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2020/8/26 自己決定権のジレンマ 医の倫理#3

自己決定権というのは、医の倫理#2でも書きましたが、
個人主義の到達点の1つとも言える概念です。
パターナリズムを脱却した先にあるインフォームド・ディシジョンが”良いもの”とされ、個人の決定に重きが置かれるようになりました。
尊重されるべき概念の1つであることは揺るぎない事実である一方で、
自己決定権は大きなジレンマを抱えています。

それは、「医師に全てを任せる」という決定ができなくなったことです。
パターナリズムな医療を求めることができなくなりました。
現在の医療制度において、表立って「医師に全てを任せる」権利を守りますといえる医療機関はそう多くないでしょう。
現実的には「すべて任せたい」と伝えても、医療者からは「ベネフィットとリスクを伝えますから御自身で決めて下さい」と言われてしまうでしょう。
(シェアード・ディシジョンという概念もありますが、全てを任せられないという点では同じです。)

この感覚は「先生にすべてを任せたい」を仰った方のICをした経験から
私の中でかなり強化されています。
ICではリスクも漏れなく伝えなくてはいけませんから、丁寧にベネフィットだけでなくリスクも説明したところ
「そんな怖い話は聞きたくありませんでした。先生にすべて任せたかったです」
と言われた経験です。
この経験は私の中でのICの価値などを一変させる大きな出来事となりました。

パターナリズムには独裁に似た危険性があるため、
それ自体避けたほうが良い概念であるともいえますが、
一方で、インフォームド・ディシジョンもリベラリズムにも似たジレンマを抱えており、「インフォームド・ディシジョンで決めてほしくない」という決定ができないことが大きな問題として残っているでしょう。

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