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自己中 ≠ 自分勝手

 先日の「世界の幸せ=私の幸せ」の記事で予告したとおり、
今回は「幸せと欲」についての思考を出力しようと思っていたのですが、

 そいういえば、
「世界の幸せ=私の幸せ」は、
「私の幸せ=世界の幸せ」であり、
その為には、「自己中心的になれ」
という事をお伝えたのですが、
これ、勘違いする方がいるかもしれないので、

 今回は、予定を変更して、
私の思う「自己中心的な考え」について出力していきます。

 「世界の幸せ=私の幸せ」をまだ見てない方は、
下記のリンクからご覧いただけます。
https://note.com/5nta63/n/nbcb42c5de676


前提

 ここに書く事は、
私の考えであって、辞書通りではないです。

 そもそも、辞書とか調べてません。

 面倒なので。

自己中は悪ではない

 世間一般的に、自己中心的な考え方、
所謂、自己中について、よくない、と思ってる方が多いかと思います。

 私はそうは思いませんが。

 何故か。

 単純に、定義が違うからだと思います。

 一般的な解釈とは違うのかもしれませんが、

 私の思う自己中って、
自分の本心に正直になって行動する事なんですよね。

 ん。世間一般的な考えと同じじゃないか、って?

 いや、違いますね。たぶん。

 何故か。

 あぁ、例え話をしますね。

本心ってなんだ

 本心って、
根本の感情や願い、、なのかなと思っています。

 例えば、

 「好きな人と一緒に居たい」

 それが本心としましょう。

 でも、その人と喧嘩をして嫌な気分になったとき、
話したくない、目も合わせたくない、別れたい等、
そんな事を思っちゃったりする事があるかもしれない。

 実はこれって、私の考えでは、
一時の感情であって、本心ではないんですよ。

 その一時の感情に流されて、別れるに至ったとすると、
さきの「一緒に居たい」という本心とは全くかけ離れてますよね。

 根本の感情よりも外で、
身勝手に動く一時の感情を本心と勘違いして、振り回されてしまっています。

 これを、私は 自己中ではなく 自分勝手 と表現します。

自己中の真意

 先ほどの例のように、
「好きな人と一緒に居たい」のであれば、
その目的を達成する為に努力する必要がありますね。

 それが、自己中になる という事です。

 喧嘩をして、
話したくない、目も合わせたくない、別れたい等と思って、
本当にそうなった場合、嫌じゃないですか。本心じゃないし。

 だったら、そうならないように、
本心を追求する自己中心的な考えで、
一時の感情に流されずに、
話すし、目を合わせるし、別れないんですよ。

 或いは、相手の事やタイミングを考えて、
話さないし、目を合わせないに至る事もあるでしょう。

 これについては、相手の事を考えているので、
自己中ではないようにも思えますが、
話さないのも、目を合わさないのも、
本心である「一緒に居たい」という自身の考えを達成する為の手段です。

 ですから、
間接的に相手のことを考えているだけで、
自己中には変わりないんですよね。


自己中が世界を変える

 幸せを求めるとなると、
その願いやウキウキした感情に、自己中で存り続けなければなりません。
そうすると、手段として間接的に周りの人たちの事も考える事になるので、
周りの人たちの心も動かせるかもしれません。

 そして、周りの人たちも自身の幸せに対して自己中になって、
さらに周りの人たちの心を動かし、自己中の輪は世界の輪になるのです。

 まぁ、そうなったらいいなという話なんですけど。。


あとがき

 いつものようにしりつぼみ感のある記事でしたが、
まぁ、いいや。

 また不定期で出力していきます。

 ありがとうございました。

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