犠牲と自己実現

「未来のために今の自分を犠牲にすること」と、「いまその瞬間を楽しもう」ということは、矛盾してるようで矛盾していないということに気づくことは生きていく上でけっこう大事なことだと思います。

自分の好きなことをする、自分が楽しいと思うことをする、ということはもちろん大事だし、好きなことをないがしろにして言い訳はありません。ただ、僕が思うのは、じゃあ、なぜそのことがあなたは好きになったのか、考えてみることが大変役に立つと思っています。そして、さらにややこしくするようですが、その好きになった理由や出来事もそれほど大事ではないと思います。一番大事なのは自分の心がどのような変化を生じながらそのことを好きになったのか、そのプロセスをつぶさに見ていくことだと思います。最初は嫌いなものがやっているうちにだんだんと好きになっていくいう経験は誰にでも少なからずあると思います。その時に何が起きているのか。よく言われるのは得意になってできるようになるから、好きになるというもの。本当にそうなのでしょうか。なぜできるようになったのでしょうか。繰り返し練習したから?それもあるかもしれません。僕はそれだけではないと思います。僕が思うのは、「心地よくやりたい」という「本能的な目的」に向かって、そこに心を添わせる試行錯誤を何回もしたからだと思います。人は皆、嫌なことはやりたくないと思います。だから、自動的に「嫌じゃない」ように考えようと、自分なりの「嫌じゃない」ポイントをいろんな角度から検証しながら試していくから、なんとなく自分にとって、その作業が心地よくなっていくのだと思います。つまり、先の「得意になる」ということはその人にとって、「嫌じゃない」一面だったのでしょう。その人は「向上すること」に喜びを見出す性向があるのかもしれません。だから、別に得意になることが好きでない人は他のことを考えないといけません。例えば、出来上がりを人に見せることが好きな人がいたら、それが心地よさを得る方向になるのだと思います。だから、嫌いじゃなくなる試行錯誤をするには、その数だけ、観点が必要となります。その観点は自分の内面的な性向にたいし、切り口をいくつも与えてあげることだと思います。その切り口はどうやったら手に入るか。勉強するとか本を読むということです。だから、勉強しない人は視野が狭いし、「好きなものが好き!」から動けなくなってしまい、新しい情報を取り入れることが少なくなります。そうすると嫌いなものを嫌いではなくなるチャンスを失ってしまい、考えが固定されていくように思います。

最初の問に戻ると、今その瞬間を楽しむというのは、その人は好きなことだけをしている、と同時にすることを好きになる能力がある、とも言いかえることができると思います。

だからその人は未来への投資として今の時間を使って苦労しているかもしれない、ですが、その人は我慢はしていないのだと思います。

我慢をしていないということは、心に沿わないやり方ではやっていない、無理やりにやろうとしていない、ということです。

あくまで嫌いじゃなくなろうとする試行錯誤の上で物事を行っているのだと思います。

好きなれる能力を磨いていくことって大事なんだと再認識しました。

いただいたサポートはためて還元します!