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私が本当の意味で父親になれた日

私は自分が父親になった瞬間のことをよく覚えている。

その瞬間というのは子どもが生まれた日のことではない。

確かに子どもが生まれた時に事実としては父親になってはいる。
しかしそれは本当の意味で父親になったと言うには程遠かった。

なぜかというと私は育児に対して受動的に関わっていたからだ。

妻からミルクをあげてとか、オムツを替えてとか、お風呂に入れてと言われればやり方を聞いて、やってはいた。

ただそれは言われたからやるという姿勢であり、その時の私は父親というよりは、気の利かないお手伝いさんというような存在であった。

主体性がまるでなく、与えられたことをこなすだけであった。これでは育児にやりがいをもてるはずもなく、日々やらなきゃいけないからしょうがなくやるという気持ちでいた。
はっきりと言えば苦痛であった。


しかし幸いなことにそこから脱却することができた。その日のことを私ははっきりと覚えている。それは娘の保育園の入園式の次の日である。この日から私は本当の意味で父親になったと言ってもいい。

保育園の入園式は感染症が流行る前だったこともあり、私と妻に加えて両方の祖父母も参加した。入園式は午前中で終わってしまったが、その後は、みんなで外食をしたり我が家でワイワイ過ごしたりして一日が過ぎた。

次の日からは保育が始まる。

我が家では保育園の送りは妻で、迎えは私というルールを作った。妻は朝の送りを担当する代わりに、夜は遅くまで職場に残り仕事をする。私は夕方のお迎えをするために、朝は始発で職場に行き、早めに仕事を済ませる。朝と夜に育児を分担することで、お互いの仕事に支障がないようにした。

入園式の次の日は慣らし保育で、お昼ご飯前にお迎え行った。ものすごい緊張である。まずちゃんと保育園から子どもを連れて家まで帰れるだろうか。そして家に無事に帰れたとして、育児がしっかりできるだろうか。妻は仕事に行っているので、私が一人で子どもの世話をしなければいけない。

大きな不安を抱えながら、保育園までの道を自転車をこいで向かったことを覚えている。年度が変わる4月早々に0歳児クラスに入れたので、この時娘は1歳にもなっていなかった。
正直、私は途方にくれた。お昼から夜までちゃんと幼い娘の面倒を見られるであろうかと。

しかし、頼る人がいなければ自分でなんとかするもので、今思えばいろいろと足りないところはあっただろうが夜まで世話をみて、なんとか寝かしつけることができた。

私はこの日を境に父親になった。

一人でやらなければいけない状況になり、それを達成することで育児への自信が急速についた。

次の日も慣らし保育でお昼くらいにお迎えに行ったのだが、前日のような不安はだいぶ少なくなっていた。むしろ、今日も娘と一緒に楽しく過ごそうと前向きな気持ちになれた。
その後もお迎えに行き、夕方から夜を私と娘の二人で過ごすことを繰り返していくうちに、不安が少なくなり、それと反比例して楽しさが多くなった。

そして0歳の娘を主体的に育児すると、小さな発見がたくさんあった。

離乳食において娘は白に近ければ近いものを好み、変に気を遣って変わった具材を混ぜると全然食べないこと。

読み聞かせで最初に好きになったのは「ぴょーん」という絵本で、読んでやるとニコニコ笑って喜ぶこと。

寝かしつけでは「虹」という曲と、助産院の父親教室で習ってきた「お船をこいで、お船をこいで」という歌詞から始まる謎の曲を交互に歌い続けると比較的早く眠りについてくれること。

それでも寝ない時はエルゴベビー社製の抱っこ紐を用いて、おんぶをして(エルゴベビー社の抱っこ紐はおんぶにも使える。密着するので子どもにとって安心感がある。しかし夏は死ぬほど暑い)、おんぶをしたまま私が部屋を走り回るとなんとか寝たこと。(走らないと刺激が足りないようで泣く)

いろいろとありつつも、工夫しながらなんとかやってきたなと思う。

こんなことを繰り返すうちに気が付いたら娘はもう5歳だ。はじめてお迎えに行った日から、ほぼ毎日続けてお迎えに行っているが、もう4年半が過ぎた。

その間には息子も生まれて、今では二人の子どもをお迎えに行き、夕方から寝かしつけるまで育児をしている。

息子も0歳で保育園に入園したのだが、当時2歳の娘と一緒に風呂に入れて、なおかつ私も頭や体を洗うということを同時にできるかと最初は心配だった。
でもやればなんとかなるものである。

もう今では保育園お迎え初日の不安はなく、お迎えに行くのが楽しみだ。

子どもに対してイライラすることもあるし、つまらないことで怒ってしまうこともある。
自分の時間が圧倒的になくなり、我慢していることもたくさんある。

しかしやっぱり子どもがいて良かったと思える時の方がずっと多い。

自分で言うのは照れくさいが、私は自分の娘と息子の父親という役割は天職だと思っている。
こんなにやりがいがあり、私以外に任せられない役割は他にはない。
私の娘と息子の父親は私しかいないのだから。

天から与えられたかけがえのない娘と息子は、私に父親という役割を天職だと思わせてくれた。
娘と息子が産まれてきてくれて本当に良かった。

私はずっと父親という役割を天職だと思いながら、娘や息子と共に成長していきたい。

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