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卒業論文 2章「私たちのネット社会運動が見過ごしてきたもの」

2-1. 方針転換による新たな不公平という問題

 私たちのオンライン署名が始まる以前より長期的視点から日本人留学生の実態調査を行っていたH氏は、運動の広がり具合や政府の方針転換を見た後、その調査範囲を拡大する目的で二回の追加調査をしている。一度目が欧州に留学するトビタテ!留学JAPAN奨学生に限定してあったものだったので、二度目(2020年3月24日‐3月31日)は留学先を欧州に限定することなく、さらに奨学金の有無にかかわらない日本人留学生を対象に行った。さらに続く三度目(2020年4月18日‐4月26日)は回答者の少なかったアジア地域の留学生を積極的に調査した。次の資料<海外留学中の日本の学生に対する新型コロナウイルスに関連する感染症対策等の影響に関する実態調査報告>は、この二度目と三度目の調査を合算してまとめたものである。

資料9<海外留学中の日本の学生に対する新型コロナウイルスに関連する感染症対策等の影響に関する実態調査報告‐2020年4月27日JASSO及びトビタテ受給生有志の会>



 前回の調査が欧州を留学先とするトビタテ奨学金受給生のみを対象としていたが、今回の再調査では、欧州以外の国・地域が半数を占めるようになり、奨学金を受給していない日本人留学生が三割、また奨学金を受給する中でもトビタテ以外の奨学金受給者が半数を占めるようになった点で、日本人留学生の実態をより網羅的に捉えていると考えられる。とはいえ、依然として対象の母集団の規模も把握できていない等の調査の限界はあった。ここでは、私たちの運動後に起きた方針転換が果たして日本人留学生たちにとっていかなるものであったのかという視点で見ていく。私たち「ヨーロッパ留学生」による運動以降の2つの変化は【①奨学金支給の継続(3月24日)】と【②帰国者支援を目的とした新型コロナウイルスに係るJASSO災害支援金(4月15日)】であったが、1章で指摘した通り、これによって多くの日本人留学生が経済的な負担を軽減されることとなった。
 しかしながら、これら変化によって日本人留学生の間に新たに不公平が生じたことも事実であった。先の3月24日の奨学金支給継続の方針転換(①速やかな帰国が困難な場合や、②留学中に感染症危険情報レベル2以上となり、やむなく一時帰国した場合であって、帰国後もオンライン等により留学先大学の学修を継続していることが確認できる場合は、奨学金の支給を継続すること)によって、本来であれば主に留学先の生活コストの違いから、国や地域によって支給される奨学金の支給額が異なると考えられるが、帰国後もオンラインによって留学を継続する場合は、同じ日本に滞在するにもかかわらず支給額が大きく異なる事態となったからである。上の実態調査においても明らかなように帰国に際しての費用も個人によって大きく異なるため、現に経済的な困難はほとんどなかったにもかかわらず大金を支給され続けたものもいれば、深刻な経済難に陥っているにも関わらず、十分な補償を得られない、あるいはオンラインで留学を継続できなかったり、留学を辞退したりしたことで全くの補償もされない者たちもいた。
 とりわけ大きな問題であったのが4月15日の「JASSO災害支援金」である。同支援金は「新型コロナウイルス感染拡大により安全確保を図るため帰国した留学生の経済的負担を軽減することを目的」としており、私たちの運動が要求した点であるが、その「申請の資格」は、「検疫強化対象地域として指定された日から指定が解除された日までの間に当該地域から日本に帰国した者」を対象と規定している。ところが、上の実態調査に基づくと、当該時期に海外留学中であった者の32%が、検疫強化対象地域として指定された日以前に帰国している。さらに、帰国した/する予定の者に限れば、検疫強化対象地域として指定された日以前に帰国した者が48%、検疫強化対象地域として指定された日以後に帰国した者が52%であった。つまり、帰国した留学生の半数程度が検疫強化対象地域として指定された日以前に帰国しており、同支援金の対象外となっている。彼ら早期帰国組は奨学金の支給停止と大学の帰国要請の根拠となった外務省の「感染症危険レベル」の引き上げ措置(欧州であれば2020年3月16日)によって同支援金の主旨とする、「安全確保を図るため」に帰国を決断したにもかかわらず、遅く帰ってきた他の留学生が受け取れる支援金を受給する資格(欧州であれば2020年3月21日以降に帰国)がなかった²⁷。
こうした方針転換による不公平は思いのほか著しいものであり、日本人留学生の全体像を把握できる当局がその実態を十分に把握しないまま方針転換の決定を下した責任は問われるべきだと考えるが、それほどまでに私たちのネット社会運動の声が日本人留学生全体を代表してしまったということや、また十分な熟議の機会もないまま、インターネット上であっという間に政治家に届いてしまったがゆえに政策の決定を急かしてしまったということも示しているだろう。

2-2.社会運動におけるフレーミング

 すべての社会的現実は「だまし絵」のようなもので、私たちが「こっちが本物だ!」と思った絵柄の実現に向けて努力することから社会運動は始まる。そして皆が「そうだ、こっちが本物だ」と言ってくれるから、敵対する人たちも社会運動の主張を認めざるを得なくなる²⁸。この際に、運動体の目標を人々に理解してもらい、支持してもらい、さらに自らの活動への参加を人々に呼びかけるわけであるが、ここで重要なのが運動の「フレーミング」である。それは、起きている出来事をわかりやすく見せ、それまでの定義や解決策とは異なる定義や解決策を示す行為である。私たちの運動でいえば、奨学金の支給停止が「規則だから仕方なく」、帰国要請は「大学の指示だから従うしかない」という絵柄を、「おかしい」とし、「日本人留学生のみんな声上げへん?」とYouTube動画で伝え、オンライン署名では「コロナウイルスの被害拡大で、日本人留学生の奨学金がストップ?」と掲げ、学生たちの個別的な問題としてではなく「社会問題」として世界に発信した。その結果として、メディアでは「『自己責任』過ぎる日本人留学生へのコロナ対策」(東京新聞2020年3月23日)や「日本人留学生受難 奨学金停止、すぐ帰国できず…文科省柔軟な対応転換も不安消えず」(毎日新聞2020年3月26日)として取り上げられ、国会では、「世界中で入国制限措置がとられる中、海外にいる日本人留学生が厳しい状況に追い込まれています。」(文部科学委員会2020年3月24日城井議員の質疑)として「苦境に立たされる日本人留学生」像が認識されていった。しかしながら、私たちの運動中にこのフレームが揺らぐ機会は度々あった。以下その具体例として、日本人留学生からの批判、外国人留学生や日本人帰国者たちの問題を挙げる。

2-2a. 日本人留学生からの批判

 社会運動は社会のある側面を変えようと、別の視点から社会に批判的に働きかける行為であるが、同時に運動体へも批判の眼差しは向けられる。それは決して運動体が設定したフレームの外からの声だけではなく、フレームの内からも湧き上がるものである。私たちの事例でも数少ないながら日本人留学生の方からもいくつかの批判を受け取った。ここではその中でも強いメッセージ性のあった三つを挙げる。
 一つ目は留学先のスウェーデンから一時帰国を済ませたN氏による、Facebookグループ「トビタテ!!ヨーロッパ組」での投稿(2020年3月23日)であった。彼は、自身も奨学金支給停止措置の上に帰国に費用が重なり憤りを感じた当事者の一人だとしたうえで、それでも「今、本当にお金を必要としているのは私たちか?時間とエネルギーを割くべき問題はここか?」と投げかけ、日本人留学生が自分たちのお金の心配よりも日本国内でコロナ禍でも働くしかない労働者や医療従事者の方々への配慮をして奨学金問題は我慢すべきだと主張した。また、彼の場合はオンライン署名の匿名性や、署名の主体である一部の学生が留学中に海外旅行を頻繁に行っていたことから金銭的な困難を主張することへの違和感についても批判していた。
 二つ目は同じくスウェーデンから「今般の状況に鑑み」帰国を果たしたというA氏からのメール(2020年3月23日)文であった。彼は「単刀直入に言うと、あなた方の主張は乞食も同然ではありませんか。」とし、『国や大学の方針には従わないが、お金は欲しい』と言っているようだが、それは大学の名を背負い、お金をいただいて留学しているという身分をわきまえ、甘い蜜を吸うだけではなく身分相応の義務と責任を果たすべきだと主張した。
 三つ目は香港に留学して帰国する予定はないとする者で、日本人留学生の実態調査アンケートに回答(2020年3月26日)したものである。この方はアンケートの自由記述欄に「奨学金がもらえるのが当たり前だと思ってはいけない。国にいつも助けを求め、見込みがないと批判するようでは、まだ子供。」と回答し、間接的に私たちに向けて批判したと受け止められる。
 私はここで、上記三つの批判の誤りを指摘したいわけではない。ただ、彼らにとって私たちへ批判をする必要性はなかったと思われるが、SNS上やメールを通じてわざわざ批判文を送ってきたという背景にはそれ相応の憤りと強い正義感があったのだと考えられる。実態調査より、留学生の半数以上は、留学先における賃貸契約を解除して帰国後も留学先における支出はないことから、主な費用は帰国後の隔離費用と帰宅費用であろうが、これに関しても「自宅」あるいは「親戚・知人等の家」で隔離できるものが七割であることを考えれば、帰国するための飛行機代程度の支出に留まる者も一定程度いたはずである。ただ、そのような場合であっても留学先から帰国する選択は苦渋の決断であり、N氏であれば私たち同様に奨学金支給停止に憤りを感じたとさえいうからこそ、我慢できずに批判をする私たちの姿勢や、彼らを「日本人留学生」として一括りにしたことに耐えかねなくなったのだと推察する。私や他の日本人留学生はFacebookグループで発言したN氏に対して、あらゆる境遇の学生がいることを理解するよう投げかけたが、それは「日本人留学生」として一様にフレーム化した私たちにも言えることであろう。A氏のメール文に対しては、「こうした批判文に対応する時間はない」として返信を控えていたが、対話をして理解を得る努力をすることなく、曖昧な「日本人留学生」像を広めることは適切であったのだろうか。三つ目の事例のように、アンケート自由記述欄に批判文を寄せたのは一人だけではなかった。このことを踏まえると、実際に批判をした人数以上に、表には出していないものの同じように批判的に見ていた日本人留学生もいたと考えられる。
 ここでの批判に共通しているのは、私たちの主張が彼らにとっては「わがまま」に映っており、自己中心的で非自立な個人として捉えられている点にある。それは同時に彼ら自身も、たとえ自分が困っていようとも国や会社、学校といった「お上」の規則や要求には従うべきで、あるいは従わないなら自己責任で生きることということを「大人」としてふさわしい態度として内面化していることも示している。こうした見方は、なぜ日本の生活保護の捕捉率が著しく低いのかというところでも通ずるが、生活保護をうける資格はあっても保護を受けるということが恥ずかしく思う風潮が日本では一段と強い。背景には、大きな流れとしての新自由主義の構造的な要因もあり、一章でも触れた個人化と流動化も関係している。誰もが「ないがしろ」にされている感、言い換えれば自分はしかるべきリスペクトを受けていない、という思いの蔓延が起因していると考えられる。残念なことに、多くがそういった、自分の存在を認めてもらえないといった「ないがしろ」感を抱いているにも関わらず、そこで連帯が生まれて社会を変えようとはならず、自分が「ないがしろ」になれているのに他者だけが特別な「枠」に当てはまることへの憎悪と分断の方ばかりが生まれやすいという現実である。しかし、そういった現実であるからこそ、今回の事例では、私たちは自分たちの運動の目的達成において彼らからの批判を見過ごしてきたが、彼らを「ないがしろ」にしたままで良かったとは思えない。結果として彼らに寄り添わなくとも私たちは運動によって成果をあげられたが、それによって彼らにとっての私たちは「わがまま」を主張して、保護を受けた「別の日本人留学生」であり続けたはずである。個人の誰もがインフルエンサーになり得、一定の批判数があったことを考えれば、日本人留学生同士でもっと大きな分断が起きていてもおかしくはなかったであろう。

2‐2b.他の留学生や帰国者の問題

 新型コロナウイルスの感染拡大と奨学金の支給停止などの措置によって困難に直面したのは「日本人」留学生だけではなかった。日本で春の長期休暇期間であった当時は、日本に留学していた外国人学生らも母国へ帰省していたのだが、日本への再入国が困難であったがゆえに日本での奨学金を受給できず、日本での生活費を支払い続ける状況となっていた。こうした中で、私たち「ヨーロッパ留学生」宛に協力を依頼するメールがあった。それ(2020年3月26日)はMEXT Scholars Association(文部科学省国費留学生協会)代表のA氏からであり、外国人留学生も文部科学省から受給する奨学金の支給が停止していることで経済的苦境に陥っている状況が私たちと似通っているため、そうした外国人留学生への支援が出るように「私たちのオンライン署名に加筆してほしい」という依頼であった。私たちは途中で署名文を編集可能なオンライン署名にあっても、当初の目標や内容と異なる加筆・修正をすることはこれまでの賛同者への配慮から出来ないと判断して、加筆をすることを断った。
 同様に、新型コロナウイルスの感染拡大と帰国者に対する検疫措置で困難に直面したのは日本人「留学生」だけでもなかった。当時海外に滞在していた多くの日本人もまた日本へ一時帰国を目指すわけだが、私たち同様に帰国後の隔離措置や公共の交通機関を利用できない状況での帰宅に困難を抱えていた。こちらについては、米国に留学して帰国したN氏が2020年3月25日にFacebookグループ「トビタテ!留学JAPAN」にて緊急帰国者の支援拡充を目的にオンライン署名を立ち上げる旨を発信しており、私たちはすでに多くの署名数を得ている自分たちのオンライン署名にこれを含めるか、新しく署名を立ち上げるべきかで議論した。私は、私たちの署名も帰国者支援を掲げているうえに、これから新しく署名をする手間を省けるという理由で当初はこれを加筆する立場であったが、私たちの署名は「留学生」や「奨学生」に焦点を当てているため、帰国者一般に対象を拡大して加筆することは署名の主旨を変えることになりかねないとの意見もあり、結局3月28日に「【海外一時帰国者、帰国を考えている人からの切実な思いよ届け!】 〜緊急帰国者の経済面・衛生面の不安解消をお願いします!〜」として新たな署名が始まることになった²⁹。私たちはこの署名を自分たちの「キャンペーンの進捗」として署名者にメールで流す協力をしたものの、この署名はなかなか数が集まらないまま(1638筆)2020年8月1日にキャンペーンを終了した。
 私たちの「フレーム」から外れた二つの事例は、どちらも私たちと根本的に同じ問題に端を発した問題に直面していたものの、署名に加筆・修正することへの反対によって別々に運動をすることとなった。外国人留学生の境遇についてはその後、一定の改善(2020年4月17日時点)があり2020年4月以降は「特例」として海外からの日本の大学への遠隔授業が認められれば奨学金の支給継続が認められたが、3月分の費用やこの条件に該当しない学生への支援については不透明なままであった。また、2020年8月1日にキャンペーンを終了することになった帰国者支援の署名に関しては、同年8月31日に今度は米国在住の日本人女性によって新たに同内容の署名「コロナウイルス感染拡大で帰国者が14日間隔離される「検疫所長の指定する施設」を明確に指定して確保し、空港から隔離場所までの移動手段を確保してください。」が立ち上がることになったが、これもまた署名数が集まらず(495筆)2021年4月1日にキャンペーンを終了しており、未だに当初の願い通りには状況が改善されていない³⁰。
 ここで筆者が問題としていることはフレーミングの仕方にではない。むしろ社会運動をするうえで、その内外との関りからフレーミングが揺らぐことは当然であろう。その点で、フレーミングをその都度柔軟に変化させていくことが、分断ではなく連帯へとつなげる上で重要だと考えるが、筆者たちのネット社会運動ではそれをできなかったばかりか、すぐさま成果をあげてしまったことを考えれば、それをする必要もなかったことに対して問題意識を抱いている。

2-3. 変化する社会と私

2-3a. 社会の関心の変化


 一章で述べた通り、私たちの運動は一定の成果を上げ、大学を通じて学生に奨学金支給継続の通達が来たことを確認した後、オンライン署名を終了(2020年4月4日)した。しかしながら、次第に見えてきた現実の複雑さを考えれば、状況の改善のために運動を継続する必要性を感じた。そして、4月15日の帰国留学生を対象とした「JASSO災害支援金」の不公平やまだ不十分な帰国支援に取り組む目的で、新たに14名(私、S氏、H氏含む)の「JASSO及びトビタテ受給生有志の会」が結成(4月17日)した。三度目の実態調査はこの時行ったものであり、根拠資料を集め、完成した調査報告書と要望書を城井崇議員や三浦信宏議員に提出(4月27日)した。一か月後(5月28日)には城井議員とzoomを通じて直訴もしたが、議員には「完全に納得のいくような成果は期待できないだろう」との返事を受けた。3月のころより留学生同士のつながりも、直接やり取りできる議員との関係もあるにもかかわらず、成果は上がらないまま私たちの思い通りに社会は動かなかった。
社会運動は、社会のある側面を変えようとするが、その社会もまた常に変化しているのであり、運動体はその影響を免れることはできない。このことを最も感じたのは日本国内での緊急事態宣言発令(2020年4月7日)の時であった。4月6日の国会における城井議員の日本人留学生の帰国後支援に関する質疑以降、緊急事態宣言に伴う休校措置やアルバイトの収入減などによる学生支援や学費減額の話題が増え、「日本人留学生」問題の話は一度もされなくなった。(※5月15日の文部科学委員会にて伯井政府参考人が日本学生支援機構への寄付金の用途の具体例として「JASSO災害支援金」に触れたのみ。)その影響として、日本人留学生の状況を伝える目的で2020年4月8日午前8時から放送予定であったTBSテレビ「グッとラック!」の取材も、緊急事態宣言をメインに取り上げることになったとして延期(4月6日に連絡)となった。こうした社会の移り変わりは、再び私たちから「社会」との距離を遠ざけることとなり、私たちの運動も沈静化した。

2-3b. 私の当事者意識の変化と時流

 社会運動の主体は、社会を変えようとしつつ、その社会の変化による影響も絶えず受けていることは先の事例で述べた通りである。本稿では、私たち「ヨーロッパ留学生」の運動(2020年3月21日より)を主として社会を変えた経験として描いているが、新型コロナウイルスが流行し始めた東アジア地域では、もっと早く同じ問題に直面していた日本人留学生らがいた。そして同様に奨学金の支給停止措置について奨学金窓口に問い合わせをするなど、変化を期待していたが、期待通りに社会が変わらなかったことで受難した日本人留学生らがいた。
 2020年1月に中国の北京大学に東京大学から留学していたT氏は、感染者数が続々と増え、行動制限のために満足な留学生活も送れない中、自らの安全確保のために帰国を検討していていた。地方出身のT氏はそれに伴う経済的負担への不安から大学の窓口を通じて帰国後オンラインによって留学の継続した場合の奨学金の処遇について尋ねたところ、「北京は現状感染症危険レベルが1であり渡航を禁じていないため、学生が日本に帰国して留学先国にいないことから奨学金の支給は不可」との回答を得、さらに「学生が日本国内にいて、海外からの通信教育を受講することをもって『留学』とみなすことはできません。これまでも認めてきておりません。常識的にご判断の上、学生に回答いただけますでしょうか」(2020年1月28日トビタテ事務局からのメール)とまで釘を刺された。ところが、約二か月後に欧州でも感染が拡大して「ヨーロッパ留学組」が声を上げるやいなや、「常識」とまで言われたことがいっぺんし、帰国後オンラインで留学継続が確認できることを条件に奨学金の支給が継続された。T氏のみならず、中国や韓国に留学していた日本人留学生は、「もっと早くこのような措置へと変わっていれば、留学を諦めなくて済んだのに」としてSNS上に不満を投げかけている。T氏へのインタビュー(2021年9月15日)によれば、「ヨーロッパ留学組」の運動を見て「最初に声を上げたT氏には焦点が向かなかったのに、欧州組が声を上げたらすぐに動きがあった」とし、事務局も方針転換をしたので、「正直最初は妬ましい気持ちがあった」とした。その上で、「協力する気持ちになれない中、それでも誰も救われないよりは誰かが救われた方が良いだろう」と私たちのオンライン署名を自身のSNS上で拡散してくれていた。
 私は全く同じ日本人留学生が直面した困難に対して、当時は「当事者意識」を持つことのない「社会」の一部であった。しかし、その二か月後には「日本人留学生の皆、声上げへん?」と「社会」に向けて主張するようになり、それを受けた側も奨学金の支給を認めなかったのが、二か月後には認めるようになった。しかしT氏を始め、東アジア地域に留学していた日本人留学生からすれば、「ヨーロッパ留学組」の運動は「今更」なものであり、東アジアの日本人留学生らが困難に陥っている時は何もしなかったのに、自分たちが実害を被る立場になってようやく声を上げだしたのである。また、それを受けた政府や奨学金先も、彼らの時は特別の対応を認めなかったにもかかわらず、声が大きくなった途端に変更した方針とは、自分たちは対象に含まれないという受け入れがたいものであった。私たちと陥った境遇もそれに対する主張も変わらないにも関わらず、なぜ私たちは社会を変えられたのかを考えれば、先に述べたところの「フレーミング」や発信の仕方の違いもあるが、その当時の社会の時流も重要な要素であっただろう。当時の日本人留学生の総数は把握しかねるが、日本学生支援機構によると、2019年度にJASSOの奨学金を得て海外に渡航した日本人留学生は107,346名であり、そのうち中国及び韓国に留学していた日本人留学生はそれぞれ6,184名と7,235名であった³¹。これはJASSOの奨学金を受給する日本人留学生のうちの12.5%であり、T氏によれば「周囲の日本人留学生とは境遇が異なり孤立していた」とのことで、実際に同じ困難を共有し得た日本人留学生の割合はこれよりも少なかったであろう。
 シュンぺータの「イノベーター理論³²」に基づけば、母集団の中で革新者(イノベーター)は2.5%、その次に動く初期採用者が13.5%、社会全体のトレンドになってから早めに動く前期追随者が34%、遅めに動く後期追随者が34%、最後まで追ってこない遅滞者が16%であり、普及率が革新者と初期採用者の合計である16%を突破すると、爆発的に普及が起こるという。欧州組はその数を上回るばかりか、私たちが運動を開始(3月21日)してから4日後(3月25日)には全世界が感染症危険レベル2へと引き上げられたために、全日本人留学生の問題となっていた。これを踏まえると、私たちの運動の広がりはその発信の仕方やフレーミングの他に、それらが受け入れられるだけの社会的な条件が整っていたからだとも考えられよう。つまり、私たちはこうした社会の変化の恩恵もありつつ社会を変えられたのであり、一方で先の事例でいえば、国内に新型コロナウイルスの感染拡大が広がっていくその社会の変化によって、社会を変えられなかったとも言える。

2-4.ネット社会運動の危うさ

 一章で見たように、私たちの運動は最初から最後までインターネット上で行われたネット社会運動であり、わずか数日間で多くの注目を集めた結果、実際に政府に方針転換させるほどの変化を遂げた点で驚くべき程の成果があった。それに、多くの日本人留学生が同じ「奨学金支給停止」や「帰国指示(要請)」、「自主隔離措置」などに不満を抱えつつも受難していたことを考えれば、インターネット上であっても「動けば変わるんだ」と社会を変える体験を得られた³³ことは私たちの民主主義を活発化させる上で意義があったと思われる。しかし、二章で見てきたところの課題点は同じく社会運動の成果と意義という点で無視できない。
 まず、私たちのネット社会運動がオンライン署名で掲げていた通り「日本人留学生」の困難の解決を目指していたのであれば、ある意味中途半端な成果しか挙げられていない。その良い例がT氏のような「東アジア地域」に留学していた日本人留学生たちや、帰国後の自主隔離措置のせいで路頭に迷った日本人留学生たち³⁴である。また、「日本人留学生」というフレームの限界であるが、H氏が述べたように私たちが把握していたのは日本人留学生の全体像の一部に過ぎず、その声がインターネット上で大きくなったがゆえに「日本人留学生」を代表してしまった。私が運動を開始する際に感じた問題意識は、社会的不満に対して声をあげられない状況(“静かな多数者【silent majority】”)に対してであったが、私たちのインターネット上での声は“うるさい少数者の意見【noisy minority】”であったかもしれない。これによって日本人留学生全体の問題が解決したわけでもなく、むしろ方針転換による不公平も招いてしまったことを踏まえれば、私たちの運動の成果だけではない罪も見えてくる。
 そうした複雑性に気づいてからでも、運動を修正しながら他者と連帯を図りつつ継続できていればよかったのかもしれない。むしろフレーミングに完全がない以上、その都度柔軟に自分たちの問題意識や目標も変化させながら他者を巻き込んでいくことは重要であった。しかし、Y氏やS氏が指摘したように、私たちは一体どこまで運動を継続するのかで認識をすり合わせることができないまま署名を終えることになる。やむを得ず、新たに結成した「JASSO及びトビタテ受給生有志の会」においても、集まった個人は集団の一員として社会運動を展開するのではなく、個人的な欲求がまずあって、それを満たすために集結したにすぎなかった。裏を返せば、それほどまでに目標の共通認識が曖昧であっても運動を生み出すことができ、あくまでも組織としてではなく個人として参加できるのがネット社会運動である。その意味で、テロと同じように多発的で分散的な、「ウーバー」的な運動³⁵だった。それゆえに私たちの問題と根っこのところで結びつくはずの諸問題(帰国者の問題や外国人留学生の問題など)も、あくまで「他の問題」とみなしてしまい、問題を(一部の)日本人留学生の問題として矮小化してしまった。それは、同じ悩みを抱えているはずの他者との分断を招き、同時に関連するはずの社会問題を個人の問題として分断させてしまうことへの危険性でもある。
 以上を踏まえると、私たちのネット社会運動は確かに社会のある側面を変えたという点で「社会運動」であったが、参加する個人が共有し得る他の諸課題には向き合わず、それぞれの欲求を前提として動いていた点において、「社会」の運動というよりも、「個人」の運動であった。一章においては、この個人として参加できる運動が現代社会においては理に適っているとしたが、筆者は社会運動のきっかけが個人としての参加であっても、そこから社会の運動へと変化していくことを期待し、それを社会運動の理想と考えていた。留学中に新型コロナウイルスの感染拡大という緊急事態に遭遇した中で私たちが直面した諸課題は、この瞬間の問題以上にそれ以前の私たちの日常が抱えている社会的問題の表出だと言える。本来の目的としての「学生の身の安全」を優先させるためなのか、当局として責任を免れたいだけなのか分からない、一律の帰国指示や奨学金支給停止措置は、結果としてわずか数日で変更されることになった。それは現場の声を聞いたうえでの柔軟な対応というよりは、「お上」が決定したので大学や奨学金先も変更せざるを得なかったというトップダウン式で、よりいっそう誰が何のために政策決定しているのか曖昧に感じさせるもので、その責任の所在もはっきりしないものであった。にもかかわらず、そういった決定が本当に良いものか議論の余地もないままに、「仕方なく」下からも受け入れられていったあり様は、今日の日本社会の至る所で見られる現象である。他にも、大学や奨学金機関と意思疎通を図る文部科学省、感染症危険レベルを発出する外務省、国内の検疫措置を決定する内閣府やそれを運営する厚生労働省といった各部署が、連携もないまま縦割りで判断をすることによって、現場の混乱は増していったことも他のあらゆる日常に当てはまることである。留学をしていた日本人留学生や日本に来ていた外国人留学生、コロナ禍で大学生活を継続するのが困難になっていた国内学生の困窮は、総じて現代の学生の貧困格差という問題の反映としても考えられる。
 社会運動が担う役割は、そういった「社会問題」の指摘であり、これを軸として、人びとが共通の社会課題に立ち向かおうとする繋がりを生み出し、私たちを「社会」に近づけることにあるはずである。その意味で、この章で見てきた「見過ごしてきたもの」は、筆者たちのネット社会運動を軸として、個人を社会課題へと誘いながら「私たち」の力で社会の問題を解決していこうとする上での、避けてはならなかった問題だった。しかし、「組織なしに組織化する力」があるネット社会運動によって終始「個人」の運動で完結してしまえば、これまで見てきたように社会運動をもって連帯が生まれるどころか新たな分断さえ招きかねない。結局は個人が自分たちの目的達成のために声を上げたに過ぎないと見なされ、ここでの社会運動は「わがまま」化し得る。そうであっても、手間をかけずに高速で「共感」が集まるために、現に諸問題を「見過ごしてきたまま」、個人が個人の目的のために社会を変えられるということの危うさや、周囲の変化も早い中で迅速に成果を出さなければならないということの危うさがある。言い換えれば、個人でも社会を変えられるネット社会運動において、私たちはそういった諸問題の発見や周囲との連帯の可能性を「待つ」ことができなくなり、「待つ」必要もなくなっていのである。筆者が運動開始時に課題意識をもっていた”静かな多数者“が「民主主義の衰退」であるとすれば、こうした個人が各々の欲求に基づき発言して振る舞う結果、”声の大きな少数者“が自己の利益だけを達成していくことを「民主主義の過剰」と表現できる³⁶。とすれば、たとえ一人であっても世論を動かし得る「インフルエンサー」などが認められる今日、ネット社会運動には民主主義の観点における可能性以上の危うさも見えてくる。




27.「JASSO及びトビタテ受給生有志の会」新型コロナウイルスの影響を受けた日本からの海外留学生に対する支援に関する要望書(2020年4月26日)より一部抜粋
28.高木竜輔「社会運動の社会学」p118
29.キャンペーン · 【海外一時帰国者、帰国を考えている人からの切実な思いよ届け!】 〜緊急帰国者の経済面・衛生面の不安解消をお願いします!〜 · Change.org
30.キャンペーン · コロナウイルス感染拡大で帰国者が14日間隔離される「検疫所長の指定する施設」を明確に指定して確保し、空港から隔離場所までの移動手段を確保してください。 · Change.org ※2021年4月1日時点で「状況は変わらず」であったが、2022年1月11日時点で、帰国者に対して検疫所が指定するホテルを公費で手配されるようになっている。(国・地域によって隔離に必要な日数は異なり、14日間の隔離機関全てを賄うものではない。)
31.文部科学省 報道発表「『外国人留学生在籍状況調査』及び『日本人の海外留学者数』等について」2021年3月30日※対象は、日本国内の高等教育機関に在籍する学生等で、日本国内の大学等と諸外国の大学等との学生交流に関する協定等に基づき、 教育又は研究を目的として、海外の大学等で留学を開始した者及び、在籍学校において把握している限りにおいて、協定に基づかない留学をした者。短期の交換留学等も含む。 
32. Joseph Alois Schumpeterのイノベーター理論は【イノベーター理論】市場に普及させる5つのマーケティング戦略 - Web活用術。 (swingroot.com)を参照。
33.「動けば変わるんだ」ライデン大学に留学していたG氏からのメール(2020年3月25日)から引用。
34.第201回国会 衆議院 決算行政監視委員会第二分科会 第1号 令和2年4月6日での城井議員の発言「聞きますと、羽田空港の検疫では、二週間の待機場所が見つからなかったり公共交通での移動もできないという人が空港に足どめをされまして、なすすべもなく座り込んでいるというようなことも、同僚議員が先日、実際の現場を見てきたところでありました。」を参照。
35. 吉田徹「アフター・リベラル」p252
36.森政稔「迷走する民主主義」p22

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