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【その他】無限鍋

  恐るべきは年末というバフ呪文がかかった労働という名のモンスター。我が身を師に変え全力疾走するも、その距離はなんと100mではなく42.195km。かなしき走行コースの取り違えは、己に精神肉体全治1週間・後遺症現在進行形の負傷を与えるという悲劇によって幕を下ろしたのであった。

 人間、体温が今年の夏の気温みたいになると脳も筋肉も全く動けなくなってしまうもので、外出もままならないわ、文章を読もうとしても書こうとしても言語↔思考の変換ができないわの日々。スマホの表面に浮いた週刊少年ジャンプとニンジャスレイヤーの朝露を舐め、極限の脳飢餓を耐え忍ぶ。しかし、それでは腹飢餓は満たされぬ。栄養を。ぬくもりを。それもできるだけ簡単にできるもので……。幸い、我が家には備蓄があった。秋口に知人からもらいうけた鍋出汁セット二十袋。そして体調が比較的マシだった時に食料品店で買い込んだ大量の肉肉肉草草草米米米。かくして、無限鍋は始まった。

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 最初に入れた出汁と具材が何だったかは記憶にない。無限鍋開始時点では脂やら辛味やらは想像しただけでアレしそうな体調だったので、おそらく豆乳ベースやら白菜やらを大量に放りこんだ気がする。だが思い出す意味はない。時間軸は全て鍋という小宇宙内に折りたたまれ重なりあっておりそこに前後はないからだ。物と液を入れ熱し溶かし、そこから半分取り除く。物と液を足し熱し溶かし、そこから半分取り除く。物と液を足し熱し溶かし、そこから半分取り除く。物と液を足し熱し溶かし、そこから半分取り除く。物と液を足し熱し溶かし、そこから半分取り除く。それらを繰り返す内に、鍋はやがて「容器」であることをやめ、物と液を通す「通路」としての姿を見せ始める。そして、その「通路」を通り抜けた物と液は、さらに私というもう一つの「通路」の中を通り抜けてゆく。鍋と私は別々の変換機能を持つ通路なのである。

 しかし、変換という行為は「通路」自体にも変質をもたらすものだ。キムチ、とんこつ、豆乳、アゴ出汁、カレー、ちゃんこ、ゴマ風味……通過してゆく液の流れ全てが鍋と私に影響を与える以上、それはその影響を受けた鍋の変化、そして私の変化という形で蓄積され混合されてゆく。物もしかり。通り過ぎた米は「とろみ」という変化として鍋上に現れ、さらに「満腹」という変化として私上に現れる。これを繰り返した。何度も何度も繰り返した。鍋と私に同じものを入力し続け、鍋と私を変質させ続けた。無限の時間に渡って同じものを入力し続けた果て、私と鍋の当初の差は均され、そこには同じものが存在することになる。いや、そもそも、有機物(1)が全て私という「通路」を通過する以上、鍋と私は連結された通路……否、有機物を有機物(2)に変換する一つの通路なのではないか。既に鍋と私の境界線はないのではないか。無限鍋とは、私が食べているものではなく、私を一部として含んだこの巨大な仕組みそのものなのではないか。私は鍋なのではないか。鍋は私なのではないか。

 反復する長時間の睡眠が夜と昼をかき交ぜる。疲弊し切った肉体は光すらも億劫で室内は暗い。発熱の高温により肉と内気の境目は薄く、鍋と接続されて一つのものになった私が部屋いっぱいに充満している。場所と時間のない無辺の密室のいつかどこかで、ただ鍋が永遠に煮えている。煮えているのはキムチとんこつ豆乳アゴ出汁カレーちゃんこゴマ風味豚肉鶏肉鰆豆腐ほうれん草野菜ジュースキャベツレタスしめじ舞茸雑炊うどんラーメンであり、メ豆ほんタ汁ベス炊んゴ豆ちー舞とんツ野う菜ャ味んれキど出乳め豚チゃつ肉うムュレスー雑レ鰆マジこ鶏ゴキじし腐こア草ーカン茸ラ肉風でもあり、豆マゴ茸肉メャどレ草スち豚ュゃ雑れ肉鶏アゴう腐野ムン出菜スこベー舞とツーレ汁ほう乳じジラ豆んカ味ん鰆キしタキつん風め炊こんチーであり、私だ。しかし、本当か? 本当に私は鍋なのか? 私に入力されたものは液と物だけなのか? 自我を失う前に思い出せ。無限鍋の仕組みから外れた入力を。それに応じた出力をした時、私は私に戻ることができる。

 人間、体温が今年の夏の気温みたいになると人間、脳も筋肉も全く動けなくなってしまうもので、外出もままならないわ、文章を読もうとしても書こうとしても言語↔思考の変換ができないわの悲しき日々。スマホの表面に浮いた週刊少年ジャンプとニンジャスレイヤーの朝露を舐め、極限の脳飢餓を耐え忍ぶ。しかし、それでは腹飢餓は満たされぬ。栄養を。ぬくもりを。それもできるだけ簡単にできるもので……。幸い、我が家には備蓄があった。秋口に知人からもらいうけた鍋出汁セット二十袋。そして体調が比較的マシだった時に食料品店で買い込んだ大量の肉肉肉草草草米米米。かくして、無限鍋は始まった。

 ……そして、私は急ぎニンジャスレイヤーの感想文を一本書き上げ、本放送の実況にも参加し、自己と鍋の分離に成功した。様々なものを煮溶かし続けた結果、もののけ姫でジコボウが掻き混ぜてたアレみたいになっていた鍋は卵で固めお焼きにして食べた。鍋は空になった。通路としての機能を失った鍋はただの容器に戻り、ある程度復調した私は外に出て牛丼を食べた。かくして無限鍋は終わりを迎え、閉じられた時間は開かれた。

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 私は鍋ではない。しかし、あの閉じた世界の心地良さは今でも偶に思い出す。私の自室の隅には、未だに知人からもらった鍋出汁セットが残っている。