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関係性と距離感

前回のnoteの記事は約1年前のこと。その後、記事の中の彼は就職した会社で気になる子が出来、一緒に2人で出かけたりする仲が続いているという後日談をお酒を飲みながら聞いたり、文字でのやり取りで相談に乗ったりしていたのだが、先日「彼女出来た!」と突然の報告が来た。その彼女というのが、今まで話に聞いていた女の子ではなくて、別の子だったので少し驚いたのだけれど。何にせよ幸せそうで何よりだなと思った。どうやら遠距離恋愛らしいのでこれからも何かしらの話を聞くことになりそうである。遠距離恋愛に対してのアドバイスを軽くしたり、彼女とのセックスの話を聞かされたりもする。男友達とも女友達とも違う不思議な関係、良い距離感が続いている。


なぜか春になると昔一度距離を置いていた男から連絡が来ることがたまにあり、今年もまた1人そういう男からの連絡が新たにあったのだった。
彼との別れはわりとハードで、私に失礼を働いた彼を最後はたしか土下座させたし平手打ちもしたかしら?などと思い出す。そんな仕打ちを受けたのに、よくもまあ連絡をよこしたものだな、可愛いじゃないの。ということで、軽くお茶をすることにした。
久しぶりに会う彼は、叱られた犬のように現れ私を恐々と見つめる。それはマゾとして飼っていた時とは違う恐れのような顔。きっと今も尚、私には許されていないと思ったのだろう。その恐々とした雰囲気が私には少し滑稽に見えて笑ってしまった。
なぜ向こうから会いたいと言って来たのかといえば「ちゃんと謝りたかったから」だとのこと。
「だいぶ前のことだし、もう何とも思ってない。というか、今どうしているのか色々話を聞いてみたくて今日ここに来た」と言うと少し涙目になってホッとしたような顔をした。
学生の時から就職が決まるまで主従をしていた男だったので、仕事は最近どうなの?という話から聞いたところ、実は色々あり、就職はしておらずアルバイトで食い繋いでいるということだった。
お別れをしてからも、全く連絡をしていなかったわけではなく、互いの誕生日とか年始には挨拶程度に連絡をしていた。その時も仕事はどう?と聞いたのに「頑張ってますよ」と全くもって今の状況を感じさせるようなそぶりは見せなかったのだけど。
報告や相談をしないこと。それが「もう主従関係ではない」ということ、距離感の違いを明確にさせるものなのである。マインドが違うからそういう話を私にする必要はないということだ。私もわざわざ深掘りしようともしないし。

彼と会わない間に巻き起こった色々の詳細は省略するけれど、とにかく、自分は調子づいていたなと反省する出来事だったのだろうと思う。そういう事があった時に私を思い出したそうだ。あの時も自分は調子づいていたのだなと。そして春になり、新しい仕事を得ることが出来たきっかけに、まるで禊を落とす気持ちで私に「ちゃんと謝りたい」と思ったのだろう。
その神妙な感じが、こちらとしては滑稽で始終笑ってしまったのだった。笑えば笑うほど泣きそうになりホッとする元犬。そして私たちはお友達のような新たな関係性に移行したのだった。
新たな就職先はおそらくかなり遠くになるという話で、遊びに来てくださいねと言われたので「地方の良い感じの居酒屋を探しておいてね。旅立つ前にこっちでも飲もう」とその日は約束して別れた。
そして後日、就職祝いにと飲むことになり会うと、地方配属ではなかったとのこと。せっかく旅行の行き先ができると張り切っていた私をどこまでもズッコケさせる男だなと笑わせてもらった。
彼を飼っていた数年の思い出話をしたり、会わなかった間の話を色々聞き、またそのうち飲もうねと約束をしてその日も別れた。

帰りの電車の中、そういえば飼っていた頃は帰りの電車に乗ってる間、必ず「今日はありがとうございました」というラインが即座に来ていたなと思ったりした。毎日「今日はこんな事がありました」と報告をしてきていたこと、そして今はそういう「お礼ライン」もなく、報告もないということを考えると、彼は本当にサブミッシブだったのだろうなと思えた。私に失礼を働き、関係を解消した時は「こいつはサブミッシブに憧れていただけでサブミッシブではなかったのかもしれない」とも思っていた。でも今にして思うと、誰に対してもとか、どんな距離感の人に対してもそういう態度をするわけではないからこそサブであるのかもしれないなと思えた。実家に引戻っていたのにわざわざ東京まで私に会いに来て謝りたかったと言い、実家付近の手土産まで持って来た彼は調子づかなければ誠実な忠犬の素質は十分に持ち合わせていたはずだったと思う。
帰りのお礼ラインも毎日の報告も、私が主だったからこそ、していたのだ。主従関係だったからこそ私の前ではサブミッシブな性癖をさらけ出せていたし、今はもう主ではないからそこまではしないのだ。と。
関係性が変わること、それは少し寂しくもあるけれど、また新たな関係性だからこそ主従とは違う良さが生まれたりもする。いつか壊れるとか、いつか捨てられるとか、いつか逃げられるとかいう不安がなくなった関係性という、安心だけの関係性が友情というのならそれに変わっていくのも別に悪くはないかなとも思う。
だからと言って、それだけでは私にとっては退屈であり、安心と刺激が共存する「主従関係」は必要不可欠なものなのだけれど。
主従関係の距離感と、それ以外の人間関係の距離感は本当に違うものなのだなと毎年春になってこんなことが起こるとつくづく思うのだった。
今回のことで私も彼も色々な事を学ばされたと思う。それは彼と私が主従関係であった過去があったからこそであって、その時間は決して無駄ではなかった貴重な時間でありこれからもずっと大切な思い出だ。