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「ウサギとカメ」を読んで感じた圧倒的絶望とひとすじの希望
この前ふとしたきっかけで昔話「ウサギとカメ」を読む機会があった。
懐かしいなと思いつつ、私はこの話における残酷な事実に気がついてしまった。そのことにより非常に落ち込み苦悩を強いられた。
しかしその先にひとすじの希望も見えた。
ひとかけらの救済を見つけ出した。
この気持ちは一人ではとても整理できないので、この場をかりて吐きださせて欲しい。
そもそも「ウサギとカメ」は、才能があっても油断したりさぼってはいけない、逆に言えばコツコツがんばれば報われるという教訓が得られる話である。
しかし、カメは努力をすれば必ず勝利という結果を出すことができただろうか?
答えはノーである。なぜなら、このカメの勝利は対戦相手のウサギが、どうしようもない愚か者だったという事実があってこそだからである。
この驚くべきほど愚かなうさぎは、こともあろうに競走中に寝てくれた。普通に考えて、競走相手がレース中に寝てしまうなんてことはあろうはずがない。
この世界では古今東西、様々な競走が行われているが、選手がレース中に寝るなんて異例中の異例で、ごくごくまれにしか起こり得ない。
カメがあきらめずに最後まで走りきったことは賞賛に値することは間違いない。カメにとって決して得意でないことを最後までやり通したことはすばらしい。
しかしこと勝負に関して言えば、対戦相手が寝てしまうという前代未聞の出来事がおこらなければ勝利は転がり込んではこなかった。このウサギが並外れた愚かさを有していなければ勝つことはできなかった。
ウサギレベルの足の速さなら、途中でコンビニによって肉マンを食べるとか、しばらく立ち止まってスマホでマッチングアプリサイトをながめるとか、ヤフーニュースにコメントをするとか、映えスポットで盛れた写真が撮れるまで自撮りを繰り返すとか、ツイッターでレスバトルをするとか程度の不真面目さがあってもカメには勝てていたはずである。
少しくらいのハンデ、いや、かなりのハンデがあってもカメはウサギに競走で勝つことはできない。
ではなぜカメはウサギとの競走を受けたのであろうか。
カメはウサギと旧知の仲で、そのパーソナリティを理解していて、ウサギは競走中に寝込んでしまい勝つことができると踏んだのだろうか。
いや、それは考えにくい。カメがいくらうさぎの性格を把握していてウサギは愚かだと分かっていたとしても、競走中に寝るなどという、おおよそほぼすべての生き物が想像できないことを予想するのは不可能である。
カメは負けると分かっていても、ここで引いたらカメ族の沽券に関わるという必死の覚悟で競走に挑んだのであろう。カメには負けると分かっていても戦わなければいけない時がある。今がまさにその時だ。屍はお前が拾ってくれ。
そんな気分だったのだろう。
例えるなら、花垣武道が東京卍会を率いて、圧倒的な勢力を誇る関東卍会に挑んだ時のような気持ちだったのだろう。
カメや東京卍会は勝つことはできない。
よほどの僥倖がなければ。
そうここで私は気が付いてしまったのだ。
ウサギとカメの話からは、才能がなければ努力をしても、相手が競争中に寝るというレベルの奇跡が起きなければ無駄(勝てない)ということが読み取れる。
努力は圧倒的な才能を前にしてしまえば無力。
こんな事実を私は突きつけられてしまった。
私はどちらかというとカメ側の人間である。
これといった才能はなく、地道に努力をするタイプだ。
ウサギのように速く走れないし、よく聴こえる耳もなければ、モフモフでかわいくもない。
私が努力したとしても、才能溢れたうさぎ側の人間には一生勝つことができない。
私はウサギとカメの話を読み、このような辛い現実と向き合わざるを得ない状況に陥ってしまった。
私はこの身も蓋もない事実が悲しすぎて、一晩中泣いて泣いて泣いて気が付いた。それはともだちなんかじゃないという想いではなく、カメがウサギに勝つ方法である。
やり方によってカメにだってウサギに勝つ方法がある。これに気が付いた時、先ほどまで慟哭していたのが嘘のように、私の表情は晴れ上がった。
才能溢れるウサギにも弱点がある。そしてどんくさいカメにも得意なことはあるのだ。
うさぎから勝負を挑まれたら、競走という相手の土俵ではなく、こちらが有利になるような舞台で戦えばよい。
カメはウサギと勝負をするなら、水泳をすれば良いのだ。才能が溢れるうさぎは自信過剰であり、何事も自分は負けるはずがないと考えていると思われる。
だからカメはウサギに対して、泳ぎで勝負するように言葉巧みに導けばいいのである。
自信の塊であるウサギは、カメになんてどんなことであっても負けるはずがないと思っているので、きっと泳ぎの勝負であっても受けるだろう。
何も相手が得意で、自分が苦手な分野で戦うことはない。自分の強みを活かして、世の中を渡っていけばいいのである。
私はこの事実に気が付き、こわばっていた身体から力が一気に抜けた。
カメ側にたつ私のような人間でも、ウサギ側の人間と対峙できるのである。しかもやり方によっては勝つこともできる。
これは私のようなカメ側の人間にとっては希望の光である。救済の福音である。
もう私はウサギ側の人間に蹂躙されるのはまっぴらだ。私は私(かめ)の戦い方で、この世界を生きていこうと誓った。
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