見出し画像

占っても未来が決まるわけじゃない

命術には欠かせない「時期読み」のはなし。
前回の続きです。

運命はあらかじめ決まってるのかどうか、運命と自由意志とか、そういうものすごいデカい話については、ものすごい賢い先人たちがさんざん議論しています。ちょっと調べたらたくさん出てきます。そういうことは、今回触れません。

命術でも卜術でもいい

せっかく命術(生年月日+時間で占うタイプの占術)を勉強するなら、時期読みもだいじだよ!と言い続けています。

とはいえ、使うか使わないかはまた別の問題です。

わたしの周りの先生方の中には、もちろん命術も読めるんだけど、あんまり好きじゃないから卜術しか使わない、とおっしゃる方も結構います。

わたしが敬愛する翡翠先生も、四柱推命は得意でバリバリ読むんだけど「わたしは易とか九星のほうが好き」とおっしゃっていました。

わたしもなにかひとつだけ占術を選べと言われたら、卜術にします。または道具が要らない手相、でもいいな。命術は暦が必要なので。

命術でちょっと先の未来を覗く

昨日の記事にこんなコメントいただきました。
ありがとうございます!

そうなんですよね。私もこんな感じの使い方です。

確かにもっと先の流れまで読むことはできるけれど「いつ死にますか?」みたいな重大なことまでわからない。わからなくていいじゃないか。

そういえば大昔、松村潔先生の公開鑑定のモニターにしてもらったことがあります。(どっかに書いた気がするけど、見つけられない)トランシットでトランスサタニアン3つにばりばりにやられてたときのことです。

「こういう配置のとき、霊能者とかにみてもらうと、これは悪いものが憑いていますね、って言われるんですよね。変なものを売りつけられたりするかもしれませんね」みたいに言われた。ウケた。ヨレヨレだったけど笑った。

そのとき合わせて言われたことがおもしろかった。

「こういう特徴的な配置のときに、全然思い当たることがなかった」そういうデータが私は欲しい。当たってるって話は聞き飽きてるので要りません、ってねwww

未来予報はあくまで「天気予報」みたいなもので、そんなに詳しくぴったりと未来を当てられるわけじゃないけど「3日後から雨が降る」とか「明日は午後から晴れる」くらいのことはわかるんですよね。

え?いまは勝負どきじゃないよ!って言っても、もうやるって決めてるプランを「大丈夫ですよね。大丈夫って言ってください」とかゴリ押してくる人もときどきいるけど、それって占い要らないでしょ。お金の無駄でしょ。

命術のいちばんいいところって?

あとね、命術をやるいちばんの利点は「自分の持ってる型」「何度も無自覚に繰り返すパターン」を認識できることじゃないかな。

図にすることで、ちょっとワンクッション距離を置いてみられる。他人と共有して議論できる。これは命術のいちばんいいところでは?

多くの人は、みんな同じ過ちや、またそれか!みたいな選択を、何度も何度も繰り返してるのでは?それでいてうまくいかないうまくいかない、と嘆いているのでは?(そうではない人は、ここの読者ではないな。ごめんね)

そんなふうに考えてます。ワタシハナー。

未来は怖いものなの?

時期読みの技術が難しくてよくわからない、というご相談はよく聞くのですが、そういう方々にはもういっぱい読んで、現実と推測を照らし合わせて、ひたすらたくさん数をこなすしかない、とお答えしています。

だんだん「この配置の時にはこういうことが起こりやすい」とはわかるんですが、誰にとってもそれが当てはまるわけじゃないので、そこらへんの判断がいちばん難しくて、だからこそ我々はお金をいただいてやってるわけです。

でもぶっちゃけ、そこまで自分で掘り下げて研究する必要がある人ってあんまりいないよね。そこまでやりたくなければやらなくていいじゃん。お金払っていらしてくださいね♪ って結論になることも多いです。

そんな中で、アルテミス涼さんからこんな記事が届きました。

そんな、遠い先のことなんてわからないじゃん!」
みたいな感じですかね。ある意味、逃げでもあります。(タロットはまったく無罪ですが、私の感覚が。)
きっと、怖いんだと思います。なんとなく「未来を決められる」感じがして。この恐怖は、どこから来るんだろう。理由はわからないけれど、なんだか怖いし、知りたくないよー。って思ってるんだろうな。

へええーーー。そうだったんだ。未来が怖いんですか?
そーなんだ。意外や意外。怖いのかーーー。その発想はなかった。

わたしはどっちかというと、どんな未来であっても、見えたほうがいい。みえないより、みえるほうが怖くないのですが。

みなさんはどうですか?

占っても占わなくても、起こることはたぶんそんなに変わらないので、見たくないものはみなくていい。それは健康な態度でありましょう。

逆らって逆らって逆らって、どうしようもなくなったくらいから、命術の不思議さとか使い所がわかるような気がします。ワタシハナー。

あとは一般論としてですけど、あんまり若いうちから命術ごりごりで、わかってることしかやらないとか、悟ったようなことしか言わないようになるってのはあんまり良くないかなーとはおもってます。

↓ あとは最初に書いたやつ。
ばっさり削ろうと思ったけど、そのまんま残ってるので、そのままにしておく。

出生データは一生変わらない

はじめて本格的な命術を学ぶと、生まれつきの資質(ネイタル図とか、命式とかそういうやつ)をみるだけで「わああ!すごい!あたってる!」とか感動する人は多いわけです。ワタシモナー。あなたはどうでしたか?

最初はいい。それでいい。初歩のうちは、ああでもないこうでもない、もっとスゴイ秘伝や目の覚めるような超絶テクニックで、私の運命の秘密がズババババーーーっと解き明かされるのでは?とか夢が広がります。

まぁでも、当たり前だけど誰にとっても生年月日はひとつしかないので(偽装しない限り)だいたいどんな占術とか霊能とかでみてもらったところで、「ちょっと雰囲気は違うけど、言われることは大体同じ」なのでは?

または、四柱推命とかでぜんぜん流派が違ったりすると、同じ占術?マジか?と信じられないくらい正反対のことを言われるケースもあります。日本語としてしっかり捏ねたら同じ話になるのかもしれないけど、わからん。

よけいなおせわだけど、あまりにも他と違うこと言われたら、わたしなら疑ってかかりますね。なんかの勧誘かな?って。

生まれつきのネイタル図とか、先天運と呼ばれるものは固定されているので、だんだん他の人のもみてみたくなります。おおー!違う!こんなに違うのか!とびっくりしたり、わかんねーと頭を抱えたりします。社会性の芽生えだ。それに対して、いつまで経っても、ひたすら自分の出生図だけみている。それしか興味がない、タイプの人もいます。自分スキーなんだなー。

占いで性格分類するのは興味深いけど、私はそれだけでは退屈。だって、出生図は一生変えられませんから。それって「あなたはO型だからおおざっぱ!わたしはA型だから几帳面」をもうちょっと詳しくしたようなもので、全部決まってて、変えられないものを読むだけなら、大差ないよね。

生まれつきの資質+環境+時期運

占っても、未来がぜんぶわかるわけじゃない。

生まれつきの資質+どんな環境でどういう役割を果たしているか+時期の流れ、という組み合わせは無限大ですね。たとえ同じ生年月日だったとしたら、もともとの資質は似ていても、環境によってどういう育ちになるかが全然違うし、やっぱり別の人なので、全く同じにはならない。

双子のご相談もときどきいただくのですが、拝聴&拝見しているとなるべくお互いに違った道を進もうという強い意志や選択が働いたりするので、やっぱり全く同じにはならない。正反対になってることもあります。

自分で変えられるのは、環境とか人間関係とか、そういう現実でのあり方の変数のところなので、実際の鑑定では、そこに対してアプローチしていくやり方をお勧めしたりするわけです。

それはなかなかAIではできない芸当ですよね。

占い世界でのあなたの探検が、よりよい旅路となりますように!