福島の旅、只見町、河井継之助記念館、風っこ只見線満喫号2024

画像1 2024年5月福島県を旅行中です。只見駅に戻り、只見町インフォメーションセンターに立ち寄り、
画像2 コーヒーと、ドッつんというアレンジポン菓子で休憩です。ドッつん、カラメル味でめちゃ旨です。
画像3 宿に行く途中、昨年も立ち寄った広場で、人影っぽい、
画像4 案山子?昨年とメンバーが変っているようです。
画像5 そして、C58。
画像6 昨年より、
画像7 多めに撮ってみました。
画像8 この日の宿、「みな川」に着きました。
画像9 夕飯は,馬刺し、しゃぶしゃぶ、鯉こく、岩魚等々、とっても美味しかった。量も凄い。ウズラの卵が乗った小鉢は、アケビの新芽で、この時期だけの珍しいものだそうです。苦味があって独特でした。
画像10 早朝、靄がかかっていましたが、
画像11 良く晴れました。この日も、知る人ぞ知る観光周遊バス「自然首都・只見号」に。前日と違うルートで、
画像12 只見線から二駅先の会津塩沢駅あたりまで走ると、
画像13 河井継之助記念館に着きました。
画像14 開館まで少し時間があったので、河井継之助のお墓をお参りします。河井継之助は長岡藩の家老で、長岡藩の財政の立て直しなど藩政改革や戊辰戦争で活躍した方です。長岡城が落城した際、深手を負い、八十里越木ノ根峠を越え只見に到着し、この地の医師宅でなくなりました。
画像15 荼毘の跡遺骨は長岡に送られ長岡市のお寺に葬られましたが、村民が残った細骨を拾い集めてお墓を作ったそうです。賊軍を匿ったことを隠すため名前は刻まれていませんでした。
画像16 河井継之助記念館に入ります。帰りのバスまで1時間30分あったので余裕かと思いきや、解説の方の話を聞きながら見ると、時間いっぱい必要でした。河井継之助終えんの間として、亡くなった村医宅の一部を切って移築されていたり、ガトリング砲(再現)が展示されていたり、見応えがありました。
画像17 司馬遼太郎が河井継之助を題材に「峠」を書いて,数年前に映画にもなってましたね(観てないのですが)。ここを訪ねた時に眺めた場所のようです。
画像18 振り返ると、山塩資料館が。
画像19 塩沢では、古くから塩の井戸を利用して製塩されていたそうです。明治43年に採算が合わず廃止されたものの、物資不足のため昭和22年に1年間ほど再開していたそうです。今は塩の井戸はダムの底。
画像20 そろそろ帰りのバスの時間ですが、記念館の方が、只見線が来ることを教えてくれました。
画像21 間に合うか心配でしたが、丁度来ました。
画像22 トロッコ列車「風っこ」でした。
画像23 結構な撮影ポイントのようです。
画像24 手を振りながら、
画像25 沢山
画像26 撮って
画像27 しまいました。
画像28 只見駅に戻り、「げんき村」で少し腹ごしらえして、
画像29 今度は先ほど見た、「風っこ」只見線満喫号に乗ります。
画像30 会津若松まで3時間以上。只見線を満喫できそうです。続きます。

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