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言の葉とめぐる旅 2:コロナが来た

 第1話はこちら

 2020年に入り、私は2月23日の「流山アンサンブル交歓会」と3月28日の「大人が歌うクラス合唱の祭典」の準備をしていた。
 新型コロナウィルスの話題が出てきたのは1月下旬ころだと思う。その頃はまだ他人事というか、「少し気をつければいいよね、少しすれば収束するでしょ」という程度の認識だった。

2月、イベントの中止が出始める

 2月に入ってから少しずつ情報が回り始め、イベント開催は大丈夫なのかという疑問が立ち上がってきた。
 2月16日、すみだ第九(国技館すみだ第九を歌う会)が翌週2月23日のコンサート中止を発表した。堰を切ったように、他の大きめなイベントも中止の発表を始めた。イベント規模感からすると仕方ないと感じられるものだったが、では少中規模の自分たちはどうするのか、という問題に直面した。

 流山アンサンブル交歓会は、対策をしながら開催することとした。心配する声も大きかったし、辞退する団体も出たが、ホール担当者との打ち合わせ(現状把握と対策)が上手く行えたのが大きい。
 イベントを開催する側は、コロナについてどう考えていてどう開催するのかという表明をする必要が出てきた。流山市合唱連盟でも、ギリギリではあるが表明を出した。

 手指消毒液などの除菌道具類が買い占められて手に入らない、というのが一番の問題であった。私はこの期間に50店舗近く探し回ったと記憶しているが、何の成果も得られなかった。そんな中で、出演者から「近所で売っていたから買っていくね」などと助力をいただいたり、ホール側での調達も間に合い、どうにか形は整った。

 今から考えると至らない点も多々あったとしても、当時の状況・情報の中では上手く開催できたのではないかと自負している。私というよりも、連盟スタッフとホールスタッフが本当に丁寧に対応して下さった。私はただただ消毒アピールをして回った。(撮影時のみマスクを外しています)

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3月、涙の決断

 政府による学校休校指示があり、公民館も徐々に使用不可になってきた。シニアの団は当面の練習休止を決断した。コンサートの多くは中止・延期され、トイレットペーパーも買い占められ、アマビエがTLを賑わせた。

 3月16日、「言の葉とめぐる旅」の3団体指揮者ミーティングを行った。当時は「コロナは春すぎには落ち着いて、秋には通常にコンサートが出来るだろう」と考えていた。
 演奏会の概要やタイムテーブル、会計規模などの事務的な基礎は固まった。合同演奏したいよね、と様々な妄想を楽しむのは指揮者の常で、コロナ禍の重いムードを払拭するかのように様々なアイディアを出した。
 みなとみらいでコンサートして、みんなで中華街に繰り出して打ち上げしたいね、と言って、初回のミーティングを終えた。

 「大人が歌うクラス合唱の祭典」は出演辞退も増えてきたが、月末にはどうにかなるのではないかという淡い期待を残して、準備はギリギリまで進めていた。ストレスは大きかった。集団感染があった際の責任の重さも当然あるのだが、それ以前の「開催の是非を判断すること」そのものが重かった。

 3月中旬は感染者数が一時的に低下し、ちょっとした期待をいだかせた。3月20日~3月22日の3連休は、結構な人手だったらしい。
 3月22日、埼玉にてK-1が決行されたことが結構な話題となった。東京都知事からはふんわりとした「自粛要請」が発表された。東京都ロックダウンという噂が流れ始めた。パンフレット冊子が届いたが、気が気じゃなかった。非接触型体温計を買おうと思ったが、家電屋に売ってなかった。メルカリにたくさんあった。

 3月24日、オリンピックが延期され、合唱活動でのコロナ感染が報道された。25日には東京都の感染者数が200人を超えた。

 私は、吐きながら泣いた。

 本番3日前であるが、中止を決断した。関係者各位にご迷惑をおかけしたことを改めてお詫びし、応援して支えてくれた方に感謝します。

4月~5月、緊急事態宣言の下で

 4月7日、緊急事態宣言の発令。

 対面による全ての合唱指導が休止となった。公民館がどのタイミング再開するか分からないので、抽選会には行って予約をし、後日に「やっぱりまだ使えません」という連絡を受けて肩を落とす、という事を繰り返した。手帳に書いては消し、手帳に書いては消し。ボディブローのように、地味にダメージが大きかった。

 リモートでの合唱の模索が行われていた。どのツールが良いのか、音声遅延にはどう対応するのか、先駆者は知見を少しずつ積み重ねていた。
 私自身はそれを選ばなかったが、多くの人の支えとなったことだろう。

 私はnoteを書き、合唱団員向けの動画配信(限定公開)を始めた。「後から見返せること、家で声を出せる人ばかりでないこと」という配慮も合ったし、何より私に向いている方法であった。賛否はあれど、役に立った人も少なからずいるだろうとは思う。
 また、楽典の復習に時間を充てた。とりわけ、Sound Questさんにはお世話になった。


 5月25日、国としての緊急事態宣言が解除された。


 第3話に続く

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