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【2020忍殺再読】「カレイドスコープ・オブ・ケオス」感想

ネットワーク(物理)

 ニンジャスレイヤーAOM、シーズン3、第8話。破魔矢の着弾と共に、世界規模に広がってゆくアケチの禍。否応なくタイクーンの暴虐に曝された各地のニンジャ・モータルたちの運命は交錯し、工業都市ナガシノにて発火する。シーズン3において、最もサイバーパンクに寄った「コトダマ回」とでも言うべきエピソード。言うなれば第1部における「ワン・ミニット・ビフォア・ザ・タヌキ」の立ち位置が近しいのですが……サイバーパンクが駆逐されインターネットが禁じられた地獄・ネザーキョウにおいてそれを実現した結果、様々なところに言い換え・すり替え・詭弁・与太・捻じれ・歪みが現れた、まさしくネザーキョウの欺瞞そのものとも言える異形の光景が目の前に広がることになります。そのトンチキとグロテスクが一体となった有様は、タイトルにある混沌の万華鏡そのものであり、物語の進行と共にリディーマー/タイクーンという2人のニンジャの形に結晶化されてゆきます。

 それにつけても、インターネット都市ナガシノの奇景は凄まじい。シーズン3において、ボンモーの発想力が最もアカン形でスパークした代物であり、考えれば考えるほどに脳がくらくらします。「インターネットの禁じられたネットワーク都市」という1行で矛盾している設定を、「物理的に溶解したPCが街中を走る鉄管を流れている」というものすごいちからわざで成立させている(言うほど成立してるか?)のはちょっと意味がわかりません。忍殺世界はコトダマ空間と物理空間が重なり合う(「電子データであろうと、極めて高密度の情報であれば質量を備えうる」という、衝撃的な設定がさらっと明かされたのにはたまげましたね……)ユニバースなわけですが……もうちょっとこう……重なり合い方にも節度ってもんがあるだろ! 小学生の口喧嘩レベルだぞ。

 ……言い得て妙かもしれません。小学生の口喧嘩というのは、ネザーキョウの大衆・ゲニンの一側面です。本来プロパガンダでも何でもない、ただ事実を語っただけの「弱肉強食」を引き合いに出し、自分たちの邪悪を正当化する方便にするその態度。ツールとして用いられるべき言葉の上尻だけをこねくり回し、意味の部分まで潜り思考することなく、ただ相手よりも上に立ち、気持ちよくなるそれだけの口論、論破、口喧嘩。先生の言葉を、読み取ることなく相手を打ちすえるこん棒として握り振り回す。覚えたての言葉を使いたくて仕方ない。それはまさにクンフーを積むことなく与えられるカラテ……コクダカであり……そして、逆噴射先生が時折語るアホなスマッホの誤変換でもあり……そして悲しいかな、私たちがこれまで幾度となく直面し、時には加担してしまっている悪しきインターネットそのものであるのかもしれません。そして、このシーズン3のそんな趣向は、本エピソードをもって2つの決着を迎えることになります。

下忍の内をくらぶれば

 1つ目の決着は、言うまでもなくリディーマーというニンジャそのものでしょう。彼は非常に噛みごたえのある……「難易度の高い」ニンジャであり、正直、初読の時はその輪郭をつかみかねるものがありました。「文明社会や資本主義に絶望し、ネザーキョウの将となった男。USA崩壊をその目で見て来た男の声には、常に、複雑な悲哀と苛立ちと闘争心が滲んでいる。」というバックボーンから素直に連想できるのは、文明社会・資本主義に限界を感じ、これからの時代はカラテよ!とタイクーンのカラテ第一主義に傾倒するというキャラクターなわけですが……。

 彼の正体はその真逆、タイクーンのカラテ第一主義を嘲笑し、カラテの王国を文明社会・資本主義の手法でのしあがることを目的としたニンジャでした。「文明社会や資本主義に絶望した男は、それを否定するカラテの王国に移り、文明社会や資本主義の手法で将となりました。なぜ?」うみがめのスープかな? 悲哀が複雑すぎる。しかし、一見矛盾するように見える彼の造詣は、これまで積み重ねられてきたゲニン(センシも含む)という種族の特色、そして、エピローグで描かれたジョージの台詞からうっすらと読み取ることができます。

新天地」。不満に対して、現況を投げ捨てて逃避するその姿勢。ネザーキョウに所属する外様のニンジャ・モータルは、カラテによる弱肉強食を理想としながらも、外の世界でカラテだけで己を通し切らず、ジャングルの装飾を加えられだけの精肉店に逃げ込んだ存在であること。シテンノとタイクーンを除き、ネザーキョウを構成する悪党どもの大半は、弱肉強食のフラットさの中で殺し殺されする気高い獣ではなく、自分が喰らえる弱い肉を探し回るだけの薄汚れた痩せたけだものであって、本質的にはカラテの敗者であること。タイクーンが吠える「弱肉強食」はプロパガンダではなく、ただそうであるというだけの真理であって、それを御旗にかかげて理屈に仕立て、惰弱に振り回すのはゲニンに過ぎません。ただ強いだけのタイクーンとシテンノは、その言葉を振り回す必要はなく(タイクーンは管理者/呪術者としての側面も持つため、ゲニンたちがその言葉を悪用できるよう意図して調整をかけていたっぽいですが……)、ただ眼前の障害を殴ればそれで済むのです。

 リディーマーとは、つまり、ゲニンの王なのでしょう。本人が語る通り、彼は「足し算と引き算の世界」に生きるニンジャであり、自らのカラテを高めるのではなく、ただ相対的な大きさ(ビッグ・ニンジャ……)だけを求め、環境を渡り歩く逃亡者です。中学校で相手にされなくて、小学生相手にいばりにやってくる気弱なガキ大将もどきのようなもの。うみがめのスープの答えは、「皆が文明社会・資本主義に精通した世界では、自分程度の能力では上に立つことができず絶望した」「ゆえに、皆がその手法に詳しくないネザーキョウにやってきて、マウントをとっていた」なのだと私は思います。鎖に繋げた奴隷を連れて回っているのも、常に手近に自分よりも数値が下のものをおき、安心を得るためなのでしょう。なんと情けなく、みっともなく、しょうもないニンジャ……。

 ……しかし、私は彼が大好きです。『ニンジャスレイヤー』が生んだ数多のニンジャの中でも、傑作と言ってよい存在だと思います。そのしょうもなさにひたすらに殉じ続ける姿勢には一貫性がありますし、そこから他のシテンノたちにあるようなカラテ戦士としての無垢な潔さではなく、必死で越えれない境界線にしがみつく人間性が、リディーマーのカラテには垣間見えます。本来越えることのできないゲニンとシテンノを隔てる壁を、「ゲニンであること」突き詰めた先で打ち破ることができた唯一のニンジャが彼であり、それはアンチ・ネザーキョウのようでいて、むしろネザーキョウという国家の欺瞞、こんがらがった言葉のゲームを象徴しているかのようです。

 最期の瞬間。勝利に繋がる一手ではなく、弱肉を叩くことを彼は優先します。死の恐怖を遥かに凌駕する、「自分が上である」という安堵への飢餓。足し算と引き算の世界に生き、低きを求めてどこまでもどこまで逃げ続けたニンジャの恐怖が、全てが、この1ツイートにはつまっています。タイクーンの裏側から、惰弱なインターネットそのものとしてネザーキョウ全土を象徴しうるただ1人。リディーマーというニンジャには、それだけの情報量が込められていると私は思います。

本能寺炎上(電子)

 2つ目の決着は、インターネット寓話にあるでしょう。明智光秀を通してインターネット寓話を語ってくるのには正気を疑いますが、ブラド・ツェペシュを通してネチケット講座をやった小説に対してそんなことを言っても今更ですね。親に隠れて深夜にネットをやって怒られる。変なエロサイトでウイルスに感染する。業者の手の入ったクソレビューに騙されてバッタもんを通販で買う。休日の昼に同じマンションの住民がインターネットをしているせいで快適なネットサーフィンができなくなる……しみったれたよもやま話、悲喜こもごものもめごとに対し、「インターネットは惰弱」というタイクーンの言語化は悲しいかな、ある意味を的を射たものでした。彼は実際、どこぞのカルチャーセンターブログ女や吸血youtubeおじさんのようにインターネットにうつつを抜かすことはなく、身1つカラテ1つで他者を打倒し続けるカラテ戦士でした……彼がただ1人であったならば。ゲニンたちが、シテンノのように強ければ。オオカゲが、自由に青空を飛べたならば。

 ノー・カラテ、ノー・ニンジャ。それはただ1人のニンジャの世界だけならば十分に通用しうる真理ではあるでしょう。ですが、その範疇を他者に広げ、国に拡大し、文化とした時……そして、それを思い通りにコントロールしようとした時、その真理は通用しなくなるのでしょう。共感を求めないエゴだけでは、伝播にも操作にも限度がある。トリロジー第1部ならばそれでもよかったのかもしれません。しかし、『ニンジャスレイヤー』の世界は、10年を超える連載を経て、世界の解像度を上げ続けた結果、そんなたった1言のセンテンスで全てを言い表せるような単純なものではなくなってしまったのだと思います。0と1のみの地平が広がる秩序はフジキド・ケンジによって無惨にも打倒され、本格探偵小説のフェアネスなんて約束しようがないほどに、混沌に満ちた時代……エイジ・オブ・マッポーカリプスが訪れた。ニンジャの可能性は、ハッポースリケンのごとくあらゆる四次元方向に切っ先を向け、全ての真実はその延長線の交点上で重なり合う影になった。

 タイクーンは、邪悪で、そして何より真面目なニンジャです。「カラテあるのみ」を実現するために、ジツの限りを尽くした呪術国家を作り上げました。そのおそるべきジツの腕前は、自己矛盾や主張の一貫性のなさすらも飲み込み、既存の土地や生態系すらも塗りつぶしうる、柔軟で強靭な言語能力として発揮されました。しかし、それはコトダマの都市ナガシノを落とされたことでほころび……ついに、再翻訳に亀裂が走ることなりました。

 水晶球と訳されたそれは、最早、スマホ以外のなにものでもなく、

 その炎上は、もう、インターネットの『炎上』でしかありませんでした。

 何度読み返しても、本作でタイクーンが叩きつけられた敗北のロジカルさ、そして、シーズン3全体を通してバラまいた種々の要素が、予想もつかない道筋をたどって1点に収斂してしまうアクロバティックさには声を失います。彼が打った言葉の式が、破壊されることなくそのまま利用されて返される様は、術師として、ハッカーとしての敗北であり、「本能寺炎上」という歴史が、彼が最も嫌う「インターネット」での炎上にすり替えられるのは明智光秀としての敗北です。トンチキでしかなく、おもしろくはあるがひたすら異様であった「インターネット寓話」が、今、ここに必然性を持ちました。カナダの明智光秀というこれまたトンチキな要素と、奇跡のように噛み合い、その敗北を完成させたのです。そして、言葉で負け、歴史で負けたタイクーンに残るのは……カラテあるのみ。トンチキと与太と再翻訳と再定義でツイストにツイストを重ねたこのシーズン3は、最終話を前にして、本来の「カラテの物語」として語られる準備を終えたのです。

 空を飛ぶ2匹の蠅が正面衝突したようなこの異形のシナリオを、一体どうやったら組み上げることができるのか、私には全くわかりません。人間の演算能力でなんでこんなことができるのか。偶然の産物、神がかりの奇跡としか思えない、とんでもない構成です。『ニンジャスレイヤー』という小説は、今が一番おもしろく、原作者とボンドとモーゼスは、どこまでも進化し続けている。それが間違いのない事実だと改めて思い知らされたエピソードでした。

未来へ……

 本感想では触れることができなかったですが、タキが悪戦苦闘するナンシー復活パートも本エピソードの大きな魅力ですね。何がいいって、ネオサイタマとネザーキョウという2大クソ都市のクソクソ合戦ですよ。蛮族極まりないクソカラテ思想でオラオラゴリゴリネザーキョウがネオサイタマを痛めつけたかと思えば、ネオサイタマが「は? 殺戮なんてこちとら日常ですけど? 弱肉強食?それうちの路地裏でも言えんの?」と事態を日常化し、するとその隙をついてネザーキョウが言いくるめ呪術陰湿野郎としての側面を出して裏からゆるゆると文化侵攻を行う。最悪の丁丁発止やめろ。

 これは今のシーズン4にもつながりますが、ネオサイタマ、あらゆる邪悪を飲み込むたくましい都市であり、ゆえにあらゆる邪悪から影響を強く受けてしまう脆弱な都市でもあるんだなあと。初読時、私はゲニンたちはネオサイタマの背景を彩る1種族となって欲しいなあとよく呟いていたので、彼らがローゲニンとしてしっかり社会に入り込み、そのしょうもない精神性と暴力性でネオサイタマを害しているのは嬉しい限りです。浪人のゲニンにして、低質なゲニンで、ローゲニン。いいネーミングですよね。


■twitter版で2021年7月11日に再読、note版で2021年9月18日に再読。