見出し画像

【2019忍殺再読】「デス・フロム・アバブ・UCA」

極大感情重力場、ネザーキョウ

 ニンジャスレイヤーAOM、シーズン3の第三話。敵方であるネザーキョウのセンシ二人が主役を務め、彼らの関係性と、ニンジャスレイヤーの脅威、そしてもたらされるブルタルな死が重点された、どこか第一部テイストなエピソード。主役を務める二人の悪党……マイトイカラスとメタルファルコの魅力は尋常ならざるものがあり、彼らが紡いだネットワーク(関係性)とそこに流れる生々しい情・欲・愛・憎が、ねっとり、と、それはもう濡れそぼるほどの湿度を伴ってねっとりと、本エピでは語られてゆくことになります。二人を狙い撃つボンモーの筆は、ある種の偏執性すら感じられるほどに暗い熱を帯びており、読者もそれにあてられグフフ、たまらんのう……となるわけですが、ぐっと身を寄せ入れ込みつつも、どこか一歩線を引いた、乾いた客観性が感じられるのもなんとも、らしい。キャラクターを、一つの構造物として理解しているからこそ、それを残酷に、あるいは優しく、崩し、組み直すことができるのかもしれません。

 1話では「カラテ」、2話では「インターネット」が重点されたわけですが、今回の第三話にてついに「感情」という三本目の柱が登場し、「ネザーキョウ」という舞台は一端の完成を見せます。私はあまり好きな表現ではないですが、俗に言う「激重感情」「クソデカ感情」って奴ですね。次話が外伝的な横道であることを考えると、ここまでがシーズン3のプロローグ、と読むこともできるでしょう。今後、この三つの柱……中でもこの「感情」という要素は、ネザーキョウのニンジャたちの手で、複数の視点・複数の解釈を持って幾度となく語り直され、濃縮され、結晶化し、「タイクーン」という一つの形を完成させてゆくわけですが……我らが第六天魔王明智光秀の味の濃さたるや、いきなり飲み込むと中毒を起こして吐き戻してしまうそれなので、我々は、マイトイカラスとメタルファルコというおかゆレベルから、ゆっくりとそれに体を慣らす必要があるわけです。……おかゆの濃さがすでに天一のこってりくらいないか?大丈夫か?

他者を跳ね除けるカラテはあるか?

 ファフニール、フィルギア等のベータ版による試遊を終えて、ついにAOMで大型アップロードされるに至った「リアルニンジャ」という新属性。それは、憑依ニンジャだけで構成されていたニンジャ組織をより複雑に、より多層的に、より芳醇に彩る素晴らしいピースとなりました。ウキヨを始めとしたこれらの新規追加は、つまり、『ニンジャスレイヤー』の世界を切り出す新たな視点・価値観の追加であり、この世界における正誤・是非・真偽をより不確かな……混沌(ケオス)に導くものでもあるでしょう。マイトイカラスもまた、その一人です。彼は何者だったのか? 「いけ好かない若輩者」、「経験不足のエリート」……歴戦のセンシであるメタルファルコならばそう答えるでしょう。しかし、それは憑依ニンジャである彼の視点であって、決して真実ではありません。あくまで、一つの視点から切り抜かれた、真実の一側面でしかありません。

お前はジゴクを知らない」。ジゴクを実戦と読み替えてよいのならば、これは確かに真でしょう。リアルニンジャになったばかりの彼は、恐らくそのコクダカ生の多くを修行に費やしたことでしょう。マイトイカラスには、メタルファルコを満たした「彼のカラテを再現する」経験はない。足りていない。……しかし、それは、必ずしもカラテが足りていないことを決して意味しません。なぜならば、メタルファルコもまた、「何百枚のカワラを空中踵落しで割」る経験を積んではいないからです(無論、これは「リアルニンジャになる修行」の比喩表現であり、いっぱしの憑依ニンジャとしての彼は、鍛錬の中でカワラを何百枚も割っていることでしょう)。メタルファルコには、モータルとしてコクダカを受け、センシたりうるリアルニンジャになる修行を積んだ経験はありません。足りていません。経験量を時間で測るのはナンセンスです。皮肉にも、憑依ニンジャがリアルニンジャが殺しうることがそれを証明しています。マイトイカラスからしてみれば、彼こそが真の修行を積んでいない「いけ好かない若輩者」であり「経験不足のエリート」であったかもしれません。ブラドが、カシウスを指して怒ったように。

 勇んだ若輩者をいさめるような一幕は、果たしてどこまでが真実なのか。メタルファルコの視点で語られ、彼が都合よく解釈したであろう「とっくに把握している!」が真でないと誰が言い切ることができるでしょう?  事実、ニンジャスレイヤーとの接敵において、常に冷静さを保ち、プロフェッショナルたる振舞いをとり続けたのはマイトイカラスの方でした。ニンジャスレイヤーという存在の危険度を見極め、ここで討つベしと下した判断は、決してメタルファルコの言うような、カラテもろくに知らぬ未熟者のものではありませんでした。 マイトイカラスが見ていた正しさと、メタルファルコが見ていた正しさ。果たして、いずれが熟練者で、いずれが若輩者だったのか。双方の蓄積量=経験=物語を比較しうる方法は、二者の間で共有できる真を定める方法は、ただ一つ、カラテしかありませんでした。同輩ながらもイクサ場で虎視眈々と互いの命を狙いあう……自らの真を証明し合う、そんな筋書がこの先には広がっているはずでした。残酷な死神の手によって、彼らのドラマが横合いから強制的にまとめられ、打ち切られるまでは。

自己を焼き溶かすカラテはあるか?

 メタルファルコというニンジャの味わい深さについて、私は到底語り尽すだけの語彙を持ちません。私は彼のことが大好きです。こんなクソみてえな奴、絶対お近づきになりたくないし、間違っても上司にしたくはありませんが、しかしフィクションの登場人物としてならば、これほど人間味に溢れたキャラクターもなかなかいないでしょう。「傭兵上がりの古強者」であり、それに見合った重みのある言葉を発しながらも、その内面において、彼の語彙は、あまりにもみみっちく、しょうもなく、まるでチンピラさながらのそれでした。

 この威厳の欠片もない、管のまきっぷり! 彼の素晴らしいところは、ひたすらに外面がいいところです。感情を抑制できず、酔いに任せてムカつく若者にパワハラしたのを、なんかまるで経験の足りない若輩者に一発かまして一人前になる手助けをしたみたいな感じでまとめているのが本当におもしろい。みみっちく、しょうもない内面を、かっこよく見せかけることには長けている。「生意気だが見所のある若者だ」風を装っておきながら、実のところそんな余裕はまるでない。マイトイカラスのことが腹が立って腹が立って仕方がない。子供扱いして上から目線で語っているように見せかけながらも、実は全く上からになれておらず、ゆえにムカつきが抑えられない。しかし、仕事を失敗することはできないし、「忠誠せねば命すら危うい」から、体面をとりつくろえない限りは、殴ることすらもままならない……。

 死闘の果てにマイトイカラスが得た精悍なまなざしを見て、何かしら彼を認める台詞を吐くでなく、「ようやく殊勝になったか?」とか言い出すこの味わい深さ。せめて疑問形はやめろ。「まあいい」とか言って流すな。この一幕、いわゆる「いい目になった」文脈で語られるマイトイカラスのまなざしの由来が、「メタルファルコが自分を助けてくれた」という誤解から来ているのも絶品ですね。マイトイカラスくん、それ全然いい目じゃないからね。誤解だからね。きみを助けはしたけど、別にそのオッサン、きみの命なんてほんとは毛ほども興味ないからね。きみが死ぬことで業務がうまくいかなくなって、自分が上から詰められるのをビビッてるだけだから。……そう、メタルファルコは「厳しくもよき先輩」などではありません。そんな単純な型に当てはまるような、物語の役割でしかないような、そんな存在ではありません。

 しかし、果たして本当にそうでしょうか? メタルファルコは「厳しくもよき先輩」ではないでのでしょうか? (……死ぬなよ、クソが……!)(間に合え……!)という彼の心の声は、自分のキャリアしか頭にない男が保身のために発したものか、それとも土壇場において後輩の命を案じ身を投げ出すために発したものか、いずれでしょうか。イクサ場は無数のカラテの交錯する場であり、言葉はカラテの数だけの解釈の余地を孕み、無数の層をなしてゆきます。二面性という単純化すら馬鹿らしくなるほどに、解釈は真実を無制限に刻み続け、球体へと近づけてゆくことでしょう。マイトイカラスの誤解に、メタルファルコが影響を受けた時、それは誤解ではなくなるのです。カラテを奮うごとに、ネットワークは絡みつき、情報量は増え、真実はより遠ざかってゆく。しかし、そのカラテこそが真実を決定しうる。それは時に残酷なほどに。全く無関係に、横合いから交通事故のように。

 打ち切りです。モーゼス&ボンドが、キャラクターに対して本気で残酷を施した時、何も与えなかった時、どれほどのものになるのかということの実例がここにあります。ヘラルドがこの先迎えた顛末を踏まえた今読むと、よりえげつなさがあがるという、二重の仕掛けまで用意する周到さです。かくして、「生意気なエリート若手と叩き上げの熟練者が、衝突し合いながらも次第に絆を深くする」というような、決してそんな単純な話ではなかったはずの二人のドラマは、そうとしかまとめようのないタイミングで終わりを告げました。否、これを「二人のドラマ」とくくることすらもが、残酷であるといえるでしょう。メタルファルコは決してマイトイカラスと比するためのツールではなく、それは逆も言えるからです。まとめえるはずのないケオスを、トリミングする殺戮。マスラダの、フジキドをも超える無慈悲さ。「大体わかった」と言い放つ死に対して、わかられてたまるかよと絶叫する語り得なかった余白こそが、彼らの真髄であり、輝きだったと私は思います。

未来へ……

 未来の話をするならば、そりゃまあ、ヘラルドくんに触れるしかしょうがないんですけども、彼に関しては以前散々語ったし、今後も嫌ほど語る機会があるので(二本も主役エピソードがあるなんてヘラルドのくせに生意気な)、まあいいかな……って感じなんですが、しかし、下のくだりはやはり見逃すことができませんでした。

 またヘラルドくんが長話してる……という感じで、初読時は流してしまったんですが、再読して気が付きました。これ同エピソード内のトム・ダイスさんの台詞と対応する形になってるんですね。

 「我がカラテは高貴なる歴史の息吹そのもの。ゆえに穢されてはならないものだ」と、「俺自身の、最低限の規範だ。俺自身の心の、納得の問題だ」。発話者が異なるせいで、全く違う印象を受ける二つのセリフですが、よくよく見比べると、ほとんど同じことを言っています。というか、これは、後のエピソードである「エスケープ・フロム・ホンノウジ」を読んで初めてわかるくだりと言えるでしょう。つまりは、いずれもが他者から引き継いだ流れの先端として、自らの定義づけ、そこに価値を置いている。ゆえに、そこに「自分しか見ていないからいいや」を否定する、他者の視点を内包する自我が完成しており、外向きにはソンケイに似た挙動をとることになる。そして、ここで自分を指して「完成形」のように語ってしまう傲慢さこそが、ヘラルドくんのトムとの大きな差異であり、アホさであり、バカさであり、必死さであり、軟弱さであり、最大の魅力ですね。カワイイ。

■2019年6月28日、7月26日
■twitter版、note版で再読