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【2020忍殺再読】「ドリームキャッチャー・ディジタル・リコン」感想

インターネットと悪党ども

 ニンジャスレイヤーAOMシーズン3の第5話。ジョウゴ親王の登場に伴い、ネザーキョウという舞台の構成要素がようやく全て俎上に並んだといったところでしょうか。2クール目開始の趣のあるエピソードであり、たくさんのアイデアとイクサが盛り込まれた超ハイカロリーなエンタメ巨編となっています。また、SF的な側面においても、シーズン3の特色である「インターネットの再解釈」の1つの山場となっており、トリロジーで言うならば、「ダークサイド・オブ・ザ・ムーン」に該当するような、大変食べ応えのあるエピソードです。そもそも、本話のゲストを務めるドリームキャッチャーとテツバ・ドラグーンが、いずれも1話で使い切るにはもったいない、非常に情報量の多い連中なんですね。ドリームキャッチャーに至っては、本来、1シーズン使用してもおかしくない、タイクーンに匹敵する容量のキャラクターだと思います。

 シーズン3は、「発達した科学文明が、古き良き伝統と自然に虐げられる」という通常と逆転した構図の中で、時代劇vsサイバーパンクの対立が繰り返されるシーズンです。そして、その奇妙な趣向が最高潮に達したのが、本話で明かされたカラテビースト真実だったように思います。つまり「弱肉強食を唱え科学文明を否定する人間と、インターネットを司り科学文明を守る動物」という構図です。リコナーという組織の主体がカラテビーストたちにあった事実は、非常に大きなサプライズ要素であり、また、その構図の全てが「ドリームキャッチャー」というネーミングに集約されているのも見事だと思います(先住民の伝統的装飾品であり、蜘蛛=Webの意匠であり、コトダマ空間=ユメを掴むものであり……)。

 また、シーズン3の特色としてもう1つ、作中のシリアスな出来事が卑近なインターネットあるあるに落とし込まれてしまうという点があると思います。それはたとえばA-1の「無限再生されるヘンタイに恐怖し、発熱し、寝込んだ」だったりもしますが……本作においてそれが最も強烈に適用されているのは、やはりテツバ・ドラグーンの面々でしょう。味方殺しも厭わぬものの、仲間のセンシたちを弔う心も持つ、情け容赦なきカラテのセンシたち。「村を襲う盗賊団」という概念を煮詰めてできた彼らは、(1人だけジャンルの異なっているクロスファイアを除けば)全員が理想の時代劇の悪党であり、モノクロのイクサの駆り手です。しかし、そのフィルターを一端とり外し、他のフィルターも重ね合わせた上で見なおした時、彼らに当てはまる役割は、「インターネットばかりしている子供を怒るおかあちゃん」であったり「街中で無料Wi-Fiを探している人」だったりするでしょう。

「カラテの国」というテーマパーク

 今回、再読して驚いたのは、テツバ・ドラグーンたちのずば抜けた強さです。初読時はそれほど「強さ」に印象はなかったのですが、マスラダが他者と協力を強いられている、かつ、あのサブジュゲイターがカラテ負けしているという時点で、十分に作中上位のカラテ巧者なんですよね。そもそも、部隊の編制がガチ。長距離(サウンドスティング)、中距離(クロスファイア、ファーネイス)、MAP兵器(ナウジア)に、接近戦(レベリング)とその予備ユニット(ディヴァイダー)と非常にバランスがいいですし、何より、フレンドリーファイアを考慮する必要のないレベリング、広範囲に強力な状態異常をバラまけるナウジアがとんでもなく優秀です。レベリングに対象を釘づけにさせておき、彼ごとナウジアでデバフをかけて、中遠距離勢で遠巻きに叩けば大抵のニンジャは殺せるんじゃないでしょうか。シテンノであっても、クワドリガやリディーマーなら倒せる気がします。

 ただ、これほどに強いチームでありながら、彼ら自身にあまり連携を重視する思考がなかったのもおもしろい点ですね。個のカラテを極端に尊ぶネザーキョウの文化において、連携の利よりも、個のカラテが上回れば、それは必要がないと判断されてしまう。マスラダたちの仕掛けた分断作戦にも容易くひっかかるが、ひっかかることそれ自体を悪とするのではなく、ひっかかってそれを脱せないカラテの未熟さを悪とする。リソースの無駄遣いという観点は彼らになく、「無駄遣いされるようなカラテのない者」は、そもそも別に失っても構わないのだという思考。順列組み合わせで生まれる100を失おうと、1が1000持てばそれでいいという単純な算数であり、そして、それをタイクーンとシテンノが実践しているからこその迷いのなさ。豪放磊落をはき違えたような彼らの振舞は、私の目からすれば一見ただのアホですが、単にそう切っては捨てられない、文化の違いがそこにはあります。それに、ガンガン味方を巻き込みながらも大技を競って撃ちあう彼らの姿は、たまらなくかっこいい悪党のそれでした。

 ただ、彼らが理想のカラテ実践者かと言うと、そうとも言い切れないのが味わい深いところです。完璧なセンシ像にささくれを作ったのは、クロスファイアというテツバの中でも少し浮いた男でした。時代劇モチーフ(火付、長刀、弓矢、忍者、猪武者)の中で、1人だけ西部劇めいたイメージを持った彼は、まるで電車を乗り違えて目的と異なるテーマパークに着いてしまったような場違いな雰囲気を持っており、6人の中でもややネザーキョウのスタンダードから外れた思考をしています。とはいえ、自らのカラテを思うさま奮うことを語りつつも、意思を他人に預けている彼は、レッドゴリラに握られるアロンダイトであり、タイクーンにとって理想のカラテ端末ではあるでしょう。しかし、そもそも本当にカラテが強いのならば、彼が本当に「弱肉強食」の実践者であるならば、別にネザーキョウでなくとも、どこでだってそれは奮えるはずなのです。意志を誰かに預けなくとも、自らの思うがままに邪悪と暴力を振りまくことができたはずなのです。

 ソンケイと異なり、結果のみが真実であるカラテにおいて、「そうは喜べん」理由、「いかんぞ」と諭す態度から読み取れる理解の兆し。上述の通り、テツバ・ドラグーンは、作中でも上位のカラテ強度を誇るニンジャチームでありながら、しかしその役割は、対ニンジャ戦闘ではなく、インターネットに興じるモータルを一方的に虐殺することです。本来、ノブスマやアケチ水軍に属し、対外ニンジャ戦闘のプロフェッショナルとして活躍してもおかしくない彼らは、心底楽しそうに、歯ごたえのないモータルの狩りに興じています。弱肉強食の中における自分の位置づけを確かめることもなく、用意された強者の立場に胡坐をかいて、安寧にWi-Fi肉を食らっています。

 弱肉強食のカラテの国、ネザーキョウ。それは確かに間違いのない事実でしょう。タイクーンにとって、シテンノにとって、そのプロパガンダは全き真理として実践されうる真実です。しかし、それに乗っかり、それを言葉にするだけの彼らにとって、ネザーキョウとは、弱肉強食の強者側を体験できるテーマパーク……まさに、夢の「カラテの国」に過ぎないのかもしれません。そして、そう振舞っていた行動のツケは、彼らに、クロスファイアに、最も残酷な形で降りかかることになるのです。ザンマ・ニンジャという、紛れもない「本物」によって。

「インターネットの国」というテーマパーク

 リコナーというレジスタンスについて語ることに、私は初読時から難しさを感じています。というのも、彼ら彼女らを語る時、その言葉がどうしても、ヘイトっぽくなってしまうんですね。本稿においてもその脱臭は困難だと思いますので、私は別にリコナーが嫌いなわけではなく、むしろ、忍殺の中でもやや特殊な性質を持ったレジスタンスである彼ら彼女らに強く惹かれているということを事前に明言させて頂きます。

 リコナーは、「抵抗は最も単純なリアクションだ。それは単細胞生物でもできる。最も単純な電子回路にもできる。」ともある通り、ネザーキョウという圧政下において必然的に生じ得た「抵抗」であり、ゆえに、極端な「カラテ」と対になる、極端に「ジツ」に偏重した思想・仕組みを備えた人々です。その共感性の強さや、同調の荒っぽさが……そうですね、あえて悪く言うのであれば、その姿を幼稚で、胡散臭いものに見せているように思います。もちろん、それはニンジャのカラテに対して自らの命を守る術であり、欺瞞の伴わない自然な抵抗の発露であって、否定されるべきものではありません。ただ「カラテによる弱肉強食」という反論の難しい小説の基本設定に対してさえ抵抗が生じうるという事実、そして、生じるのであれば、それはこういう特殊な形になるのだという点は特筆すべきことでしょう。

 たとえば、「エッジ・オブ・ネザーキョウ」で描写されたXX002たちの寄り合いは、事実「悪童たち」と称されており、(ザックに俯瞰の視点を突き付ける描写もあったとはいえ)その視野はどこか狭く、極端なものでした。

 また、胡散臭さという点ならば、本話における"谷"に暮らすリコナーたちの言葉が、まさにドンピシャと言えるでしょう。

 忍殺において「真実」を断言することのナンセンスさは、語るまでもありません。多層構造かつ複雑系を成す忍殺世界において、個々の視点が見るものは所詮、事実の解釈に過ぎず、それを普遍的な「真実」だと述べるのは、おおよそがカルトの教義か、あるいは、共感能力を高め過ぎたあまりサイバーチェインギャングのように「気が大きくなっている」者の発言です。個人的な解釈を絶対の真実と信じ込み、それの正しさを他者とのリンクによって担保するという駄サイクルめいたリコナーの構造は、ヘンタイを見て熱を出したただの子供に過ぎないファストストリーム(A-1)を、頭目として祭り上げ、それに違和感を覚えていないところからも察することができるでしょう。

 上が準備してくれた乗り物に乗っかり、それを言葉にするだけの構成員……再読して強く思ったのは、リコナーという組織の構造は、ネザーキョウとひどく似ているということでした。創始者であるA-1と、それを継続させるインフラであり続けるドリームキャッチャー。それをそのままタイクーンとオオカゲだと単純に当てはめることはできませんが……唯一の「本物」である2人が維持するテーマパークと、そしてその中で遊ぶ実は2人の本意からは外れたお客様たち……「カラテの国」と「インターネットの国」……それらはとてもよく似た仕組みをとっています。行き過ぎたケオスが均一性を持つように、極端すぎるカラテとジツは本来正反対であるはずの2者を限りなく同一のものに近づけています。

 ドリームキャッチャーという存在について考える時、私は未だにゾッとしてしまいます。『私同様、彼らも、友と、この地の証の為に戦う』という言葉の真意はなんなのでしょう。共感性の怪物。利他の権化。自己犠牲の獣。家畜の王。彼以外のカラテビーストに、個はあったのか、自我はあったのか。『私同様』というのは、言葉通りに友を想う心の話をしているのか、共感の行き着く果てに自由意志すらも失ったということなのか。全ては語られぬままに、焚火に身を投げるウサギのように彼は多くの同胞を道連れにして死んでゆきます。「自分は食べられるためだけに生まれた」のだと誇り高く語る、強食を討つ弱肉のグロテスクがそこにはあります。その迎えた最期がニンジャスレイヤーの操作する巨大ロボットになるということだったのも、あまりにも壮絶ではありませんか。それは、自らのカラテを他者の端末にしてしまうということであり……(「殿の意図など知った事ではない。殿に従うと楽しいぞ」)……微かに残った自己(人間性)を捨てジツという現象、そのものになることであるように思います。そして、その最期は、シーズン3の最終章で描かれたタイクーンの最期……微かに残った利他(人間性)を捨てカラテという現象そのものになる姿と重なり合うもののように私には思えます。

未来へ……

 未来について語るのであれば、話題は1つしかありません。A-1くんを何とかしてあげて。彼があまりにも立派なため、私もヘッズもついつい忘れがちなんですけど、彼は本当にただの子供なんですよ。チバのような特殊な環境・出自ですらない、本当に、ただヘンタイを見て熱を出しただけの子供です。そんな彼が、ネザーキョウのこの先を担い、あのヨロシサンと丁々発止させられるなんて、もう……胃が……キリキリと……。ドリームキャッチャーは死んじゃったし、リコナーの連中はあんな調子だしで、孤軍奮闘が過ぎる。いやほんと、A-1くんは全部放り投げてマスラダに着いて行ってもよかったと思うんですよ。マスラダはああいう性格なんでそういう気配りはしないでしょうけど、せめてコトブキちゃんあたりがなんか言ってあげて欲しかった。「子供にはそんな責任ないんだから(by胎界主)」とは言いませんけど、さすがに厳しすぎるぜボンモー……。

 あと、ヨロシサンの参戦に伴い、戦いのレイヤーに「カラテビーストとヨロシ種の生態系争い」が追加されたのも興味深い点ですね。いずれにせよカナダの原生生物は滅ぶわけで、なんというか、もう気の毒としか言いようがありません。ところで、ネザーキョウの圧政と現行ヨロシサンの管理都市の二者択一、皆さんならどちらを選択しますか? モータルの人生の尺度ならばネザーキョウの支配の方がろくでもないように思えるのですが、マクロ的な視点で見れば必ずしもそうとはいいきれないのが難しいところです。地球上にヨロシサンの支配地を1つ増やすということ自体が、全人類・全生命にとってのリスクを上げることになってますからね。ミクロ視点においては疑いようもなく善良=抵抗なく受け入れられる体制をとったヨロシサンは、侵略者としては間違いなくトリロジー時代よりも厄介な存在になっていると思います。

■twitter版で2021年2月11日に再読。