見出し画像

おバイク一人旅~石川県千里浜(SSTR) 2018.5.26

バイクに乗るようになった時、こんなことを思っていた。
「遅くても下手くそでもいいから、遠くに行きたい」
最初はなかなか乗れず、50kmも走ったらクタクタだったので、周りの皆は、その夢はなかなか難しい・・・どころか、乗れるようになれず、やめてしまうのではないか、と思っていたらしい。
それから5年の時が流れて、私は今、遅くて下手くそは変わらないものの、一応、長距離ライダーの端くれになっていたりする。

初めての、バイクでの一人旅は、2018年5月。
SSTR(Sunrise Sunset Touring Rally)というイベントの存在を知ったことが、一人旅を始めるきっかけだった。
太平洋もしくは瀬戸内海から、石川県羽咋(はくい)市にある、日本海の「千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイ」まで、日の出から日没までの間に、太陽を追いかけて走ろうという、文字通りのイベント。
現在は参加台数が増えたため、ゴールが3ヶ所になり、また今年に限っては、コロナ禍で残念な内容になっているが、私が参加した年は、ゴールは千里浜のみだった。そのため、2000台以上のバイクが、各々設定した、東の浜の出発地点から、一斉にひとつの夕日をめざしたのだ。
前々から参加したいと思ってはいたが、私にはまだ、500km以上の距離を走り抜く自信がなかった。
しかし、日本海に沈む夕日と、長距離ライドへの憧れは、募る一方。そして、ついに覚悟を決めたのが、2018年の第6回開催だった。

どうせ行くなら、一人で行ってみたい。
自分の力だけで完走してみたい。
無謀にもそんなことを思い、そしてほぼ勢いだけで、私はSSTRへのエントリーと、一人分の宿の確保をして、せっかく行くのだからと、翌日は能登半島を回ることに決め、二日目の宿まで予約したのだ。
しかし、ライディング以上に大きな問題が立ちはだかる。私は「そこまで酷けりゃもう、障害だよ」と言われたほどの方向音痴なのだ。
ツーリングマップルという、バイク用の地図を買ってみたものの、当然読み方など分からない。しかし、PCやスマホのマップやナビでは、表示される範囲が狭く、500kmのルートを決めるには力不足だった。
せっかくの旅だから、高速道路はなるべく避けたいけれど、全下道では日没に間に合わない。じゃあ、どこをどう通ればいい?
結局、知恵熱を堪えながら地図をめくり、PCのマップで所要時間を割り出して、福島県いわき市の小名浜港から、千里浜までのルートをどうにかこうにか決めた。
所要時間、実に二週間。全て紙に書き出したものの、あまりにも不安なため、スマホのマップにルートを設定し、音声だけを聞きながら走ることにした。
(私はある理由から、バイクにスマホスタンドを取り付けていない)

ところで私には、超ベテランライダーの相方がいるのだが、彼に参加の承諾を求めた時の会話を、今でも覚えている。
「これ、行ってもいいかな。こういう内容で、ここまで行くんだけど」
「ふうん。誰と行くの?」
「それが、一人で行くんだけど・・・」
「そう。いいんじゃない?」
てっきり反対されると思っていたのに、あっさりOKが出た。
驚く私に、彼が続けた言葉が忘れられない。
「誰かと行くなら遊びだけど、一人で行くなら挑戦でしょ」
自分の流儀と信念を貫いて走り続けてきた、ベテランライダーのこの一言は、とても重く、とても嬉しかった。
言った本人は忘れているけれど。

出発の朝は、文句無しの快晴。バイクのスクリーンに貼った、1989と大きく書かれたゼッケンが、とても誇らしかった。
まずは出発地点と決めた、小名浜港へ行き、SSTRのシステムに出発登録。そして、走り出したときは、転んでばかりだった乗り始めのことを思い出して、涙が出そうだった。
SSTRのルールは難しくないが、各都道府県に設定された「指定道の駅」のいずれかに寄ることと、道の駅やサービスエリアに行くことで得られるポイントを、10点以上貯めることが必要になる。
その回では、福島県の指定道の駅が猪苗代だったため、まずはそこまで常磐道、磐越道と高速道路を乗り継ぎ、その後は新潟県にある、北陸道の三条燕インターまで、下道で目指すというルートを決めていた。
ポイントを貯めつつ休憩するため、道の駅やサービスエリアには、他の参加ライダーが常にいて、初対面なのに話に花が咲いた。
女性のソロは少ないため、驚かれたりもしたが、他の地域から同じ浜を目指すライダーたちと話すのは、本当に楽しかった。
しかし、このお喋りが後に、私を大変な事態に追い込むのだけれど・・・。

初めて走った三陸道は、道幅が広く、とても快適な高速道路だった。
とにかくトンネルが多いのだが、その道幅のおかげで、私の苦手なトンネルの圧迫感がない。快適に柿崎インターまで走り、再び下道へ。
そして、日本海に出た。
初めて自力で来た日本海は、私が見なれた太平洋より、水平線が遠くに感じた。イメージしていた荒波ではなかったけれど、海岸側の所々に大きな岩があり、日本海らしい強さのある光景を作り出している。ああ、日本の反対側に来たんだというあの感動は、言葉では表せないほどだった。
本当は日本海沿いの下道を、もっと先まで走るつもりだったが、時間がないと判断し、糸魚川インターから再び、三陸道に乗った。予定変更の悔しさは、入善PAから見ることができた、それはそれは美しい立山連峰の遠景が、吹き飛ばしてくれた。

富山県の小杉インターで高速を下り、いよいよ下道で、ゴールの千里浜なぎさドライブウェイへ。この時点で既に、予定時間を一時間オーバーしていた。
経験者に、忠告されていたのだ。楽しいからって、他のライダーと話してばかりいると、時間が無くなって大変だよ。分かっていたのに、やらかしてしまった。
そしてゴールへ向かう途中、焦りから、私は自分が記憶していた交差点ではなく、ナビが指示した場所で、左折してしまったのだ。
そこから先は、走れど走れど山道。私が知っている太平洋のそばには、山などないので、海に向かっているのにどうして山なんだと、ナビを疑う頃には、戻るには遠すぎるところまで走っていた。
山の夕暮れは早く、どんどん日が傾いてくる。車一台通らない道路を、泣きそうになりながら走っていると、小さな標識に分岐の表示があり、左折の矢印の先に「羽咋」の
二文字が!
迷わず標識に従い、苦手な峠を必死に越えて、久しぶりのコンビニを見つけた時は、もう平地に出ていた。目の前を、SSTRのゼッケンをつけたバイクが通り過ぎたので、後をついていくと、ゴールの千里浜なぎさドライブウェイに入ることができた。

最初に出迎えてくれたのは、憧れ続けた、日本海に沈む夕日だった。
太平洋のそばに住む私は、太陽が海を金色に染めて昇る、その美しさをよく知っている。
しかし、太陽が海に沈む時、海が金ではなく、朱に染まることは、この時初めて知った。
美しい、なんて生易しいものではなかった。本当に、本当に素晴らしい夕景。長旅の疲れも、迷子の恐怖の記憶も、その朱がすべて包み込んでくれたように思えた。
18時52分、到着登録をして、私のSSTRはどうにかこうにか、完走となった。

千里浜なぎさドライブウェイは、バイクや車で走ることができる、砂浜に作られた道だ。沿道では地元の方や、先にゴールしたライダーが迎えてくださり、また、お母様たちのお振る舞いで、能登の塩を使ったおむすびと、貝汁をいただくことができた。
迷子により怖い思いはしたけれど、事故やバイクの故障など、もっと怖い経験をすることなく、無事に終えられた。
ほっとした時に思い出したのは、ずっと応援してくれた相方と友人達、そしてしっかりと整備してくれたバイク屋さん、皆の笑顔だった。

こうして始まった、私の「おバイク一人旅」。
初々しい一人旅だったが、今ではどこまでも走り、まさかこんなんなるとは思わなかった、と言われてしまうほど、周囲を呆れさせている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?