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浮気と理性

世の中には浮気を繰り返してしまう人がいる。よく聞く言葉に「一度浮気をしたものは二度目もする」というものがある。経験的に確かにそうである。

よく考えられる考え方に、人間は、前頭前野の働きによっていわゆる「理性」を持ち、「本能」と区別していて「理性」の欠如によって「本能」的な快である浮気をしてしまう。というものである。

私は、大学一年生の時に「脳と行動」という授業を選択して受けたのだが、科学の世界では「本能」という言葉は死語であるようである。脳科学における死語である「本能」という言葉を使う一般人は脳に関して何も知らないのだから一般人と脳の話をするなとまで言われたほどである。「理性」と「本能」という分け方には脳科学的に誤りだというのである。この事実は「欲」というものを考えるのに最もいい例として機能している。

まず、我々が浮気をするという選択をするとき、「欲」という原因があって浮気をするわけであるが、この「欲」というものが曲者である。「欲」とはいったいなんだろうか。

まず、我々は息をして、ウンチをし、たまには移動したりして生活している。しかしそれら全ての行動は「欲」という原因があったから行われているのである。もしも「欲」が生じなければ息もできないしウンチもできないのだ。その欲望の中に、「論理的に行動したい」という欲求が含まれる。これがいわゆる「理性」である。つまり「理性」や「本能」といった区別があるわけではなく、全体的に一つの「欲」システムとしての一つが「理性」に過ぎないということである。

この「欲」システムを脳みそだとしよう。脳みそは手や足、耳や目などの「感覚器官」に繋がっている。脳はこれらから得られた複数の膨大な外部刺激をひとつに統合して処理するため、私たちが思った通りに腕を動かせたり、動くボールをバットで打ったりできるのである。

「欲」システムとはこれと同じ働きをする。全ての外部からの入力をキャッチするとそれら情報の一つ一つに「重み付け」して結果的に一つのある「欲」を生成する。例えば、銃で狙われている人の目の前に美味しそうなご飯があるとしよう。「食べたい」という欲と「逃げたい」という欲が同時に入力される。その時この「欲」システムはどちらかを選択する。さらに面白いのは、「食べたい」という欲が「逃げたい」という欲に勝つ人と、「逃げたい」という欲が強くなる人という二種類のパターンがある。つまり、「欲」システムとはヒトの個体ごとに「重み付け」の度合いが異なっているのである。

この時私たちは、仮に「逃げる」という欲が沸いたとしよう。我々はそれを「自分の意志で」逃げる選択をした錯覚するが、実は本人には「自由な選択」など存在しないのである。食べようか、逃げようか考えた末に結論を出したのではなく”最初から「欲」システムによって決まっていた”のである。

さて、浮気の話に戻ろう。浮気をする人は「浮気をしよう」という欲が働いたため浮気をしたのであるが、これは本人の意思によらない。最初からその外部の条件がそろってしまえば「浮気をする」という結果は”最初から決まっていた”のである。

つまり、脳科学的な結論からすれば、「浮気をする人は何度でも浮気をする」のである。そこに強い意思ー例えば「絶対に浮気をしないぞ!」という意思ーががあったとしても我々の「欲」システムの重み付けの配分には何ら影響を及ぼさないのである。

我々の自由な選択は自由に見えて自由ではないのだ。我々の行動は”選ばされている”のだ。

かと言ってここで終わると浮気をした過去がある人には非常にまずい。自分が「一生治らない浮気病」にかかっていることが宣告される記事だからである。

しかしながら、「一生治らない浮気病」にかかっている人でも浮気を防ぐ方法が存在し、これを書いておかないと浮気の過去がある人に責められるだろう。

その方法とは、自分の「欲」システムにおいてどういう外部の状況にあるとき「浮気」をしてしまうのか理解しておくことである。これはどういうことだろうか。

坂道をボールが転がる様子をイメージして欲しい。ボールは自ら動いているのではなく坂道によって「動かされている」と考えることができる。さらにボールがA地点で止まったとする。それはボールがA地点に止まろうとして止まったのではなく、結果的にA地点に止まらされたのである。もし坂道が別の形だったなら、B地点に到達していただろう。人間の欲とはこのようなものなのである。

つまり、浮気をするときの「外部環境」を知っていれば、その「外部環境」を作らないことはできる。つまり、坂道の形が「浮気」という結果に落ち着かないようにする。それはすなわち、「浮気」からの回避と言えるだろう。これが過去に浮気をしてしまった人が二度と浮気をしない唯一の方法である。

浮気をしにくい人と浮気を繰り返す人の差はこの「欲」の重み付けの差だったのである。そしてその重み付け度合いは指紋のように個人個人で異なるものだったのである。

我々は考えた通りに自由に行動しているわけではない。自身の「欲」システムの重み付けがどうなっているのか、今後生きる上でチェックしておくのは有益なことだろう。

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