人のことを思って?お前、自分のことだけやんけ。

人のことを気にしすぎて、自分の意見が言えないんです。
人の意見を優先することが、自分はうれしいんです。

そういう風に考えている人は、それが本当か一度自分の胸に問い直してみると違う発見があるかもしれません。

人のことを気にして意見をいけない、それ自体は悪いことではないと思うんです。相手のことを思ってそれを優先するってすばらしいことだと思うんです。

でも、あとで、「本当こうしたかったのに」って絶対思っていないですか?もしもそう思っているなら、それは、「相手を優先したい」が自分の本当の喜びではなかったのではないでしょうか。

もし、こうしたかったのに、と思ったのなら、それは我慢しただけではないでしょうか。あるいは自分の意見が他人と衝突するのを避ける、というのが自分の優先順位になっていたんじゃないですか?あなたが気にしているのは他人じゃなくて自分じゃないですか。

もしも、本当に相手を優先することが、今生の喜びなら、その時点で「相手の意見を聞けてうれしい」となりませんか。そこで完了しませんか?気持ちがうれしさいっぱいになっていませんか。

嘘つきになってないか?

もしもなっていないなら、それは自分を偽っていることになると思います。あなたは嘘つきです。大義名分としていた、「他人を気遣う」もできていないのではありませんか。その人のことを本当に考えましたか?その人の立場に立って考えましたか?その人は、言いなりではなく、「意見を聞きたい」と思っていたのだとしたら、どうですか。意見を聞きたいという相手の期待に応えるのなら、意見を言うことがこの場合正解じゃありませんか。

じゃあ、もう一回考えて、自分が本当に人のことを気にしているのか、それか、ただ自分の意見を言いたくなかっただけか、考えてみませんか?答えはどっちでもいいです。もし、自分の意見を言いたくなかっただけなら、「あんまし言うの得意じゃないんだ。」と言ってみるのがスタートじゃないですか?

そしたら、相手は「得意じゃなくてもいいよ。いってみなよ。」ってなりそうじゃないですか?それが自分のことばで話すということじゃないですか?自分の言葉で話したから、相手はその不安な気持ちに寄り添ってきてくれたんじゃないですか?

世界を言葉で動かすってそういうことじゃないんですか?

そこに、「あなたが機嫌悪かったから」言わなかったとか、「そういう雰囲気じゃないから」言わなかったとか、それって何か意味があるんでしょうか?それを言って、相手が寄り添ってきてくれるでしょうか?相手のせいにしておいて、その人が寄り添ってきてくれるでしょうか。相手は、機嫌が悪かったから言わなかったんじゃないですよ。あなたが、「機嫌が悪そう」と決めつけたことに機嫌が悪くなってるんですよ。

それにいい加減気づきましょうよ。

それは、きつい言い方だけど「自分のせい」じゃないですか?でも、相手の反応も返れるくらい簡単な「自分のせい」じゃないですか?そう思いませんか?もしもそれがやっぱりできなくて、「あんまし言うの得意じゃないんだ。」が言えないのなら、やっぱりあなたは相手のことを考えることができない人間ということじゃありませんか?

それのくせに、相手に共感性がない、と決めつけ、なぜ、「「そういう雰囲気じゃないから」と言いたくなる気持ちが分からないのか。」

という風になるのですか?

それは自分のこと、それも自分のうわべの主張を押し通すこと、しか眼前にないじゃないですか。


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