会食恐怖症を自覚した話
こんにちは、極楽だぬきです。
会食恐怖症、皆様ご存知でしょうか、会食恐怖症。
字の通り会食に恐怖を感じるこの症状、20と数年を生きてきた私が、今更自分もコレに当てはまるのではないかと気づいたという、ただそれだけのお話です。
ちょっとネガティブなテーマですが、のびやかに書いていきます。
会食恐怖症ってな~に?
会食、つまりそれは、人とのお食事ですよね。
それがかなりニガテであるという、平たく言えばそういう症状です。
社交不安障害の1つにも分類されるっぽくて、人前に出たり注目されたりするのが苦手な人の中には会食恐怖症が見られる場合も多いのカナ?なんて思っています。私もその一人です。(穏やかな笑み)
症状はといいますと、人と食事をしなきゃいけないことへの強い緊張感とか不安感が第一に来るんじゃないでしょうか。
目に見えて現れるのは、身体の震えとか発汗とか。
あとは動悸が激しくなったり吐き気を催したり、目眩がするなんて人も。
とにかく他人と一緒に食事をとるのが怖い!嫌でしゃーない!って人は、会食恐怖症の可能性があるんじゃないですかね。
どうでもいいかもしれませんが、社交不安障害(Social Anxiety Disorder)の略称が「SAD」なのってちょっとオモロいですね。So sadですよホンマに。
始まりは保育園
保育園の給食、今となっては、ここから私の会食恐怖ライフが始まったように思います。
そもそも当時私は好き嫌いがとんでもなく多く、それに加えて食べるのも遅いという問題児でした。
単に嫌いなだけと思っていたら実はアレルギーがあったと後に気づいた食材もいくつかありましたが、それを度外視しても食べ物の好き嫌いは激しい方だったと思います。
この時点で他の子と同じようにお食事を楽しめるワケがないのですが、それに加えて人見知りがバカほど激しかったのも、会食恐怖に拍車を掛けたような気がしています。
私の通っていた保育園では、同級生だけでなく他の年の子とも食事をともにする機会が結構な頻度でありました。
班を作って給食を一緒に食べる、という様式を小学校などで経験した方も多いでしょうが、アレみたいなもんです。
これぞ会食という感じですね。
それぞれ6~8人ほどのグループがいくつか作られ、年齢性別関係なく一緒に給食をとるというスタイルでしたが、私はコレがべらぼうに苦手でした。
何が悲しくて友達でもない、それどころか顔と名前が一致すらしない人間と顔を付き合わせて食べなきゃいけねェんだ、と給食前から気が重くなっていたことを思い出します。
好き嫌い(アレルギーも)が多い
食べるのが遅い
極度の人見知り
というわけで主に以上の3点が、他者と食事を共にすることに対して私が保育園児時代に感じていた違和感でした。
当時アスパラガスが異常なほど苦手だったのですが、ある日給食の時間をとうにオーバーしているにも関わらず、食べ終えていないからと教室の隅の方で延々とアスパラに対峙させられ続けたのが苦い記憶として頭の片隅でシミになっています。
ちょっと他の子から離れた場所に移されて、食べ終わるまで帰れま10をされた経験、皆様にはおありでしょうか。
だからといって皆の輪の中に放り込まれ、それこそキャンプファイヤーのごとく私を囲んでマイムマイムでも踊られたらそれはそれでトラウマになりますけどね。
地獄と化した学校の給食タイム
量が多すぎる
会食(というか給食)への仄かな不安を抱えたまま人生を進め、小学生となった私はやはり給食の時間に良いイメージを持てませんでした。
先ほど書きました3点に加え、量の多さも問題になってきたのです。
特にご飯やパンの代わりにソフト麺が主食としてメニューにある日は、ソフト麺+主菜副菜…というようなメニューだったのですが、確か小学校高学年辺りからそこに小さめのコッペパンが追加されたんですよね。
ただでさえ多いと感じていた給食にコッペパンがプラスされたのは正直、正気の沙汰ではないと思っていました。
元から小食だったのかと言われればそんなワケでもないと思うのですが、学校の給食も含め、外で食事をとるとなるとどうも食べられない。
というか外にいるとあまり腹すら減らない。
無理矢理食べようとすると吐き気が止まらない… でも食べなきゃまた帰れま10に参加させられるし…でも腹八分目どころかすでに十分目だし…と、楽しいはずの給食タイムに一人で追い詰められていたという感じです。
時間内に食べ切れない
それに圧倒的に時間が足らんのです。
あの量の給食を、しかも友達と話しながらキッチリ給食の時間内に食べきることができる、そんな同級生達を見て、コイツらは新人類なのだと信じようとしていたこともありました。
給食の時間は準備・片付けを含めて1時間ほどありましたが、そもそも時間制限を設けられた状態で落ち着いた食事をとることは、私にゃできません。
しかも「準備・片付けを含めて」ということは、そこで時間を食ってしまえば食べる時間は短くなるということです。
特に準備に関しては、クラス全員が給食を用意し、着席した段階でやっとこさ「いただきます」の号令がかけられたので、着席前に牛乳をぶち零す輩が出てきたりしたら即座に絶望に叩き落とされるワケです。
「テメーの牛乳管理が杜撰だったせいで給食時間が大幅に減ったんだよオタンコナス!!!!」と掴みかかるわけにもいかないので、食べる時間が刻々と減っていくことに内心ド焦りしながら、濡れたぞうきんやバケツを持っていくなんてしていたものです。
外食ができねぇ
話しながら食べられない
今までお伝えしたとおり給食に嫌気が差していたのはもちろんのこと、プライベートでの外食もキツいものがありました。
頭のネジが数本外れているとしか思えないこんな私と友人になってくれた数人とすら、マトモに外食が楽しめないとは、もう笑うしかありません。
外食の何がそんな嫌なんだよという話ですが、まず話しながら食べられないという問題が立ちはだかりました。
友人に「食べながら話そうゼ」とサイゼリヤに引きずり込まれたり、お知り合いになった女性から「一緒にお茶でもいかがですか?」と洒落たカフェに誘われたりといった心躍る体験が皆様にはおありかもしれませんが、私にはこういったシチュエーションを素直に喜ぶ余裕がないのです。
ちなみに、口にモノを入れたまま喋るのは行儀が悪いとかそういったマナーの話ではなく、「喋ること」と「食べること」を両立させるのが難しいという意味です。
どちらか一方に意識を向けるともう片方を忘れてしまうというのが適切な表現でしょうか。
「喋ること」を意識すると目の前のミートドリアをそっちのけにして会話に集中してしまうし、「食べること」を意識すると一緒に来ていた友人をそっちのけにしてポテトを淡々と口に運ぶだけのロボットと化してしまうというワケです。
周りを気にしすぎる
また、あまりにも周囲が気になりすぎるというのも、私が外食を苦手とする大きな理由の1つになりました。
よほど寂れた場所にヒッソリと佇む飲食店とかでなければ、大抵の場合は自分たち以外にもお客サマがおられますよね。
その方々のちょっとしたお喋りがハチャメチャに気になったり、もしかしたら自分の食事姿が見られていて「マナーがなっていないゾ どんな教育受けてんだよ」とか思われてるんじゃないかと勝手に想像して落ち込んでしまいます。
モチロン他のお客サマが悪いワケじゃないですよ。
というか私をそんなガン見するような暇人はいないと思います。
他にも、自分の咀嚼音だとか嚥下音で周りを不快にさせているんじゃないかとかもたまに考えますが、よく考えてみるとそれはちょっと相手さんの耳が良すぎるだけなんじゃないかと思い始めたので、考えるのをやめました。
私は「人と食事をするのが苦手」ですが、その「人」というのには、自分と食事の席を共にしている(同じ卓を囲んでいる)相手だけでなく、同じ空間にいるお客さんや店員さんも含まれるのでしょうね。
元々人の多い場所、言い換えれば賑やかな場所や刺激(音とか光)が多い場所は不得意だったので、そういった場所に行ったときに出てくる過敏症状みたいなものが、外食のシーンでも発現しているんじゃないかと考えています。
日常には危険がいっぱい
食事の機会が多すぎる 当たり前だけど
当たり前ですが食事の機会というのは多いですよね。
健康的な生活を送っている皆様であれば、朝昼夜の1日3食をキチンととられていることでしょう。
私はというと、白米にいちごジャムを塗ったり麦茶で炊飯したりという奇怪な食生活を送っていたこともありましたが、特に前者については一口食べた時点で人生最大レベルの後悔をしました。
んなクソどうでもいいことは置いておいて、食事の機会が多いということはすなわち他人と食事する機会もそこそこにありませんでしょうか。
友人や家族と一緒に外へ出かけてみれば、食事時になると流れるように「どこで食べる?」「何食べたい?」という話になりますし、学生の皆様であればそれこそ給食から逃れることは難しいですよね。
一人で外出していようと、人間たるもの腹は減りますので結局どこかで腹を満たさないといけないですしね。
会食を苦手とする私は、「誰と」「何を」「どこで」「何分間で」食べるのかに毎回注意を払っていますが、マアおかげで5W1Hのようなものを常に意識しておくクセはついています。
しかしまさか人間の三大欲求のうち1つを満たすために、これほど苦労させられるとは思っていませんでした。
大学生時代の涙ぐましい努力
そんなモンですから大学生時代は、昼頃になると学校をおサラバして一度帰宅し(徒歩15分前後)、午後から授業がある場合はまた15分かけて登校するという、効率重視の人が見たらひっくり返りそうな生活を続けていました。
でもマ、しゃーないのです。
大学なんていう大変賑やかな場所で昼食をとるより7倍はマシなのです。
コレが私の生き様!(ガッツポーズ)
もちろん友人からお誘いがあれば一緒に食べることもありましたが、何らかのイベントの打ち上げや飲み会などはほぼ全て丁重にお断りしていました。
「飼っているゴキブリが危篤で…」「これから腹痛に襲われる未来が見えたから…」などと意味不明な言い訳を重ねつつここまでやってきましたが、そろそろバリエーションを増やさないといけませんね。
修学旅行とかヤバい
会食+いつもと違う場所での外食。
これが修学旅行などの行事における食事です。
まさに苦手なものの詰め合わせ、苦手の宝石箱や~といった感じなのでこの時点でお通夜気分なのですが、私の場合ここにもう1つ、アレルギー持ちであることが追加のスパイスとして加えられました。
アレルギー持ちであると何が起きるか、それは、他の生徒と異なる食事が用意されるのです。
付け加えると、特別扱いをされるのです。
バイキング形式の食事に舌鼓を打とうとヨッコイセと席に着いた瞬間、スタッフさんに連行され、「こちらとこちらの料理にこの食材が使われています、こちらに関しては製造工程が一緒なのですが…」と次々説明を受け、工場視察に訪れた上役のような気分になりながら相槌を打った中学校の修学旅行。
準備された中華料理の多くに該当のアレルギー物質が含まれていたため、お店側が私だけのために用意してくださった弁当(中華ではない)をモソモソ食べながら、中華にはしゃぐクラスメイトをただ見つめた高校の修学旅行。
どちらも私のためを思って対応してくださり、本当にありがたいことでした。
しかし、クラスメイトから哀れみの視線を受けながら食事にありつくというのは、これもなかなか消え入りたい思いがありました。
完治を急ぐな!
自分への言い聞かせでもありますし、何も会食恐怖症だけに言えたことでもありませんが、とりあえずはこう思ってノコノコ生き延びています。
公園のベンチでパン食うとかならいける
お昼の公園でベンチにチンマリと座り、寄ってくる鳩ポッポにいらぬ親近感を感じながら菓子パンを貪る。
私はそういう小さいところから慣らしています。
あとは、食事と呼べるかは怪しいですが、人の多い場所でグミとかチョコを食べてみるとか。
こういうお菓子ならすぐに食べるのを中断できますし、ちょっとお行儀は悪いかもしれませんが、その辺をウロチョロしながらひとつまみだけするということもできますからね。
「食事は単なる日常の1コマ」と思い込む
お菓子や軽食を人前で食べてみる
食べ歩きしてみる
腹一杯なら残しても大丈夫
他人は案外自分を見ていないということに気づく
逆に見てやる
今のところ私は上記を意識して、この症状と付き合っています。
自分のペースで向き合おう
出された食事は残しちゃダメだとか、時間がなくて落ち着いて食べられないとかっていうのは、食においてかなりのストレス要因になり得ると思っています。
なので、いっそのことそういったストレスをぶん投げてみるのも良いかもしれませんね。
どこかに外食に出かけていつも通り料理を頼み、ちょっっっとだけ残してみる!(食べたいならどうぞ)
動画とかテレビでも見ながらノッソリと食べてみる!
という感じで、「いかに気楽に食べるか」、「いかに楽しんで食べるか」に重きを置いてみてはいかがでしょう。
何も「明日の夜各国の首相が集まるディナーに参加してこい」みたいな、差し迫った重大な使命を仰せつかっているワケでもないと思うので、ゆっくり向き合っていくのがベストだと思います。
人には人のペースというものがありますよね。
自分のペースを見つけ、理解し、それに合わせて生活していけばいいんですよ多分。
マリオだって、初見プレイでいきなり8-4をクリアできる人もいれば、1-1再序盤のクリボーに屠られ続ける人もいますよね。
はよ治さなきゃ!人と同じにならなきゃ!ピーチ姫がマズい!と焦らなくても、だいじょ~~ぶ。
呑気に鈍感に生きてみようや!
あとじゃがりこは美味い!
クソ長い文章をタラタラ書いてしまい申し訳ない!
ご閲覧ありがとうございました!!🥔🍟