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ステ振り間違えすぎ

私はわりと読むことが好きで、一番読書をした年は多分年間300冊以上は読んでいた。
普通の小説なら2時間弱で読めるし、時間がある学生時代は1日で3冊くらい読むこともそれほど珍しいことではなかった。

自分で言うのは、ものすごくいやらしく、読んでいる人は気持ちがいいものでないと思うが、大学入試センター試験の国語について、ほぼ勉強したことはないが模試や本番で大体9割くらいの点数をとっていた。(数学は無茶苦茶勉強してやっと6割取れればいい方)

現代文はもちろんであるが、古文や漢文も読めばなんとなく意味が分かるので、苦労したことはなかった。

しかし私は国語という教科について得意意識をもったことが高校までなかった。
子どもの頃はむしろ苦手な教科だと認識していた。
それはなぜかというと字を書くことがめちゃくちゃ苦手だからだ。

仕事において字を書く機会が毎日あるのだが、自分が書いたものを見返すと「これはまともな社会人が書いた字ですか?」「字を汚く書くことで何かにレジスタンスをしているのですか?」と言いたくなるくらいである。

もちろん私は仕事場では一切ふざけないので本気で書いている。でも書けないものは書けない。
すごく時間をかけても綺麗に書くことはできない。

このおかげで私は国語という教科が苦手であるとずっと思っていた。小学生の国語は、文章を読んで内容を理解することも求められるが、文字をしっかり書くことができることも重要な要素である。

私が学習ノートに書いた字は必ず先生の赤ペンが入って直される。これは当然であり、先生という職業に就いているなら、直すことが必要な字しか書けないので先生に恨みはない。

先生が赤ペンで書いてくれた模範的な字をなぞることをした。しかし、模範的な字をなぞっても上手くはならない。

それに加えて我が家の父母は学歴コンプレックスを抱えているので、私に勉強がよくできることを求めてきた。学力を付けて自分たちにない学歴を獲得することを要求してきたのだ。

だからこそ、学力の低さの象徴であるような私の汚い字が許せなかったらしい。
私がひらがなを書く宿題をしているとそれを見張り、上手く書けないとそれを目の前で消しゴムで消された。そして手を叩かれた。

だから今でも人前で字を書くと手が震える。

国語という領域について書くことができないというのは、かなりハンデになるのだと思っている。
テストでは文字を書いて答えなければいけない。文字が上手く書けないので、問題について考えたことを表現できないのである。

大学入試センター試験はマークシート方式だったので、文章を読んで内容を理解して、問題にはマークを塗って答えれば良いのでかなり救われた。自分の読む能力を生かすことができたのかなと思う。


突然話は飛ぶが、ゲーム用語で「ステ振り」という言葉がある。
ゲームのキャラクターについて、その能力であるステータスを、どのように割り振るかということだ。

例えば攻撃力、防御力、魔法力、素早さ、賢さ、体力などのバロメーターがあったとする。

限られたポイントの中でどの力にどれだけの数値を割り振るかというのが「ステ振り」である。

ガンガン攻めたい人は攻撃力を高くする代わりに素早さや賢さのポイントは低くするかも知れない。
堅実な人は防御力や素早さを高くして、敵の攻撃から身を守るようにするだろう。

ただ大抵の人はどのバロメーターについても、そこそこ均等になるようにポイントを割り振るだろう。
極端に低いバロメーターがあるとどこかで必ず不利になる場面があるからだ。

なぜこんなことを急に書いたかというと、私の能力の「ステ振り」は根本的に間違っているのではないかと思うからだ。

私の能力の「ステ振り」をした神様がいたとすると、ふざけてやってしまったことなのではないかと思う。

「国語の能力について書くことだけは最低レベルにしてやろう。その代わり読むことは高くしておこう。そんなアンバランスにしたらどんな結果になるかな?」などとあえてふざけて能力のバランスを崩したとしか思えない。

また私は運動全般ができないのであるが唯一マラソンだけは得意だ。
でも学生時代のマラソン大会は中距離くらいの長さしか走らなかったので、マラソンが得意であると認識できなかった。

私の走る能力は20キロ以下では人並み以下である。ここにもステ振りの間違いを感じる。神様が「こいつは20キロ以上はそこそこ走れるけど、それ以外の運動能力は最低にしてやろう」と遊び心をだしてしまったのかと思う。

おかげでマラソンが好きなんだと気がついたのは30歳をこえた時だった。ステ振りを間違えられると、低い能力に引っ張られて、比較的できることに気が付きにくくなるのだと実感している。

ステ振りでふざけるのはほんとにやめてほしい。どれだけそれで苦労してきたか。
ステ振りは平均的にするに限る。

ただステ振りが極端なので自分ができることとできないことがはっきりしているので、できることを武器としいくと開き直っていればある意味生きやすいのかなと現在は思えている。

そしてステ振りが極端なので、自分のことを考える機会が多くこんな文章を書きたくなるのかなとふと思った。
これからも私のステ振りの極端さと上手く付き合っていきたい。

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