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【忍殺第1部再読】「ネオヤクザ・フォー・セール」

悪の組織の原風景

 「サプライズド・ドージョー」前のソウカイヤでの一幕を切り取った掌編。非常に短いエピソードということもあり、この作品が忍殺初接触であるヘッズも多いのではないでしょうか。私はまさにそうですね。第一部物理書籍発売開始時、twitter読者であった友人に薦められて第一巻を読んだのが自分の『ニンジャスレイヤー』との出会いです。その時、目次を眺めて最初に選んだのが最も短いこのエピソードでした(この頃の私は、短編集は掲載順を無視して好きなところから読む人間でした)。そういう経緯もあってか、本エピソードは、自分にとって、忍殺の原風景の一つになっています。シナリオ、ドラマ、ストーリーといった、連続性や二次元的な長さを持った読み物語ではなく、「ネオヤクザ・フォー・セール」がそのまま丸ごと一つの風景として自分の中に焼き付いているような、そんな感覚があります。

 「メナス・オブ・ダークニンジャ」や「ゼロ・トレラント・サンスイ」なども、似たような特色と機能を持つエピソードに挙げられるでしょう。サーガの中の一編、読むことで形作られてゆく「ニンジャスレイヤー」という大長編とは別に、その連続性から切り離され、いずれのエピソードを読む際にも常に無意識に参照し続ける、ローカルコトダマ空間の特殊な領域に収められたアーカイブ。私は、これは単に「自分にとって最初に読んだエピソードだから」というバイアスが原因だと思っていたのですが、AOM以降の忍殺の展開から察するに、原作者としては意図的に再現が可能な特色・機能であるようで……なんというか、ちょっと怖くなってしまいます(顕著なのはスレイト・オブ・ニンジャでしょうか。デッドリー・ヴィジョンズも第一話はその方向性だったのですが、第二話以降は1テーマものの通常エピソードに舵を切ったように感じます)。何をどうすればこれが再現できるのか全くわからない。単に「短ければこうなる」というわけでもなさそうですし、方法論がとても気になります。

ヨロシ=サンとオフィス床間の尿の移動経路について

 前置きはここまでにして本題に入るんですけど、ラオモトはオフィスの床を汚したという口実でヨロシ営業マンを殺したわけじゃないですか。でも、下に引用する通り、彼の失禁は「営業スーツの前がほんのり湿る」程度であり、床まで尿が垂れてるわけではないんですね。真実への探求心から物理書籍版にもあたりましたが、「営業スーツの前が微かに湿る」となっており尿量に大きな差異はない。やはり、彼はオフィスの床を汚してなどいない! なんたるラオモトの横暴、こんな暴虐が許されていいのか……!

 しかし待ってください。下の引用の通り、失禁後、ヨロシ営業マンは「床に倒れて」いるのです。物理書籍版でもこれは同じであり、企業名、そして「床に倒れて」→「床に倒れ」という微修正しかありません。

 このとき、ヨロシ営業マンがうつぶせに倒れたならば? 私はリンカーン・ライムシリーズの愛読者であり、ロカールの交換原理にも明るい。俺は詳しいんだ。間違いありません。ヨロシ営業マンはこのとき前に倒れ、股間と床が接触したことにより、営業スーツ越しに尿が床に付着したのです! さすがは聖ラオモト、彼は筋の通らぬ道理でヨロシ営業マンを殺したわけではなかったのです。

未来へ……

 本題が終わったので話を戻しますけど、サーガの連続性から切り離されているとはいえ、それはあくまで自分の脳内だけの話なんですよね。実態としては本作も『ニンジャスレイヤー』の長い歴史の中の一断片であるわけで、読む際の脳を切り替え、生きた物語として読み替えると、そこには様々なものが現れることになります。ニンジャスレイヤーはSF作品であり、一つの仮定が他に影響を与え、変化してゆく様がしっかりとシミュレーションされているため、これが本当に楽しいんですよね。再読が楽しい。本編がある程度進んだ時点で、古いエピソードを読み返せば、常に新しい発見や感想が自分の中から湧き上がってくる。直近の連載もその例からは漏れず、たとえば、先日(2020年11月9日)完結した「キタノ・アンダーグラウンド」を読み終わった我々が、今、「ネオサイタマ・インフレイム」を読み直した場合、その感想は初読の際と大きく異なるはずです。

 「ネオヤクザ・フォー・セール」の場合、特に興味深く感じられたのはヨロシ=サン(原文ママ)まわりの描写です。第一部時点ではソウカイヤの周辺組織程度のイメージでしかなかった彼らですが、ザイバツが軽々に手を出せなかったこと、後にソウカイヤをはるかに越える規模であるアマクダリと同格であったこと、そして明かされたその由来を考えると、この時系列時点であっても、彼らはソウカイヤと同等か、それ以上の強大な組織であったことは間違いないように思います。にもかかわらず、ラオモトに対してへりくだり、営業社員を生贄に差し出すまでしてるあたり(ソウカイヤと密な関係であった以上、ラオモトの性格は当然知れ渡っていたでしょうし、営業社員が無惨に殺されることも含めて「営業」なのだと思います)、これはもうわざと下手に出ているんじゃないかなと。そしてラオモトもこれにはうまく乗せられてしまっている……つまり、この営業行為において、実はヨロシ=サン側が勝っているようにも思えます。

 「ヘータイがニンジャよりも強ければ」とラオモトは言いますが、実際の所、最適に運用した場合、クローンヤクザは平均的なニンジャには優位をとれるでしょうし(サンダンウチ・タクティスの例もあり、実際、ニスイはほぼほぼクローンヤクザによって削り殺されている)、それがわかっていないラオモトとも思えません。少なくとも、本エピソードのように、棒立ちのクローンヤクザにMAP攻撃をぶつけたところで、何の検査にもならないでしょう。つまり、これは試験の名を借りたレクリエーションであり、「弱者が虫けらのように死ぬのを見るのが何より好き」なラオモトの戯れであったと解釈するのがおさまりがいいように思います。

 これは、ラオモトは「試験などするまでもなくヨロシ=サンの新製品ならば問題ないだろう」と考えていたということではないでしょうか?(もちろん、ゲイトキーパーさんなどが別途正式な検査を行っていたとも考えられますが) ラオモトは、ヨロシ=サンを信用していた。しかし、当のヨロシ=サンのスタンスは、ロブスター次元、4643次元などからもうかがい知れるように、秘密を持ちながら勢いのある組織に寄生し、最終的に自分たちが乗っ取ってしまうというものであり……。仮にフジキドがラオモトを殺さなかった場合であっても、ソウカイヤはヨロシ=サンの操り人形と化し、形骸化してしまうのではないか、などと妄想することができます。

 初読時、「悪役が逆らえない相手に暴虐の限りを尽くすシーン」に見えたものが、長いサーガ内にあてはめることで「不気味な組織が陰謀を張り巡らせ悪党を操作するシーン」にひっくり返る。『ニンジャスレイヤー』は再読するごとに新たな解釈を生み、完結したエピソードですらも、新展開を迎え続ける小説なのだと私は思います。


■note版で再読
■2020年11月10日