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逆感行(10月8日0時0分-10月10日17時55分)

 2023年の逆噴射小説大賞が10月8日から始まりました。今年は珍しく、他人の投稿作品も読んでいるため、せっかくなので「おもしろいな」と思った作品について、感想行為をしておこうと思います。読んだ範囲は、応募開始時刻10月8日0時00分から、本記事を書き始めた10月10日17時55分までの全投稿作。以降の投稿分を読むか、感想行為するかは現時点では未定です。

 なお、改行が少なく1段落内の文章量が多いもの、体感速度がゆったりとしたもの、そしてコンセプト面の着想よりも文章表現上の鮮烈さが勝るものを好むという傾向が自分にはあるようです。

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時効X年

 短編特殊設定ミステリは、パズル性を強調する露悪さに対して、心持ち多めにキュートさが配分されたバランスのものが好きであり、本作はまさにそんな心地よいブレンドのものでした。

 文章だけ追いかけると、無骨で血なまぐさい刑事ものであるにも関わらず、実際の読書体験は不思議とポップ。全ての中心に置かれた装飾死体のバカバカしさが、無骨さ・血なまぐささを軽やかさに変換せしめており、「推理小説の稚気」ってのはまさにこういうことだよな……という再確認が自分の中で成されます。いや、本作が推理小説かはまだわからないのですが……『エジプト十字架の謎』が好きなので……すみません……。

 また、競技的な視点であるため、感想としてはナンセンスなものになってしまいますが、2体目の遺体の登場に対して、台詞1つを付け足すだけでシチュエーションの説明を成立させているのが非常にテクニカルだと思います。私も参考にいたします。また、本作は台詞の1つ1つが機能的に配置されながらも、全く作り物めいた浮き・剥離を感じさせないのも見事で、そういう意味でもパズルと小説の危い両立を試みる「推理小説的」な作品であるように感じました。

 あと、挿絵がめちゃくちゃ素晴らしい。賞のレギュレーション上は評価外ではありますが、私は選考委員ではないため気にしません。先に述べた本作における露悪とキュートの配分が、画として完璧に起こされている。仮に商業出版された場合でも、この挿絵でいって欲しい。


良い子の灯

 おもしろい。今回の範囲内では(口惜しいですが、私自身の投稿作2つも含めて)、最も優れていると思いました。タイトルもすばらしいです。言葉としての芯の通った説得力があり、かつ漢字とひらがなの選択が見事で、視覚的にも美しい。見習いたいです。

 800字という制限が生むひずみが一切文中になく、読んでいてメキシコもドリトスも全く脳裏にちらつかさせない自然さは、達人のたたずまいと言うほかありません。弧の曲がり具合から円の全体を錯視するように、最後まで書かれた完成品が「ある」と思わせる、筆運びの巧みさと分厚さに惚れ惚れします。手の内に、200Pくらいの新潮文庫の重みを感じる。

 冒頭で示される「自分が川柳にしたためられる」という情景がとにかく鮮烈で、強く印象に残ります。突飛なシチュエーションでないにも関わらず、日常の中にある非日常的な一瞬として、抜群にコントラストが効いている。決して力づくではなく、虚を突くようにやわらかい。読み手の記憶にじわりと染みつき、以降、小説全体のベクトルとカラーを明確に示すBGMとして残り続ける。こういう「挿話を作るセンス」は是非身につけたいものですが、これはちょっと真似できないレベルです。

 また、全編ほぼすべてが、主人公の生活描写でありながら、「主人公の生活を描写している」という作為がまるでなく、その中にさらりと練り込まれた「紙」というモチーフ……「製紙工場」「横紙破り」「書庫」「手紙」「封筒」「ノート」……によって、がさがさとしたリアルな手触りが付与されています。その手触りが、先に示した冒頭の情景と相乗効果を起こし、作品を強固に完成させていると思います。


一夜で簡単天地創造(ただしねずみあれ)

 父親が古いSFファンで、その魅力をよく「仮定から理を積み上げて大気圏を突破する凄味か、髭面のじじいがいけしゃあしゃあと語る法螺話の愉快さ」と語っていました。私はそれを「高度」と「飛距離」と解釈していますが、本作はまさに後者に優れたSFであるように思います。

 ぽんと宙に投げ出されたボールは、風にあおられたり、障害物にぶつかるとすぐに地面に落ちるわけですが、本作は、一見あぶなっかしい弾道を描きながらも、全てのテキストがおそろしく強い一貫性をもっており、しかしそれをまったくおくびにもだしていない。結果、ふらふらひょろひょろ揺れるボールがなぜか地平線の向こうにまで飛んでゆくさまを、ぽかんと口を開けながら見送る破目になり、それが頭蓋骨の裏を小さくひっかかれるような不思議な刺激をもたらします。

 これは、無理に言葉にするならば「痛快」になるのでしょうが、そう単純にラベリングするにはこの刺激は奇妙過ぎます。また、言語化困難な魅力であるにも関わらず、「ムジ」というキャラクター名の響きがこの刺激を完全にとらえたものになっているのも凄く、これもまた本作の強固な一貫性のひとつでしょう。ただ、作者名とnoteのアイコンすら、それとの一貫性がみられるのはちょっと怖さすら感じますが……。

 個人的にはR・A・ラファティを思い出したのですが、父の言葉を借りるならどこまでも「法螺話」……言葉に偏重したラファティの作品に対し、ふわふわの毛とその奥の骨のちんまい硬さを通じて小説をしている本作は、触覚的な刺激に偏重しており、やはり全くの別物です。とはいえ、表紙は間違いなく横山えいじなんじゃないでしょうか。


犬は死なない犬死にの歌

 滑稽味のある理屈っぽさとでもいうべき、堅苦しさとすっとぼけ感の同居が読んでいてとても楽しく、それが実際に書かれる文章としても100%降ろされているのが、読書体験としてたまらなくリッチです。

低く短く、人間も本気で犬の吠え真似をするとこんなにも似るのだなあという迫真の『バウ』であった。」という冒頭から、「センパイの顔色は土気色である。元々深夜帯バイト達の顔色といったら夜型らしい青白い肌ばかりだとは思うが、それにしたって具合悪そうではある。」の終盤まで、とにかくどこを切っても文章がすばらしく、「読む」という行為に対してプリミティブな快感を返してくれます。

 音読した際のリズムの心地よさや、漢字・ひらがな・カタカナ・句読点が組み合って作られる視覚的な効果に至るまで、文章に意が通り切っており、自然体では決して出てこないそんなテキストがずらりと並ぶさまは、繰り返しになりますが、やはり「リッチ」と称するのが適切だと思います。そんな文章表現としての着想……「閃き」と言い換えてもいいかもしれません……はいずれも、反射的・ゲリラ的に生じたものではなく、その背景にそれが出力されるに足る確かな土台を感じさせます。

 あと、センパイがいいですね。好きです。「おれはすべての犬を飼い、飼い犬に愛される者に羨やみと妬ましさを覚えている」の台詞の説明くささ・理屈っぽさたるや思わず笑ってしまうほどで、しかし、決して不自然ではない。このセンパイならば確かにこういう言葉遣いで喋るだろうという、強靭なREAL……実在感のある滑稽味があるためです。滑稽味というワードチョイスに語弊があるならば、カワイイがあると言い換えます。センパイがこの後、どんな理屈をこねるのか、是非読んでみたいです。

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