知識や技術って仲の良い人と笑って過ごすためじゃないかと思ってる

【四半世紀のアイドルファンが想うこと★V6★ vol.120】


多くの人は、日々気がつくと、勉強や仕事とか、何かに追われているかもしれない。

思えば物心ついたときから、「何かを習いなさい」とか「勉強しなさい」とか、社会人になったらどうやってこなしたらいいかわからない量の仕事とか、あれやれこれやれに追われてきた気がする。

もちろん勉強も仕事もとても大切だ。だが、物心ついた時から、知識とか技術とかを身につけることに追い立てられていた気がする。

生きていく上で、知識や技術はとても大事だ。

ただし、何のために知識や技術を身につけるのか、それを教えてもらったり伝えてもらったりすることは少ない。周りにそれを体現している人がいればいいが、そうでない時は自分でその意義を見つけないといけない。それを自分で探すのはかなりしんどい作業だ。

そもそも日々の生活や日常は何のためにあるのか。三宅健くん(昨年活動を締めくくったV6のメンバー)は、日常の楽しさについて、こんな話をしている。10年以上前のインタビューだ。

09年の目標は、"ワクワク"することをたくさん見つける。「子どもみたい」とか言わないよーに(笑)。この前、友だちとメシ食いながら「最近、楽しかったことは?」なんて話をしてたら、「今日、健とメシ食うって決まったときはワクワクしたな~」って言われたの。「"ワクワク"って、あまり日常会話で使わないよね?(笑)」とか言いつつも、なんだか妙にうれしくなっちゃってさ。誰かのワクワクが伝わることで、まわりも幸せな気分にすることもあるんだなーって、気づかされたんだ。
「duet」2009年2月号

確かに、日常会話であまり”ワクワク”って使わないかもだ。でも健くんが言うとおり、"ワクワク"があれば嬉しいし、周囲も幸せな気分にできる。

人類の永い歴史を振り返ってみれば、我々ホモ・サピエンスの歴史は約30万年前からだが、農耕を約1万年前に始めるまでの膨大な時間では狩猟採取生活を送っていた。色んな本によると、その頃の労働時間は3~5時間ほどだったらしい。狩りに行ったり木の実を採りに行ったりは、そのくらいの時間で十分だったらしい。
その頃の集団の人数は数十人から150人ほどでお互い覚えられる人数だったらしく、また生まれた時から顔見知りである。知らない人と仲良くならなきゃいけない技術は基本的には不要だ。
その生活を直に見るのは、タイムマシンがない限りできない。そこで、現代の狩猟採取生活を送っている人の生活のドキュメンタリーを見ると、昼間狩りに行くがそれは義務というよりは仲間とのワクワクする日常だ。仲間と知恵を使って役割分担をして獲物を仕留める。帰り道は湧き水のところで皆で笑って水浴びをする。夜になったら火をたいて、その周りで集団の皆んなが歌ったり踊ったりして楽しく夜を過ごしている。

これを日本の生活にあてはめて言えば、昼間よく見知った仲間とワクワクする仕事を3~5時間したら、100人くらいの家族のところへ帰って、夜はみんなでカラオケで歌いまくりの踊りまくりの生活だ。

一見自堕落な生活にも思えるが、みんな、家族のためになるワクワクすることをして、家族のもとへ帰ったら、笑って楽しくすごしたいものではないだろうか。

日本語だと”らく”も”たのしい”も同じ”楽”という漢字を使うが、”楽しい”ことがイコール”楽(らく)”ではない。ワクワクしながら充実して楽しく何かを行うことは可能だ。
人の幸せは、仲の良い人と笑って過ごすことではないだろうか。
そのために、狩りでも色んな仕事でも知識や技術が必要になる。歌って踊って過ごすためには誰かが楽器をひけた方がよい。そうすると楽器のための知識が技術が必要となる。

知識や技術を身につけるのって、仲の良い人と笑って過ごすためじゃないか、そういう風に私は思うのである。


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