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不要で不急だったとしても

そこにある火を、絶やしていい理由にはならない。

UNISON SQUARE GARDEN Revival Tour “Spring Spring Spring”

の、5/7、名古屋。行って参りました。やっぱりライブはひとを生かす場所で、それは他では代えられないと気付かされた3時間でした。

ユニゾンのライブに行くのは1年半ぶりで、だけど2020年に配信ライブを4回やってくれたり、ライブ映像作品をたくさん持ってて見ていたりしたおかげで、正直なところ、当日迎えてもあんまり「久しぶり」感はなかった。それはライブが終わって帰宅する道すがらでも割とそうで、「いつも通り」というとなんか烏滸がましいんだけど、メモリアルなライブで感情が爆発してしまったプログラム15thの後のような、あれほどの昂りがあったわけではなかった。むしろ翌日に同期の結婚式に参列する予定だったので「明日の準備をしなければ!」という感じでさっさと頭切り替えて帰宅していたし(笑)。

今回のライブはリバイバルツアーだから手の内はこちらも分かっていて(SSSのライブ映像作品も持ってて何度も見た)、言ってしまえば予定調和の答え合わせのライブだった。B-Sideの2回目の時みたいな。(※U-Sideにひとりで行って、後日友人とB-Sideに行った)

だから本当に、自分の感覚としては、会場を出たすぐ後に日常に戻った感じ。その点で言えば、ライブってものから得た感情の純度は、もしかしたら昨年の配信ライブの方が高かったかもしれない。配信も当時は新しい試みだったことで、メモリアルライブに近いものを受け取っていたから。

でも、その「いつも通り」を受け取れたことも、自分にとってはこの上ない幸福なんだと、一晩経って気がついたんです。夜が明けて、出立の準備をしている時、普段よりも心がワクワクしていた。それだけじゃなくて、なんだか精神がスッキリしていて、体調も良くて、ここ最近ずっとある(なんなら今日もある)頭痛とまではいかない頭の重さや揺らぎみたいなものが、その日に限っては何もなかった。あの日の朝、ライブって健康に良いんだな、とツイートした程度には特効薬だった。目立って燃え上がることはないけれど、熾火のようにずっと熱が続く。そんな感じ。

多分それに大きく寄与しているのは、ライブの本編以外の部分。たとえば開場前の、お客さんがたくさんいるあの感じ。開場して、列形成を促したり、入場をスムーズに行うためにあれこれとアナウンスする会場スタッフの皆さんの声。人が集まりすぎないように、周りに目を配って誘導するスタッフの方々。開演直前に注意事項をアナウンスしていらっしゃったプロモーターの方。ライブ中、遅れてきたお客さんを懐中電灯片手に席に誘導するスタッフさん。客席内のいろんなポイントからライブ写真を撮るビオラさん。あの場で、たくさんの人の「楽しみ」「楽しい」という感情と、たくさんの人の「仕事」に出会った。それも全部含めて「ライブ」だったこと。それは配信ライブなんかでは可視化されず、感じることもできないもの。そのたくさんの人の熱が、自分の中に今もある熾火のはじまりの合図だった。

そこにバンドがいて、ライブを作るたくさんの人たちがいて、ライブを愛するたくさんの人たちがいる。そういう時間が、空間があること。それは日常と地続きで、特別なことではないということ。その事実で今日を、明日を生きられる人がいること。

見ようとしないものは、そのうち本当に見えなくなってしまう。見えなくなったものは、忘れたくないと思ってたって、いつかには忘れてしまう。忘れてしまったものは、やがて取り戻せなくなる。

そうなる前に、目撃させてくれる場所を作ってくれて、ずっとライブを続けてくれる、火を絶やさないでいる全ての方に感謝を。

多分言いたかったことまとめると、『流星のスコール』な気持ちなんだと思います。はい。

「ここだよ」


🦔


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