見出し画像

dominantというもの

私はsadistではなくdominantである。

SM行為もするけれど、それもこれも相手に対してdominantとしての私を確立させる為の行為の一つというだけで、必要がなければSM行為をしないこともある。従者と会う時は常にプレイをする時というわけではなくて、友達のように健全な場所に出掛け同じ景色を見たり、同じ時を過ごす。私と関わる事で、様々な感情を引き起こし、生きていく為の感性を自力で磨かせる。これも私の中では主従関係としての行為。

だから私が望む関係はSMパートナーというものではなくてD/sであり、その中に必要であればSMもあるというのが妥当な表現になる。そんな自分の事をカテゴライズするとして「S女」と言うにはなんとなく違和感を感じてしまう。もちろんD/sよりSMのほうがまだ世に知れ渡っていると思うので一言で説明するなら私はSなほう。と説明するのが簡単ではあるけれど。

そんなふうに複雑なものだから、ノーマルな人にとってSMはマイノリティな上にD/sなどと言うと「?」という感じだろうと思う

SMやD/sの世界でもその人なりの哲学は更に細分化されていて、好む行為も様々だ。私の場合、加虐欲はそれなりにあるけどその欲が常に強いわけではなくて相手とか自分の気分によってスイッチが入ったり入らなかったりするし、S女と大手を振って自分を表すのは居心地が悪い。加虐欲はそんな感じであるが、支配欲はかなり強いほうだと思う。支配欲は支配したい相手がいる時にしか発動しないので常に欲が渦巻いているわけではないが、支配したい相手が現れればその強い支配欲が加虐欲を増長させるような気がしている。

そんな私が望む関係性を言葉で表すのは難しいけれど、少し整理をしてこの機会に言葉にしたいと思う。

私の結ぶ関係性は個人的にはかなりハードな部類なのではないかなと感じている。 私の性癖的になぜ歳の離れた年下の男に惹かれるのかと言えば、人生がまだ定まっておらず精神的にも未熟だからというのがある。考え方が柔軟でこれからどのようにも変わっていくお年頃だからだ。

おそらく私の中で支配欲の他に、育成欲、指導欲なども強いのだと思う。未熟な者を育てていく事に興奮する性癖なのだろう。だから私の従者になる者は「自分は未熟だから」と悩むことは必要なく、素直に私という人間に信頼を寄せてついて来てくれればそれで良いと思っている。未熟である事を認めているならば、それに引け目を感じるのではなく、私に従属する事によって自分が成長していく過程に喜びを感じて欲しい。もちろんこれは言いなりになれという事ではなくて、自分の意見を持ち、主である私と深いコミュニケーションを重ねることで成長していくという心構えがあるのが前提であるが。

私は子供の頃から動物や年下の子の面倒を見るのが好きだった。私に懐き、そして私の世話や躾によって成長していくペットや、私との会話で何か気付きが生まれたり、できなかった事ができていく年下の子の姿を見るのが何よりも嬉しく快感だった。きっとそういう事が今の性癖にもつながっているのだと思う。
だからこそ今だって従者が私との関係性、会話、そういうものを糧にして成長していく様を見たい。それが何よりの私の快感であり性的な興奮でもあるのだと思う。

一言で支配というと、精神的、行動的な束縛や拘束までするものと考えられがちだけれど、私の場合はそのように縛りつける欲はない。なぜなら、相手に対する絶対的な信頼があるから。私が主であるのは絶対なのだから、私に敬意をもっていてくれさえいればいいのだ。

では私が思う敬意とは?

基本的には敬語で接してもらうこと、私の名前を「さん付け」で呼ぶこと。それから、嘘をついたり隠し事をしないこと。私をぞんざいに扱わないこと。

このくらいだろうか。

と文字にすると大した事ない気がするが、これを長年維持していく事は難しいこともある。私は従者の人生を長きに渡って私に見せて欲しいと思っているが、表面で直接関わる人間ではないのだし、しがらみがない分、離れる時は呆気なく終わる。血の繋がりのある家族や親戚であれば、否応なしに成長を見続ける事はできるかもしれない。けれど私は他人で、元々は全く繋がりのなかった人間だ。そういう人間に自分の人生を見せ続けること、これがハードなのかソフトなのかは人それぞれの捉え方かもしれないけれど。
支配されていると思えばハードかもしれないし、単なる「人に言えない事を知っていて、何でも相談できる気のいい年上の女」だと思えばソフトかもしれない。
私の中ではD/sをしていると思っているのだから、ハードではなかろうかなどと思うけれど、私と接してる相手はどう思っているのかなという所である。
そんな覚悟ができているか?などと本人に私は聞かない。そういうのにうんざりするようになれば、きっと離れていくだろうし、居心地が良いと思っていれば関係は続く。それだけだと思う。

ここ数年、人生の変化を見せてもらっている子もいて、もうそういう子は親密な関係性を経て全く違う関係性を構築して今に至る。一度関係性が途絶えてしまってからまた繋がった縁もあり、その空白の時間や離れた時の気持ちを、再会した時に語ってくれる事で以前より良い関係になった者もいる。そういう場合も、関係性の呼び名は変わったかもしれないけれど、私の中ではD/sが続いていると思っている。なぜなら私が誰よりも彼の表の事も、そして表には決して出せない部分も知っていて、そういう彼を他の人は知らないのだから。その関係自体はプレイパートナーであった頃となにも変わっていないのだし、やはりその歴史があるから愛情も変わらない。

そういう繋がりが、私の支配欲を満たす関係であり、私の望むD/sの最終形であるような気がしている。出来れば長い期間、マゾとしての成長も見ていたいのが本心だけれど、それよりも大切なのは彼のパーソナルな部分そのものを見ていく時間なのだ。だからプレイパートナーである期間はあまり関係なくて、期間はどうであれ、お互いを曝け出す性的な関係の時に、どれほど深い絆が築けていたかどうかなのだ。プレイを通して精神的な繋がりを強固にしていく。そしてそうやって出来上がった絆があるからこそ、関係性が変わっても日々の生活を頑張れる彼らであって欲しいと思う。

そして私自身も、私に懐き信頼して全てを見せ続けてくれる存在に恥じない人間であるために成長を止めないように生きなければと思うし、そのような関係性を持つことは、私自身にとってもかなりハードな事をしていると言えるかもしれない。

「いつか私と関わった子たちのお守りになれたら良いな」などと思うが、人間が誰かのお守りになるとか、そんな生き方をしなければいけないとか、なかなかハードでは?と思うのだが、そのハードさが私にとっては人生の糧となっている気がしている。
そういう糧を与えてくれる存在に、常に感謝を忘れないdominantでありたい。

この記事が参加している募集

#自己紹介

233,787件