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私は漢字が書けない

漢字が子どもの頃から苦手だった。
正確に言うと漢字を書くことが苦手だった。

読むことはできるのである。
だいたい年間100冊くらい読書をするので、読むことについての苦手意識はない。

ただ、書くとなるとかなり簡単な漢字でも、ペンを持ち紙を前にすると出てこない。

昨日、テレビのクイズ番組を見ていた。
ディズニーに関する曲の歌詞が平仮名で画面に映るのであるが、解答者である芸能人がそれを漢字で書いていく。

ほとんどの漢字が小学校3年か4年くらいに習う文字だったので、ほとんど誰も間違えない。
私も真剣に考えていたのだが、ほとんど書けなかった。

パソコンやタブレット端末の普及で、文字を書く機会が減っている。
だから幸いにも漢字を書くことが苦手なことを意識せずに済んでいる。

しかし、昨日のクイズ番組で久しぶりにコンプレックスを刺激された。

学生のころは漢字が書けないというハンデは大変だった。
漢字は一般的に書いて覚える、つまり努力して覚えるような類いのものと考えられている。

だから漢字が書けないイコール勉強で努力をしてない子のような受け止め方を、親や教員からされることが多かった。

何回も何回も書いて、手とノートが真っ黒になっても一向に覚えられない。

小学校6年生の時は「漢字テスト番付」が教室内に貼ってあり、最下位だったので恥ずかしかったことをよく覚えている。

人権的に考えて、今ならそんな番付を貼る教員はいないが、30年前の当時は珍しくなかった。

漢字が苦手なのは悪いことだと自分を責め続けていて自信のない暗い小学校時代を過ごした。

大学に入学することはできた。
マークシート方式のセンター試験のおかげである。

センター試験とは私のような書くことが苦手な人間のためにあるのかと思った。

でも記述式の2次試験の得点を重視する大学だったら受かっていなかったように思う。

できないことや苦手なことは誰にでもある。

それに対して私は絶対にできないことを責めることはしないようにしたいと思っている。

自分ができることは相手もできると考えがちなのが人間であると思う。

私は漢字でかなり苦しんだ経験があるので、努力してもなかなか上手くいかないことがあるのを知っている。

うまくできないことと努力していないことは必ずしもイコールではない。

それを強く意識して、人に対して接していきたいなといつも思っている。

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