ)の助けを借りたり、ジェームズ・コーデンの“The Late Late Show”に出演したりするところに現代という時代設定の妙があり、おもしろい。

最後にジャックが子どもたちと歌う“Ob-La-Di, Ob-La-Da”、そしてエンドロールで堂々ご本人登場といったところの“Hey Jude”では、なんだかとてつもない幸福感に包まれた。“A world without The Beatles is a world that's infinitely worse.(ビートルズのない世界はずっとつまらない)”というセリフが出てくるが、まさにそうで、私たちはビートルズのある世界を存分に享受すべきなのではないだろうか。

もちろん今もビートルズを聴きながらこのnoteを書いている。万が一「世界中のみんながビートルズを知らなくて、私だけが知っている」という状況に陥ったときのために、ビートルズの曲を練習しておこうかとすら考えている。


でも私ギターもピアノも何にもできんから詰んだなあ。






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