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【今週も何とか生き抜いた】vol.21

(5/20〜5/26)

こじらせマイノリティ

Mon.

小学校時代の友達と久々に酒宴。
私が「小学校時代の友達」と呼んでいるのは、5年1組での一年間で同じクラスだった時の同級生のことだ。

私は、小学校だけで4校を渡り歩くというキャリアの持ち主で、
小学校1年生 … 北海道札幌市の小学校
小学校2年生〜3年生の1学期 … 東京都渋谷区の小学校
小学校3年生2学期〜5年生 … 東京都世田谷区の小学校
小学校6年生 … 東京都多摩市の小学校
と細切れに各地で小学生時代を過ごしている。
中でも小学校5年生の1年間は、クラスみんなでとても仲が良く、私は6年生になる時に多摩市の小学校へ転校してしまったけど、「5年1組」だった面々とその後高校生になっても大学生になってもしょっちゅうクラス会をやったりプライベートで会ったりしてるのだ。
大人になった今も、時々集まって飲んだり食べたり旅行に行ったり。
ありがたいねえ。

そんなクラス会あるあるなクラス事件簿の思い出話、になると
「アレ?お前6年生の時はいないんだっけ?」
「あ、そっか。皆と一緒に卒業したつもりになってた」
と、皆の6年生の時の思い出を共有出来ていない私に、優しい言葉をかけてくれて実は私はその度に嬉しくて幸せで咽び泣いているのよ、心の中で。
というほどに思い入れのある私の小学校5年生の1年間は、はっきり言って私の人生のピークであった。毎日中々楽しかったんだよな~

なので、たたでさえ嫌だった「転校」は、5年生の終わりに世田谷区から多摩市へ引越すことになった時には本当に辛くて悲しくて、心底親を恨んだものだ。
小学校を4つも変わった理由は私が転校した先々で問題を起こしていたからではなく、完璧に親の都合だったから、「なんで」の気持ちが爆発して、クラスを離れる時には私はゲボが出るほど泣いた。

大人になって振り返ると、当時私の両親は(転勤ではなく)上京したり、会社を興したり、その時々で懸命で必死だったのだろうと思うから、子ども(=私)の中での転校に対するセンシティブな感情を思いやることの優先順位は低いだろうことは理解できる。
理解は出来るけど、あれから何十年も経った今も「嫌だった気持ち」は結構新鮮に覚えている。理解と感情は別モノなのだ。

GW中に芝桜まつりとやらに行ってみた
なんちゅーかこう、バズりたくてたまらないんだな、なスポットだった
どこもかしこもあざとカワイイ、、

「◯◯◯から引越して来た◯◯◯◯です。よろしくお願いします」
自分へ向けられた好奇の目を感じつつ、「そういうの、気になりません」という態度の最適解を全身で探す、あのカンジ。

高校生くらいまでは「親のせいで」みたいにマイノリティ気分を拗らせていた私だが、ある時それを愚痴ったところ担任教師に
「確かに親のせいだし責任あったと思うよ。でもそれに気付いた瞬間から自分の責任になるんだよ」
と言われて、ハッと思ったのを覚えている。
確かにな、と素直に思えたのは私のいいところだと思う(自分で褒める)。そこからだんだん色んなことがラクになっていった。
ま、私も大人になっていったということなんだろうけども。

今となっては「そんなことで?!」と我ながら思うことだらけだが、当時は「そんなこと」が私の世界のぜんぶだったので、この転校生気質みたいなもんは、その後の私の人生をずっと覆っているのもまた事実。ラクになったとは言え。皆さんの子ども時代の記憶とか感情って、そんな風に自分の中で醸造されていくものですよね。
なので、それがいいとか悪いとかじゃなくて、そういうモノの見方をしてるよね私、というだけの話なんだけどさ。

ところでこの日の4人で囲んだ酒宴での話題は半分くらいが「誰と誰が同じクラスだったか」で、みんな思い込みや完璧忘却とかがあって全然話が前に進まない。
面白すぎる。
気付くと皆それぞれカバンから老眼鏡とりだして、スマホでSNSアプリ開いて答え合わせしたりしてる。
面白すぎる。
次回はもっと内容のある話がしたいが、おんなじ話をしちゃう気がするよ!

Thu.

浅草でお笑いライブ見た後に行った中華料理屋が強烈だった。

もっと、なんかこう、片付け方なかったのか?
或いはもっと可愛らしく置けなかったか?
椅子の背もたれ越しにめっちゃ食事してるところを見てくるパンダたち

値段も高くはなく、味もそこそこなファミレスレベルのお店だったけど、客が私たちの他にもう1組しかいなかった。
ということはつまり、パンダのぬいぐるみとほぼ同数の人間しかいなかったんだよな。まぁまぁ広い店だったので、我々と他のグループ客とパンダたちのそれぞれが孤立してるような絵面になっていてたまらんかった。
シュール過ぎる。

でも浅草なんて今やどこでも混んでいて、食事するところを見つけるのも中々大変なので、パンダレストラン、最後の切り札的に覚えておこうと思った。
シュールだし。

Fri.

明日、実家の母がプチ入院・プチ手術を経て退院するのでたまには私の手作り料理でお迎えしようと、夕飯後にキッチンへ立ってアレコレ作ってみた。

元々が料理するのがあんまり好きじゃないので、決して手際が良い訳でもないし、金曜の夜なんてすっかりお疲れちゃんで眠い目を擦りながらの料理だ。

しかしよくよく考えると、私の手料理を母親に振る舞うというのは、、、え?初めて?
正月にローストビーフ作って持って行ったりしたことはあるけど、こんなに何品も作っておもてなしするのは初めてに近いのかも。私、大学卒業してすぐ家出ちゃったし実家じゃ何もしないし。

なんか、緊張して来た笑。

Sta.

とりあえず母は無事退院。
どうやら弟1号(2号までいる)が、母を病院まで車で迎えに行ってくれたらしい。安心&ありがたい。

私は自分が作った料理に加えて、しばらく母が買い物しなくて済むように実家の駅前スーパーで色んな食材を買ってから実家に向かうことにした。
このスーパーがさ!!!高いんだよ野菜も肉も魚も惣菜も!!!かとって品物が特段良い訳でもない!!!
いい商売してんなおい!!!始終イライライライライライラしながら買い物。

リュックにパンパンに荷物を入れ、両手に買ったものと作って来た料理のタッパー抱えて、私のいでたちはもうちょっとした仕入れだ。或いは闇市。

実家に行くとまだ弟1号がいて、何か嫌な予感するやでと思ったけど、案の定私が作って来た惣菜のすごい量食べて帰って行った。
2日くらいは母が料理をしないで済むようにと思って大量に持ち込んだのに…!くそお、食べるなとも言えず。美味しい美味しいと言われていい気にもなっちまったじゃんか。
もっとたくさん持って行けば良かった。
でも母も美味しいと言ってくれたので、ま、いっか〜

すごく時間かかって作ったのに、写真撮るとこんなもんなんだな。私の手際がんばれ!
(肉じゃがは皿の3倍の量作って持って来たのだ!)

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