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敵は杉並区にあり

見えない敵と戦う。それは辛いことである。

目の前に明らかに敵と分かる相手がいれば、その出方によって戦う方法も考えられる。

正々堂々と真正面から勝負を挑まれるならば、相手にならなくはないという覚悟はもっているつもりだ。

ちょっと強そうな人だったら、全力で逃げるかもしれないが、目の前に相手がいれば逃げるか逃げないかという判断も自分でできる。

敵が目に見えていれば対策の取りようがあるのだ。

ただ、いくさの相手が見えない場合は様相が変わってくる。
明らかに敵はいるのだが、表には現れないという現象がこの世の中には起こりうる。

これは恐ろしい。

きっと昔の人は、目に見えないが戦わなければいけない相手について、鬼とかオバケとか悪霊とか名前をつけたり、絵などで表現することによりある種の安心を得ていたのであろう。

とりあえず、怖い物でも像として表すことができれば安心なのだ。
一番怖いのは、何と戦っているか皆目検討がつかないことなのであるから。

何が言いたいかというと、私はここ数日、目に見えない敵と戦っているのだ。
その敵との戦いに心が挫けそうなのである。

パトラッシュ、もう僕は眠たいよ。パトラッシュ、僕はもう一歩も歩けない。ああ、パトラッシュ、今までありがとう、とパトラッシュと一緒に教会で横たわるくらい、精魂が尽き果てていた。

私の精魂は目に見えない敵により奪われてしまった。横取り40萬と同じくらいの酷さである。ショーバイショーバイではなく、私は仕事にも身が入らず、毎日身を悶えさせているのだ。逸見さんになんとかしてもらいたいと思いつつ、その願いも叶わない。

その見えない敵とは何かというと花粉である。

ついにこの季節がやってきた。

なごり雪は降る時を知り、ふざけすげた季節は過ぎてない気がするのだが、もう春らしい。

花粉のせいで鼻水がやばい。

先輩、お別れなんて言わないで。
私、私、鼻から涙が出て止まらないよ?
もう明日から会えないなんて。
鼻から涙が出て私もう枯れちゃうよ?

というくらい鼻水が止まらないのである。エンドレスレインでもなくエンドレスソローでもなくエンドレス鼻水である。

うちにあるティッシュを消費し尽くすかのごとく鼻水である。
肥沃な大地を一瞬にして覆い尽くし、人間が一年間大切に育ててきた農作物を全て蹂躙するイナゴのごとく、私の鼻水は私の鼻から次から次へと湧いてくるのだ。

その鼻水は、まるで無限の泉のいでる水のようであり、決して枯れない魔法の井戸の如くである。

見えない敵である花粉が私にもたらす鼻水。

絶対に負けそうな戦いがここにはある。

杉並区というワードを見るだけで、鼻水が溢れてくる戦いがここには確実にあるのだ。

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