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祖父の町工場で「はたらく」ことの意味を知った。

私の祖父は小さな町工場を経営していた。

もしかしたら経営という言葉は大げさなのかもしれない。
バブル期でも事業を拡大することなく、細々と続けてきた町工場。

大きな企業の工場からすれば吹いたら飛んでしまうような規模であった。
でもそんな祖父の小さな町工場は、私にとって「はたらく」ということを考える原点になっている。

私と祖父は離れて暮らしていたのだが、祖父母の家に行くということが年に何回かあった。
祖父の町工場は祖父の自宅と直結していたので自然と祖父が働く様子を見ることになる。
私が祖父の家に行くと、機械油まみれの作業着を着た祖父が出迎えてくれた。

祖父は家に直結した町工場の中で、大きな機械で金属を切ったり、削ったり、研いだりしていた。私にはどうやって使うか想像すらできない機械を自由自在に操る祖父。


私がリアルに「はたらく」という様子を始めて見た瞬間である。
私は祖父が頼もしく、かっこいいな、と感じた。

私の祖父は、車や電車の部品の一部の「型」の原型を作っていた。祖父の作った「型」をもとにして、車や電車に使う部品が大量生産される。

その事実を知った子ども時代の私は、「おじいちゃんすごい!」と思った。祖父が作った物が元になって、いろんな乗り物ができている。

おじいちゃんの作っている物のおかげで、みんなの乗り物ができているんだよと祖母から聞かされて、とても興奮したことを覚えている。

このような原体験から、私にとって「はたらく」とは「かっこいい」ということが根本にある。

それに加えて、祖父は経営者として従業員への愛情もあった。
祖父は少年院や刑務所に入っていた過去があり更生しようと頑張っている人や、国籍的な理由で理不尽な差別を受けている人を積極的に雇用していた。そのような人たちは、たとえ働きたいという気持ちが強くても、なかなか仕事に就けない。
祖父の町工場は、事情があって仕事を得にくい人の受け皿のようになっていた。

そして祖父は、自分が面接して雇った従業員は家族のように可愛がった。
祖父の家は大きくなかったが、常に住み込みで働いている人が何人かいた。祖母はその人たちの食事、洗濯など面倒をみていた。
祖父は従業員の人たちと寝食を共にしつつ働いていた。
従業員の人の昔の悪い仲間が町工場にやってきてお金をせびろうとしたり、よからぬ遊びに誘おうとしたりすることもあったようだ。
そんな時に祖父は、従業員は自分の家族だから勝手なことをするなと追い払ったらしい。
祖父は身体が小さく、細いのだがよくそんな度胸があったものだと思う。

そんな祖父の町工場にいる従業員の中には入れ墨がある人もいて、一見怖いのだが本当はみんな優しくて、私が祖父の家に行くと一緒に遊んでくれて楽しかったという思い出がある。

しかし中にはお金を持ち逃げする人もいたらしく祖父の気持ちが裏切られたこともあったようだ。
だが祖父は決して恨みごとは言わなかった。
むしろ、「俺が可愛がってやれなかったからあいつはいなくなった」と悔やんですらいた。

私はそんな祖父の姿を見て、「はたらく」とは自分のためだけにすることではないと幼な心ながら学んだ。
祖父の町工場はいろんな事情がある人を受け止める。そして「はたらく」という行為を通して、祖父と従業員の人が心を通わせていく。

祖父は私に多くは語らなかったが、祖父がかっこよく働き、訳ありの従業員をたくさん雇うことで私の「はたらく」ということへの意識は小さい頃から育っていたのかなと思う。

私が現在、祖父のようにかっこよく働けているかは分からないし、私の仕事が人のためになっているかは自分では判断できない。

ただ、常に働いている自分を誇りに思い、仕事があってそこから人との関係がたくさん生まれることに感謝している。
プライベートの時間も大切ではあるが、働いているということは私のアイデンティティの大部分を占めるなとすら思う。

そんなふうに思えて働けているのは、祖父が町工場で働いている後ろ姿をよく見ていたからだとつくづく思うのである。

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