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揚げるのか揚げ焼くのか

猿荻レオンさんから紹介していただいた。
嬉しい。


以前、私が猿荻レオンさんの作品に度肝を抜かれ、私の記事で紹介させていただいてから、私の記事もありがたいことに読んでいただいているとのことで、かなり嬉しい。

猿荻レオンさんの文章は、全体の構成力が素晴らしいのはもちろんのこと、細部まで研ぎ澄まされていると私は思っている。

今回、紹介していただいた文章でも最初から、驚かされた。この記事は猿荻レオンさんが鱚を揚げているところから始まる。

ただ猿荻レオンさんは人に「平日から揚げ物をするのですね」と言われると、猿荻レオンさんは、揚げているのではなく、揚げ焼いているから焼き物なのだと答えるという。

文章のさわりの部分であり、さらっと書いている短いエピソードである。ただ、私はここにまず心を打たれた。ああ、この気持ちすごく分かる。なんか自分もこんなふうに言っちゃうなっていうのが深く共感できた。

ちょっと私の文章では何を表現しているのか不明だろうが、猿荻レオンさんの文章を読めば絶対に意味が分かる。私以外にも、猿荻レオンさんの文章を読めばこの気持ちが理解できる人がいると思うので、ぜひ読んでみて欲しい。

ただ、この気持ちをもっていることを多くの人は普段は意識しないだろう。

なぜならなかなか言語化できないからだ。言語化できないことは意識にのぼりにくい。
あえて言うなら、謙遜、カッコつけ、斜に構える、などの感情を混ぜ合わせたものだろうか?
力不足な私にはうまく表現できない。

だが、猿荻レオンさんは、私ももっているこの気持ちを「平日に揚げ物をしていることを人に伝える時、自分は揚げているのではなく、揚げ焼いていると言う」という短いエピソードを語る中で、完璧に表現している。
さすがである。冒頭から完全に気持ちをもっていかれた。猿荻さんの感性は、常人が見えないものをも感じ当てるのだろう。

私がこのような「揚げる」を「焼き揚げ」と言いたくなるような感情を抱く具体的な場面ってどんな時だろう?と今日は一日中考えていた。
仕事そっちのけである。

例えば「マラソンをしているのですね」と言われた時に「ハーフマラソンの大会に年に数回でるくらいですよ」と言う時だろうか。

うーん、似ているがちょっと違う。マラソンとハーフマラソンの関係性と、「揚げる」と「揚げ焼く」の関係性に違いがある。

ハーフマラソンはマラソンより距離が短いだけなので、マラソンが単純に優位である。家族関係で例えれば親子である。

しかし、「揚げる」に対して「揚げ焼く」は必ずしもどちらが優位とは言いにくい。揚げ焼く方が美味しい場合があるだろうし「揚げ焼く」というワードには「そうきたか」という意外性がある。あえての「揚げ焼き」だと思わせる効果がある。
家族関係で言えば、「揚げる」と「揚げ焼く」はいとこ関係なのではないか。

他の例を探そう。

「音楽は何を聴きますか?」と聞かれた時に、「最近はKUZIRA」ですねと答える時だろうか。
私は普段は酔っ払うとあいみょんのマリーゴールドを熱唱して号泣したり、尾崎豊が憑依したり、袖なしジージャンを着て長渕剛24時間ライブごっこをしたりしているのだが、好きな音楽を聞かれたらあえて若手のインディーズバンドをあげる。

ちょっと斜に構える感じで答えるのだ。

ただこれも猿荻レオンさんの「揚げる」と「揚げ焼き」とはやや違う。猿荻レオンさんは人には「揚げ焼き」と答えているのだが、猿荻レオンさん自身は「揚げる」だと思っている。
それに対して私は「KUZIRA」がわりと好きなので、猿荻レオンさんの「そう思ってないのにあえてそう答える」という境地とは違う。

もう一度、違う例えを考え直そう。

「動物が好きなんですね、飼うなら何がいいですか?」と聞かれた時に「あーフェレットっすね」と答える時だろうか。

これが近い気がする。答えにちょっと変化球を入れたいからあえてフェレットをもってくる。ここで相手を軽く驚かせられたら勝ちである。

そして私は本当に飼うなら犬や猫の方がいいので、事実と発言が違うということも「揚げる」と「揚げ焼き」の関係性と同じだ。

見つかった。嬉しい。

ただ犬猫とフェレットより「揚げる」と「揚げ焼き」の方がなんか洗練されていておしゃれである。やっぱり猿荻レオンさんには敵わないなって思う。

ふとしくんもひとしくん人形も全て猿荻レオンさんのものである。

これらを踏まえて、今度から「草加せんべいどこの店で買ってますか?(私は埼玉在住なので)」と聞かれたら、「うちはめんべいなんで草加は食べませんね」と答えるようにしようと決めた。

いつかめんべい with 鱚のから揚げ feat. 焼酎のソーダ割りで酔いちくれたい。

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