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コラボ小説「オリーブについて(中編)」#火サスどうでしょう

〔前編〕

■ミナト③

 小学校の卒業式直前、夢のように消えてしまったオリーブ。
 さすがに18年が経った今では、当時の恋情など、持ち続けてはいない。それでも、さよならも言えずに離れた初めての恋人は、あまりにも強すぎるインパクトを、俺の中に残していた。

「僕は、反対ですね」
 不意に、ロケットが俺の右手に腕を伸ばし、オリーブの手紙をつかみ取った。
「本人がここにいないからって、手紙を勝手に読むなんて、気が進みませんよ」
「でも、本当は20歳の時に読まれるはずだったんじゃないの?」
 言いながら、今度はイチカが、ロケットから手紙を奪う。
「それに、この手紙、もう開封されてるし」

「えっ?」
 思わず、俺はイチカの手に移動した、ペパーミントグリーンの封筒に目を遣った。自分が持っていた時は気付かなかったけれど、確かに封筒の上端が開いている。
「それ、もう一回見せて」
 俺はそう言葉を添えつつも、イチカの答えを待たず、彼女から手紙を取り上げ、調べ始めた。

 封筒の裏を見ると、フタの糊付け部分に、封緘印の代わりだろうか、丸いスタンプが押されている。
「タイムカプセルに入れる手紙を書いたとき、教室に残ってた、イベントで使った便箋を使ったよな?」
「そうだっけ? ミナト、よく覚えてるね」
 イチカが、驚いたように言った。
「そうなんだ。封筒は何色かあって、誰が何を使ったかは覚えてないけど、こんなスタンプは、教室になかった」

 説明しながら、各自のジップロックに入っていた「20歳の自分へ」の手紙を確かめた。やはり、俺達の封筒は全員、糊を貼っただけの封緘で、スタンプがあるのはオリーブのものだけだ。
「Kの飾り文字のスタンプだ。なあ、オリーブの本名って」

「鈴木菜子なのこ
 イチカの声が、即座に答えた。

 そう、鈴木菜子。
 そして、彼女が小学2年生まで名乗っていた苗字は、折辺菜子おりべなのこ
 いずれにせよ、Kのイニシャルはつかない。

「どうにも不自然だ。やっぱり、手紙を読んでみるべきだな」
 俺はそれだけ言うと、封筒の上部に指を入れ、中の便箋を引っ張り出そうとした。

……その時。

「やっ、やめてくれ!」
 ロケットの大声が、俺の動きを止めた。


◆ロケット③

 子供の頃から癖になっている、ミナトへの敬語も忘れて叫んだ瞬間、僕は腕を伸ばし、手紙を奪い取ろうとした。
 しかし、その行動を予測していたのか、ミナトが手を引いて、手紙を僕から遠ざけてしまう。

「やっぱり、ロケットは何か知ってるんだな」
 ミナトは詰め寄るような口調で言いながら、僕を軽く睨んだ。
「イチカの本名は、市川なずな、だろ。Kはつかない。勿論、俺だってそうだ」
 わかっている。ミナトの名前は、吉田湊。イニシャルにKがあるのは……。

「該当者は、おまえだけだよ。柏木高志」
 僕にそう告げる、ミナトの声が、少しだけ冷たく響いた。

 あの手紙が、タイムカプセルの中に入っていることなどあり得ない。
 あり得ないのに、この封筒がそうだと僕にわかるのは、ミナトが指摘する、Kの飾り文字のスタンプが押されているからだ。

 これは、僕の母が友人のデザイナーに作ってもらった、世界に一つしかないスタンプなのだから、見間違えるはずもない。
 18年前、あの手紙を書いた僕は、母の鏡台の引き出しからスタンプを取り出し、ペパーミントグリーンの封筒に、封緘印として押したのだ。

「確かにこれは、オリーブの手紙です」
 もう、開き直るしかなさそうだ。
 僕はグラスに残っていたビールを飲み干すと、ミナトとイチカの顔を交互に見て、ため息交じりに答えた。

「でも、オリーブが書いた手紙じゃない。これは、小学生だった僕が、オリーブに宛てて書いたラブレターなんです」

 口にするのも、恥ずかしくて仕方がない。
 でも、18年前のものとはいえ、自分が書いた恋文を、こんなところで同級生たちに読まれるのは、絶対に嫌だった。

「ラブレター?」
 ミナトの、驚いた声が返ってきた。
「やっぱりロケット、オリーブが好きだったんだね。私、何となくわかってたよ」
 対照的に、イチカは、納得した表情で頷いている。小学生でも、女の子はやはり、男よりずっと敏感なのだろう。

「好きでしたよ、すごく。はっきり言って、初恋でした」
 ふたりの対照的な反応を流して、僕は話を続けた。

「本当に好きだったから、僕はオリーブを呼び出して、手紙を渡したんです」
 卒業する前に、どうしても、自分の気持ちを伝えたくて。

「だけど、おかしいんです」
 恋文だと告白した以上、この謎も投げ掛けなくてはならない。そう思い、僕は言葉を続けた。
「その手紙がタイムカプセルから出てくるのは、おかしいんですよ」
「オリーブがロケットのラブレターを、宝物としてタイムカプセルに入れた、ってことじゃないのか?」
 僕に言い返すミナトの声が、何故か怒っているように聞こえる。けれど、今は構っていられない。

「それは、絶対に違います」
「どう違うんだよ」
「あり得ないんです」
 ひとつ、息を吸ってから、僕はゆっくりと謎を吐き出した。
「僕がオリーブに手紙を渡したのは、3月20日。タイムカプセルを埋めた、2日後のことなんですよ」


◇イチカ③

 ロケットがその日付を口にした直後、私たちの周りに沈黙が降ってきた。   
 確かに、彼にしてみれば、それはあり得ないことなのだろう。
 でも、その答えを、私は持っている。

 3月21日の昼休み、オリーブと私は、屋上でお弁当を食べた。
 それまで、特に仲が良いというわけでもなかった私達だけれど、タイムカプセルを一緒に埋めたせいか、元気のないオリーブが気になったのだ。
「ミナトのこと、びっくりしたね」
 お弁当箱を開けながら、オリーブが淋しそうに呟いたことを、今でも覚えている。

 その日、ミナトは学校を欠席していた。
 3月18日から19日の予定で、1泊の旅行に出かけたお祖父さんが、21日の朝になっても帰らず、両親が警察へ相談に行ったのだ。ミナトは、留守宅にお祖父さんが帰って来た場合の連絡係として、家で留守番をするための欠席だと、先生が言っていた。

「うん、びっくりした」
 オリーブの言葉をなぞるように答えたけれど、本当に私が驚いたのは、彼女の声があまりにも悲しげだったからだ。
 女子の間で流れていた、ミナトとオリーブがつきあっているという噂は、本当だったのかもしれない。そんなことを思った。

 私の胸の内を知ってか知らずか、オリーブはお弁当を食べながら、淋しそうな横顔を隠そうともせず、こんな話を始めた。
「あのね、イチカ。3日前の夜に埋めた、タイムカプセルなんだけど」
「タイムカプセルが、どうかしたの?」
「私、あの中に入れる手紙、間違えちゃって。だからね、今朝、こっそり掘り返して、手紙を差し替えたんだ。大丈夫、元通りに埋めなおしたから」

 そう。
 確かに、オリーブは言ったのだ。
 タイムカプセルを掘り返して、手紙を差し替えたと。

 その後、ミナトは卒業式の日まで、学校には来なかった。結局、彼のお祖父さんの行方は、杳として知れなかったのだ。
 そしてオリーブも、私と話した翌日の22日以降、登校しなくなった。
 先生は、風邪でお休みだと言っていたけれど、中学校に進学した時、生徒名簿に彼女の名前はなかった……。

「イチカ」
 18年前の3月21日に、心を飛ばしていた私は、ミナトが呼ぶ声で我に返った。
「ん?」
「おまえはどう思う? ロケットが言うとおり、この手紙がオリーブに、3月20日に渡されたんだとしたら」
「ああ、それ、ね」

 私は水たばこを吸って、少しだけ考える。何故、ミナトがこれほど、真相を知りたがるのかはわからないけれど、もう昔のことだ。本当のことを話しても、何の問題もないだろう。
「その話、最後に会った日にオリーブが言ってた。タイムカプセルを掘り返して、手紙を差し替えたって」

「本当、かよ」
 次の瞬間、ミナトの顔色が変わった。
「ど、どうしてオリーブは、そんなことをしたんですかね?」
 ロケットも明らかに動揺している。
「入れる手紙を間違えたって言ってたの。だから差し替えて、もう一度タイムカプセルを埋めなおしたって……あれ?」
 私はふと、自分の言葉に矛盾をみつけて、話を止めた。

 ロケットがオリーブに手紙を渡したのが、3月20日なら。
 タイムカプセルを埋めた3月18日に「入れる手紙を間違えた」というのは、筋が通らない。

「おかしな話だな」
「辻褄が合いませんね」
 ミナトとロケットが、私の考えを読んだかのように、同時に呟く。

 そして。
「悪いな、ロケット。やっぱり、この手紙、読ませてくれ」
 そう言うや否や、ミナトはペパーミントグリーンの封筒から、二つに折られた白い便箋を取り出したのだ。

「わっ、やめてくださいよ!」
 ロケットが、抗議するように叫ぶ。けれど、ミナトはその声に構いもせず、便箋を広げて、そこに書かれた文字を読み始めた。


■ミナト④

 ロケットがオリーブを好きだったなんて、まったく気付かなかった。
 正直なところ、苦々しい気持ちが胸を過ぎる。俺にとっても、彼女は初恋の相手、しかも初めての恋人だったのだから。
 でも、今は、そんなことに構ってはいられない。俺は意を決して、ロケットのラブレターを読み始めた。

『オリーブへ
 もうすぐ、卒業式ですね。
 同じ中学へ進むのだから、お別れというわけではありません。
 でも、僕は卒業式の前に、気持ちを伝えておきたくて、この手紙を書くことにしました』

 ロケットを見ると、テーブルに両肘をつき、手で顔を覆っている。
 それはそうだろう、18年前に書いたものとはいえ、同級生が目の前で、自分の恋文を読んでいるのだから。
 俺だったら、恥ずかしくて耐えられない。

『はっきり書きます。僕は、君が好きです。
 だからどうしたい、というわけではないけれど、君が好きです』

 そこまでは、可愛らしい小学生の告白だった。
 ……でも。

『君のお父さんは、僕達が2年生の時、亡くなったと聞きました。
 会社で、上司の専務からひどくいじめられて、自殺してしまったそうですね。
 僕のお父さんは、生きているけれど、君のお父さんと同じ、ヨシダ食品工場に勤めています。
 そして、専務からいじめられているのも同じです。
 だから、僕には、君の辛さが、少しだけわかります』

 この段落を読んだ時、俺は一瞬、呼吸を忘れた。
 ヨシダ食品工場の専務が、オリーブとロケットの父親に、パワーハラスメントをしていたということか。
 そして、こともあろうに、オリーブの父親が、それを苦に自殺していたなんて。

『もう一度書きますが、僕は、君が好きです。
 そして、僕が君の辛さを知っていることが、どうか君の心の痛みを、少しだけでも楽にしてくれますように。
                  柏木高志』

 その、短い手紙を読み終わった俺は、失望のあまり、大きなため息をついてしまった。
「どうしたの?」
 訝るイチカに手紙を渡し、グラスに残ったスコッチを一気にあおる。

 オリーブの名前が、折辺菜子から鈴木菜子に変わったとき、父親が亡くなり、母親の旧姓になったのだということは、本人に聞いて知っていた。
 けれど、それが自殺であり、原因がパワーハラスメントだということは、今、初めて知った。

「ミナト、そんなにショックだったの?」
 手紙を読み終わったイチカに言われ、俺は顔を上げた。
 ロケットも、いつの間にか手をテーブルに置き、俺を見ている。

「ヨシダ食品工場の専務、っていうのは」
 泣きたくなるのをこらえて、俺は必死に声を絞り出した。
「俺の、いなくなったじいちゃんのことなんだ……」


◆ロケット④

 僕が、オリーブ、ミナト、イチカと知り合ったのは、小学5年生の時、同じクラスになったことがきっかけだ。それまでは、まったく接点がなかった。
 ただ、オリーブとミナトは、1年生の時から、ずっと同じクラスだったらしい。

 ミナトと僕は、あっという間に仲良くなった。たまたま僕が持っていた、ギフトボックスのピカチュウのカードを見て、ミナトが話しかけてきたのが、最初の会話だったことを覚えている。

 当然ながら、知り合ったばかりの頃、僕はミナトに敬語など使っていなかった。小学生同士の友達らしく、普通に話していた。
 話し方を変えざるを得なくなったのは、僕が初めて、ミナトの家に遊びに行ってから、一週間ほどたった日のことだ。

「高志、おまえの友達に、吉田湊くんって子がいるだろ」
 仕事から帰ってきた父に、突然、ミナトのことを訊かれたのだ。
「うん、いるよ」
「明日から、その湊くんには、敬語を使って話してくれないか?」
「えっ、何で? 敬語なんて嫌だよ、ミナトとは友達なのに」
 当然、断った僕に、父は深々と頭を下げた。
「お願いだ、高志、頼むよ。そうしてくれないと、お父さん、会社にいられなくなっちゃうんだ」
 その言葉の意味は、全く理解できなかったけれど、これは父にとって、僕に頭を下げるくらい、重要なのだということはわかった。

 そして、大人になった後、父がその理由を話してくれた。
 父の会社で絶対的な権力を持っていた専務、つまりミナトの祖父に、こう命じられたというのだ。
「おまえの息子が、うちの孫と対等にしているなんて生意気だ、明日からちゃんと敬語を使わせろ」と。

 ヨシダ食品工場は、ミナトの曾祖父が立ち上げた会社だ。もともとは、大手食品メーカー、花園フードの下請け会社だったという。
 しかし、起業して数年後、ヨシダ食品工場は花園フードの傘下に入り、子会社化した。
 代表取締役は、親会社から社長がやってくるが、ほとんどお飾りのため、実質的には専務取締役が実権を握る。そして、ミナトの祖父は、どうしようもない人間の屑だった。

 ミスを犯した社員に頭を丸めさせる。
 気に入らないという理由だけで、異動や降格を言い渡す。
 社員が何日もかけて用意した会議に、気が向かないと出てこない。
 勿論、罵声を浴びせることなどは、日常茶飯事だったという。

 そして、反対意見を述べた社員がいたら、徹底的にいじめ抜く。
 会社には、そういう社員を異動させるために、工場内のきつい仕事だけを集めた部署まであると、父が言っていた。

「俺のじいちゃんが、オリーブやロケットのお父さんに、パワハラをしていて……それで、オリーブのお父さんが自殺したなんて」
 ミナトは苦しそうに言い、頭を横に振る。
「俺には、やさしい普通のじいちゃんだったんだ」

「そんなの、ミナトのせいじゃないですよ」
 僕は、パワーハラスメントのことをミナトに知らせるつもりなど、まったくなかった。そもそも、オリーブに宛てた手紙を彼が読むなんて、想像もしていなかったのだから。
「確かに、じいちゃんがいなくなった時、警察が事件の可能性もあるって、少し調べたんだ。でも、じいちゃんに恨みを持つ人間が多すぎて、結局はわからなかったんだよ」

「ミナト、お酒、もう一杯飲もう。同じのでいいよね?」
 気を利かせたのだろう、イチカがそう言いながら立ち上がり、マスターに注文を告げに行った。


◇イチカ④

 ミナトのスコッチとロケットのビールが運ばれてきた時、張り詰めていた空気が、少しだけ和んだ気がした。

『あの時』オリーブに聞いた話が真実だとしたら、彼女の手紙は今、ここで読まれるべきだ。手紙が差し替えられたことを知っていた私は、そう思い、タイムカプセルを掘り返しに行こうと宣言した。
 けれど、オリーブの話に出てきた『あの男』が、ミナトのお祖父さんのことだとは、想像さえしていなかったのだ。

 ミナトとロケットはそれぞれのグラスに口をつけ、私は再び、水たばこを吸った。甘い煙が、ふんわりと白く立ち上っていく。

「オリーブはどうして、僕のラブレターを、みんなに読ませたかったんでしょうね?」
 ロケットが、思い出したように呟いた。
「もともと、タイムカプセルは、二十歳で掘り出す予定でしたよね。その頃はみんな、就職や進学でバラバラだったから、できなかったですけど。でも、オリーブが手紙を差し替えたってことは、未来の僕達に読ませるため、ということじゃないですか」
 そうかもしれないし、違うかもしれない。

「オリーブは、お父さんがパワハラのせいで亡くなったことを、大人になったミナトに知らせたかったのかな」
 とりあえず、私は思いつくまま、出まかせを口にしてみる。
「そうかもしれませんね。まだ子供だったから、二十歳になったミナトなら、それを受け入れられると思ったんでしょう」

 ロケットが、そう言った瞬間。
 俯いていたミナトが、何かを思いついたように、ふと顔を上げた。
「なあ、イチカ」
 私を呼ぶ声に、私を見る目に、力が戻っている。

「な、何?」
「おまえ、どうしてロケットと俺に、この手紙を掘り出させたんだ?」
「どうしてって、その……」
 思わず、私は口ごもってしまう。

 オリーブから聞いた『あの話』が真実かどうか、私は是非とも知りたかった。
 そして、ロケットのラブレターを読んだ今、100%ではないものの、おそらく真実だろうとの確信を持っている。
 でも、それをこの場で話すつもりは、全くなかったのだ。

 ミナトは、私の目をまっすぐに見たまま、まるで水たばこの煙を吐くように、ゆっくりと言った。
「イチカ、おまえ、大人になってから、オリーブに会っただろう」


(後編に続く) 


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