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卒業論文 要約・目次

「待つ」社会運動論
‐新型コロナウイルスのパンデミック下、奨学金支給継続と帰国者支援拡充を求めるネット社会運動の経験から‐

要約
 本稿は、「日本人留学生」が新型コロナウイルスのパンデミック宣言¹(WHOによる宣言=2020年3月11日)前後に様々な困難に直面する中で、政府に「奨学金支給継続」と「帰国者支援の拡充」に関する方針転換を、その一当事者として要求したという筆者自身の社会運動の経験を元にしている²。この運動は、YouTube、オンライン署名、SNSを利用して終始インターネット上で繰り広げたものであり、当時世界中に点在していた日本人留学生が場所や時間を共有することなく、ともに声をあげることを可能にした。そして、開始(=2020年3月21日)からわずか15日間(=2020年4月4日まで)で18834名の署名を得るほどの急速な広がりを見せ、当時の文部科学大臣(=萩生田)をして方針転換に至らしめた。ところが迅速な対応とその施策は一部歓迎されながらも、様々な境遇にあった日本人留学生の実情を反映したものとは言い難いものでもあった。筆者らは事態の改善を目指して訴え続けようとするも、個人の参加と離脱を伴いながら社会の移ろいの中で運動は短命に終わる。
 社会運動への忌避感の強い今日において、オンライン上での社会運動は、市民が社会へ参画するための新たな形として期待されている。実際、インターネット上で個人が同時多発的に発信することで、瞬時に「組織なしに組織化できる力」をもつオンライン型の社会運動は、現代の個人化と流動化の社会的な背景においても社会を変える上で理に適った戦略である。しかし、筆者はこの運動による成果以上の危うさに注目する。筆者たちの運動は声を上げなければ変わるはずもなかった状況を変えたという点で「社会運動」であったかもしれないが、それは「社会」の運動ではなく、終始「個人」の運動に過ぎなかったからである。その背景には、意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないものへの感受性をなくした「前のめりの」個人の日常があると捉え、その上で高まるインターネット上の社会運動への期待に警鐘を鳴らす。そして、個人にとって遠い「社会」との関係性を構築し、よりよい社会運動へと向かっていくために「待つ」ということを提案する。
 以下、序章ではネット社会運動への高まる期待と実際にネット社会運動をともにした日本人留学生たちの評価についてまとめている。1章では、具体的にこの運動の背景や成果について概説し、筆者たちがインターネットを通していかに社会を変えていったのかを見ながらその可能性について示唆するも、続く2章では、筆者たちの運動が見過ごしてきたものを見つめなおし、ネット社会運動の危うさについて指摘する。3章では、その危うさを生じさせる社会的背景について考察し、これを乗り越える上で「待つ」ということを提案する。そして最後に、筆者が思い描く社会運動像を示しながら、なぜ「待つ」ことが重要であるかについて論じていく。 

目次
序章 インターネット・社会運動の時代


1章 私たちのネット社会運動の成果と可能性 
 1-1.なぜ私は声をあげたのか 
 1-2.私たちのネット社会運動とその成果 
  1-2a. コロナ禍での「要請」と日本人留学生が直面した困難 
  1-2b. 個人的主張から集合的な主張へ 
  1-2c. 運動による成果(3 月 24 日の方針転換と 4 月 15 日の支援金)
 1-3. ネット社会運動への期待 
  1-3a. 遠い「社会」 
  1-3b.組織なしに組織化する能力(the power of organizing without organizations) 

2 章 私たちのネット社会運動が見過ごしてきたもの 
 2-1. 方針転換による新たな不公平という問題 
 2-2.社会運動におけるフレーミング 
  2-2a. 日本人留学生からの批判 
  2-2b.他の留学生や帰国者の問題 
 2-3. 変化する社会と私 
  2-3a. 社会の関心の変化 
  2ー3b. 私の当事者意識の変化と時流 
  2-4.ネット社会運動の危うさ

  
3 章 「待つ」ということ 
 3-1.私の課題意識
  3-1a. 「前のめりの姿勢」
  3-1b.遠いままの「社会」 
 3-2. 「日常」と「出来事」の往還 
  3-2a. 「待つ」ということの実践と運動の反省
  3-2b.孤独な群集


終章 終わりのない旅 

付記

参考文献


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