【2019忍殺再読】「ザ・ホーリイ・ブラッド」
そんな現実が、どうして容認できるものか。
(『虚無への供物』下巻、中井英夫、講談社文庫、P.384)
原典を誤訳する
『ニンジャスレイヤー』は翻訳小説です。私たちはそれを日本語で読みます。プロの手によるその翻訳は確かに優れたものですが、どうしても訳し切ることのできないニュアンスの違いは残ることでしょう。ましてや本作はtwitter小説です。140字という制約がある以上、ある程度削られている部分があることでしょう。(実際、note版で文章が増えてますしね)。真実を求めるならば私たちは原典をあたらなければなりません。
しかし、仮に原典を読むことができたとしても、私たちはそれを自らの語彙を参照することでしか読み解くことができません。誰かと誰かの語彙が完全に一致することはないでしょう。人間には人間の数だけ異なった連続性があり……本編中の言葉を借りるならば神話と記憶があり……ゆえに、同じ記号の裏側に、異なった意味をこびりつかせているからです。我々は、原典を読むとき、それを自らの語彙に翻訳します。いや、素人の手で両者の差異を気持ちのままに埋め均したそれは、恐らくただの誤訳です。真実は原典として在るものであり、私たちはそれを読むことはできません。
しかし、仮に私たちが読まなかったとしても、そこに在る原典は本当に原典なのでしょうか。それすらも、原作者が原典を自らの語彙で翻訳したものに過ぎないのではないでしょうか。言葉という原始的なツールはあまりにも不自由で、原典を正確に「翻訳」しようとする時、公文書や学術論文のように多くの手続きが求められます。そして『ニンジャスレイヤー』は、そのような手続きを踏まない物語小説です。その「翻訳」は完璧ではなく、時には誤字すら含みます。真実を目指す指針は気持ちによってぶれ、納得へとたどり着く。そして、それこそが真実だと甘やかす。創作も読書も翻訳も、結局は全て原典の誤訳でしかないのでしょうか?
……「ザ・ホーリイ・ブラッド」は翻訳小説です。私たちはそれをインダルジというニンジャの言葉で読みます。彼はその国に住むたった一人のニンジャであり、その公用語を日本語/英語に訳せるただ一人の翻訳家でした。しかし、彼は翻訳のアマチュアでした。彼の扱う言葉は、恣意的で、一貫性がなく、何よりも正確性に欠きました。「それは堕落だ、破滅だ。そんな真実など、俺には必要ない」「ホーリイ・ブラッドが、あるべき姿であり続ける事。完全であり続ける事。それが必要なのだ……」 彼は常に真実よりも納得を優先します。原典を「正しく」ではなく、「こうあるべき」と訳します。それは、HOLY BLOODという明らかな誤字にすら赤が入れられていない出来損ないのテキストでした。しかし、その言葉を扱える者が彼一人だけである以上、私たちはこのテキストを読むしかありません。何が間違っていて何が正しいかすら定かではない、記号と意味がぐちゃぐちゃに癒着し剥離した言葉の迷宮の中へ、自らの語彙を松明にして踏み入れるしかありません。
誤訳を曲解する
まずは基準を定めましょう。「……人を人たらしめるのは、記憶と神話だ」「過去を持たず、歴史を持たず、信じるものを持たない。虚無だ……心に埋めるものが無くなれば、人は獣となる」 スタートはこの定義から。インダルジの素人翻訳の上に、更に私の素人翻訳を重ねることは間違いなく愚行ですが、それでも思い切って言い換えるならば、「ヒト(ニンジャ・モータル)の定義は連続性である」ということでしょう。神話とは集団としてのヒトの連続性であり、記憶とは個人としてのヒトの連続性です。この二つを喪失することで、ヒトはヒトでない「獣」になってしまいます。この定義の正誤はユカノさんの専門分野に深く関わることなので、ダイナソー・クランの方々……は話にならなそうなのでジェノサイドさんあたりと是非ディスカッションして頂きたいですね。神話を非常に大切にしていらっしゃる、イグゾーションさんなんかも熱く語ってくれそうです
まず、〈消失者〉が登場します。彼らの定義は「シティの外で暮らすヒトの成れの果て」です。インダルジさんの話は基本的に聞き手への配慮がなく、わかりにくいのですが、〈消失者〉についてはありがたいことに他の登場人物たちも説明してくれています。サガサマさん曰く、「教育も受けておらず、それゆえ文化も持たない」「彼らは、もはや文字すら理解せず、果ては忌まわしい人食いや近親姦に明け暮れている」。スカルホードさん曰く、「こうして行儀よく対価を払って言葉を喋ってる俺のことが、あのクソ共と区別つかねえのか」。他の文化圏の人間がある程度共有できている、「禁忌」や「契約」などの概念を〈消失者〉は失っている。インダルジさんの語彙に倣うならば、彼らは集団としてのヒトの連続性を失った者……「神話を失ったヒト」となるでしょう。
忍殺世界におけるミームの伝達は、コトダマ(言葉よりも広義)の伝達、あるいはカラテをコトダマに翻訳することで行われます。絶対にコトダマが絡む以上、コトダマを扱う手段(文字が代表例でしょうか)を失った〈消失者〉はミームを伝達することができません。彼らのミームは、一代で消失し続け、ゆえにそこに神話は生まれません。思考実験をするならば、「〈消失者〉のカラテを観測した異人が、それを別の土地で語り継ぐ」ことが例外になりうるでしょうか。また、インダルジさん曰く、「ニンジャは強靭な精神と誇りを持ち、消失の堕落に耐える」だそうです。これは、ニンジャは憑依時にソウルからミームの伝達を受けており(ゆえに、ミーム伝達の手段を学習できる余地があり)、かつ、そもそもがミーム生物であるため〈消失者〉の定義とは矛盾に似た反発を起こすということなのでしょうか。
続いて、〈青い火〉が登場します。インダルジさんはそれを「ニンジャマジックの加護」と呼びました。その効果は「インダルジが言う「あるべき姿」に自らの力で戻ってゆこうとする」というものです。一方で、彼はその効果を受けた〈消失者〉を指して「もとはこいつらも<消失者>ではあったろうな。その記憶もあるまい。退化した人類がなお堕落し、獣と同じになった」と語っています。ヒト−記憶−神話=獣、〈消失者〉=ヒト−神話であることを踏まえると、〈消失者〉−X=獣 の解は、X=記憶となるでしょう。つまり、〈青い火〉は「ヒトから記憶を消失させる」という効果もあると考えられます。本編中、〈青い火〉のニンジャであるニーズヘグさんが、アズールの出身地について同じ質問を二回発していることも、その効果の証明になるかもしれません(正直、これはボンモーのミスの気もしますが……)。
「あるべき姿の保持」と「記憶の消失」。二つの結びつきを推測してみましょう。二者は異なる効果ではなく、後者が前者に連鎖する形で起きるのではないか、という推測です。〈青い火〉がその効果によってヒトを「あるべき姿」に固定した時、その記憶もまた「あるべき記憶」として固定されるのだとしたら、〈青い火〉付与時点より過去の「その他の記憶」は時間経過によって忘却されてゆき、未来の「その他の記憶」は新しく蓄積されないのではないでしょうか。そして、〈消失者〉とは神話の喪失者・ミーム伝達手段を持たぬ者であり、べき判断の基準すらも持っていない存在です。「あるべき記憶」がない彼ら彼女らが〈青い火〉を受けた時、彼らの記憶は全て「その他の記憶」として消失(忘却)してしまうのではないでしょうか。また、ミーム生物であるニンジャの場合とって、〈青い火〉の効果はある種の不老不死の獲得となるでしょう。個の中でミームを永遠に固定することは、水流を水たまりとして保存するようなナンセンスを感じますが、「過去……文化……神話……要らない、要らない、くだらない、くだらない!」とウッキウキだったボーティスさんを見るに、ニンジャ個人にとっては喜ばしいことのようです。もしかすると、彼らはミーム生物ではない何かに変質していたのかもしれません。
■まとめ
・ヒトの定義は、神話と記憶を持っていること。
・〈消失者〉は、神話を失ったヒト。
・〈青い火〉は、ヒト・モノの「あるべき姿」を保持する。
・〈青い火〉を受けた〈消失者〉は、さらに記憶を失い、ヒトでなくなる。
※神話・記憶の消失の段階を、赤・橙色の濃淡で下図に表す。
曲解を編集する
以上のように、私は私の語彙を用いて、インダルジさんの言葉の迷宮を探索し、ある程度の結論を得ることができました。しかし、彼の言葉は果たして探索する価値のある迷宮だったのでしょうか?
たとえば、記憶と神話なき存在は獣であると定義づけは本当に正しいのでしょうか? 忍殺世界には、ニンジャアニマルが存在しています。ストライダーやマンモンキー、ディープテラーの描写から察するに、人外の獣でありながら、彼らは明確に記憶と神話を所有しています。また、特異なケースになりますが、本編の主人公でありインダルジの世界を打破したアズールが、まさに「ニンジャアニマルが憑依した人間」という両者の差異を揺らがせる存在でした。
さらに、〈消失者〉は本当に神話を失っていたのでしょうか? 彼らはエピローグにおいて、アズールたちに「理解のできる罵りを叫びながら」襲いかかっています。また、サガサマさんは対空ロケットなどの「噂以上のリッチな武装」によって襲撃を受けています。そして、インダルジによって〈消失者〉と認定されたスカルホードは、明らかにセデイトとの関係が持つ連続性に価値を感じていました。〈消失者〉とは、結局のところ、AOM世界に無数存在するコミュニティの一つに過ぎないのではないでしょうか。
また、〈青い火〉の効果は本当に「あるべき姿」の保持だったのでしょうか? サルーンを「あるべき姿」に保持しているはずのその力が、同時に〈消失者〉たちにサルーンを破壊させようとしていたのは何だったのでしょうか。人形のカーラを、美しい姿ではなく怪物のような形に変えてしまったのはなぜでしょうか。そして何より、「到底受け入れてはならない結果」……最も「あるべきでない」はずのカーラの遺体が〈青い火〉によって保持されていたのは。そして、物語の結末においてその効果を反転させ、サルーンの「あるべき姿」の全てを焼き尽くしてしまったのは。インダルジにとっての「あるべき姿」が変化した? しかし、インダルジ本人が〈青い火〉の効果を受けていた以上、そのような変化は起こり得るのか……。
そして、それを甘やかす
結局のところ、彼の語彙とその言葉によって作られた世界は、世界と呼べるほどの強度もない、ただの「ノスタルジアへの、継ぎ接ぎのような執着」だったのでしょう。「それらは無法則に、無意味に集められたものとしか思えないが、同時に、何らかの主義主張を伴って魔術的に配置されたようにも思えた。」 積み重ねられた言葉同士の関係性、一貫性、整合性のように見えたそれは、好きなものだけを拾い、かき集め、押し固めようとする気持ち……インダルジの何らかの主義主張でしかなかったのでしょう。そして、彼にあるのはそれだけでした。彼はDIYの才能がなさすぎた。「あるべき姿」に必要な、新しい部品を創り出す能力も、既存の部品を最適な形に改造する能力もからっきしだった。HOLY BLOODは、インダルジにとって決して自らの手で作り出せないものであり、ゆえに聖なる言葉なのでしょう。「俺が決して辿りつけぬ場所だ。羨ましい」と、本人が語っている通り。決して手に入るはずのなかったものが、ヴァンダリズムを介して誰の意図でもなく、偶然に創造された……されてしまった「奇跡」が、彼にやらざるをえない必然性を与えた。そしてその必然性は、運命となり、信仰となった。
インダルジは、現実と虚構の切り分けができるニンジャです。彼は、自らが引継ぎ、守っていると称する神話に、彼の必然性の全てであるHOLY BLOODという奇跡の名をつけました。しかし、その言葉は客観的にはただの壊れた看板の誤字であり、実のところ彼が守るべき神話に相応しいものではありません。そのタイトルは不適当です。記号と意味が乖離しています。インダルジもそれはわかっている。しかし、問題はないのです。「歪められた姿に執着しながら、歪められる以前の品々に執着する。混乱と自己矛盾の中に、アズールは、ニンジャ達は、囚われている。」 つまり、サンタの正体が両親であることを知りながらも、楽しみにサンタを待つことができるということです。自らがカーラを殺したという記憶を失わないままに、自らはカーラを殺していないと信じ込めるということです。そのことで生じる破綻は、全て問題になりません。自分の言葉だけの世界に、整合性は必要ないからです。旅人の来訪するサルーンでなければ。読者の存在する小説でなければ。
彼はDIYの才能がなさすぎた。「あるべき姿」に必要な、新しい部品を創り出す能力も、既存の部品を最適な形に改造する能力も……それどころか、手に入れた部品を組み立てることすらもからっきしだった。「俺の目の前に現れるもの。過ぎゆくもの。なにもかもが時を失い、凍りつく。記憶となって。」 彼のやっていたことは、凍りつき床に落ちた記憶を拾い上げ、好きなものだけを選んで、ただかきよせていただけです。「あるべき姿」を、納得のゆく完成を誰よりも望みながらも、それを成りたたせようという創意工夫はなく、ただできてくれと祈るばかり。強度計算されずに作られた砂の城が、外的環境に曝された時、何が起こるのか。それを想像しないということ。見ようとしないということ。世界を作り込まないということ。言葉を鍛え上げないということ。自分の全てを甘やかし(indulge)た先に待つインガオホー。自らの中では許されるべきその安易が、崩壊するグロテスク。
HOLY BLOOD。それは意味の通じない言葉であり、サルーンの表に掲げるべきではない看板なのだと私は思います。
未来へ……
補遺として、最後に少しだけアズールのお話を。「真実」と「納得」のお話である本作と言い、舞台装置がやたら似通ってる女子校編と言い、アズール・エピソードって何で京極夏彦っぽい作品が多いんでしょうね。京極作品において「止まった時間が動き出す」ことは、多くの場合一つの世界の破たんを意味します。本エピのサルーンもまさにそれでしょう。ミームが伝播してゆくもの、神話が語り継がれるもの……それが「稼働すること」自体に本質があるのだとしたら、時間を停止させてそれらを守ろうとしたインダルジの行為は、ある種の本末転倒・ナンセンスだったのかもしれません。カラテ(行動)として昇華されぬエゴは、使われないままに捨てられるエネルギーであり、(少なくとも客観的には)一銭の価値にもならない。ニンジャは「である者」ではなく「する者」だというセンセイの言もあります。アズールは、停止した時間が「グッド・タイムズ・アー・ソー・ハード・トゥ・ファインド」であることを知っているキャラクターです。ゆえに、それを肯定するインダルジに共感し、涙を流すことができ、そして、自分自身に対してそうしたように、それがナンセンスであることを残酷に突きつけることができたのかもしれません。
■note版で再読
■3月28日、4月18日、5月5日