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NECRO1:みんなで蜂退治(3)

【ネクロ13:あらすじ】
・不死者の暮らす街、臓腐市で、主人公ネクロが無茶苦茶する。

【ネクロ13:登場人物紹介】
ネクロ:死なずのネクロ。自分勝手な乱暴者。
タキビ:サザンカの妹。口は悪いが押しに弱い。
プラクタ:鼬のプラクタ。軽口を叩きがち。
ヒパティ:ぶっとい右腕のヒパティ。気は優しくて力持ち。
カット:無口。
ネアバス:臓腐市役所暗黒管理社会実現部犯罪鏖殺第3課課長。メガネ。
グンジ:ネクロの恋人。ひどく怖がり。
キイロ:ネクロの恋人。いじっぱり。
その他のネクロの女たち:ボタン、サザンカ、ユビキ、など。

(2)より

■■■

 腫羊しゅよう区は臓腐ぞうふ区と挫症ざしょう区の沿岸に浮かぶ人工島であり、元々この街が臓腐市になる前から存在していた2つの島を市役所のアホ共が改造・拡張し、1つの大きな区にまとめたものだ。奴らはその無茶苦茶の理由として「臓腐市の皆さまのより一層の安心と健康のために」という数千年間使いまわしてボロボロになっているお題目を掲げているのだが、その本当の理由が市役所のために働くよりたくさんの労働奴隷を作ることだというのは、どれだけ脳味噌の腐った市民でもわかることだろう。

 未だ成功例が1つもない人造魂の製造、より強力な黄泉帰り先の肉体の開発、自我漂白技術の安定化、由来の異なる複数の魂の融合、そしてここ数百年の流行りである魂子エネルギーの技術転用。腫羊区内に存在する3つの町は、市役所にとっての実験場であり、生産工場であり、奴隷牧場だった。1つは女米木めめぎ生研の本社が構えられた西部の実験特区・視婆しば町、1つは広大なボディ製造ラインが並ぶ東部の生産特区・墓責ぼせき町。そして、残る1つが、今、俺たちが目指している指忌ゆびき町……俺の左腕の女であり、町そのものに取り憑いた黄泉帰り、〈指忌町のユビキ〉だ。

『しかし、何という大きさだろう。ネクロ、お前の恋人はとんでもないな。まだ橋すら渡っていないというのに、ここからでも姿が見える』

「ある程度の深さの地盤ごと、町1つ分の体積がある。立ち上がった状態での身長は確か13kmから15km程度だったか」

『ははは、彼女がその気になれば臓腐市などあっという間に滅ぶだろう。死んでも死んでも終わらないこの街が何をもって滅んだと言えるのかはわからないが、とにかく終末を感じさせるスケールだ』

 市バスの窓から顔を出しながら、プラクタは言った。その前の席ではヒパティがうとうとと船をこぎ、その横ではカットが肉圧に押され窮屈そうに身を縮めている。何が悲しくてこの女米木の3バカを引き連れて、愛しい女との逢瀬に臨まなければならないのか。だが、仕方がない。今の俺にはユビキの元に辿り着く力どころか、あの大きな大きなユビキに届くだけの声を発する手段すらない。

 ……タキビの出したプランはシンプルなもので、ユビキにハイヴを潰してもらうというものだった。

「物量作戦については言うまでもないでしょ。あと、ユビキさんの魂って、指忌町の人口全員分が融合したものなんだよね。だったら魂もとても大きいんじゃないの? キイロさんだって、それだけの大きさの魂にすぐに恐怖は転写できないんじゃない?」

 サザンカとグンジの回答は「できない」だった。ユビキの魂。正確には15,475人。原因となったのは市役所お得意の魂子エネルギー炉の暴走事故だ。完全に同じタイミング、同じ理由で肉体からひきはがされた町1つ分の黄泉帰りの魂は、詳しい理屈はよくわからないが、グンジに言わせれば「自他の境界を喪失して」巨大な1人分の魂として再構成された。だがそんな由来は知ったことではない。ユビキは気が弱く、怯えるあまり俺を試すように裏切った。

『おっと……いやあ、恐ろしい、恐ろしい』

 市バスがひどく揺れ、プラクタがへらへらとほざく。電波塔の一件でユビキが復活して以降、臓腐区と挫症区の沿岸では断続的な地震が起きている。ユビキが身じろぎし、すすり泣いているのだ。彼女はここ数ヶ月、ずっとそうして大人しくしている。俺が殺しにやってくるの待っているのだろう。

 急停車。

 ヒパティが驚いて目を覚まし、きょろきょろと辺りを見回す。カットが怒ったようにその頬をプスプスと爪で刺した。市バスは臓腐区と腫羊区を渡す大型橋梁の前で停車していた。『臓腐市の皆さまのより一層の~』の例のお題目が車内に流れ、腫羊区へと渡る道が現在封鎖されているということが告げられる。だったら最初からバスを出すなアホンダラ。

『この街らしい雑な仕事だ。必死なのはお前だけだと言っただろう、ネクロ。いや、もしかすると、屍兵蜂たちも必死だったと言えるだろうか。これはわからなくなってきた』

「小便ちびってるだけの連中と一緒にするな。あれは機械と変わらない。俺はキイロの魂そのものであるキイロの恐怖を愛するが、それが奴らにもたらしているものは、間違っても愛がもたらす本物とは違う」

『なるほどネクロ。いいことを言うな。俺にはよくわからないが』

 適当言いながらプラクタが両腕を揃え、突きだし、ジェット・ガスを噴射した。プラクタ本人を座席ごと後ろにぶっ飛ばしながらも、ガスは市バスの前面をこそげ飛ばし、大きな出口を作った。そこから真っ先に飛び出したのはヒパティだ。ユビキへと通じる橋を封鎖していた市役所職員共は、突然現れた筋肉の塊に驚く暇もなく上半身を薙ぎ払われた。ヒパティは残された下半身ごとバリケードを蹴り飛ばすと、閉ざされた門扉にとりつき、鉄製のそれをいともたやすくひん曲げた。それを合図に、警報が鳴り響く。

 整然とした駆け足と共に、次々とスーツ姿の職員が群がり、それぞれの所属が名刺となって空中に投射されてゆく。「臓腐市役所 暗黒管理社会実現部 市民斬殺第5課担当」、「臓腐市役所 暗黒管理社会実現部 市民銃殺第2課担当」、「臓腐市役所 暗黒管理社会実現部 指忌町臨時封鎖センター係長」、「臓腐市役所 暗黒管理社会実現部 人口削減課担当」……しょうもねえ雑魚課がわんさかに、係長クラスが数名。相手にもならない。ヒパティの膂力の前ではチリクズと同じだ。

「……!………!!!」

「まあ待て、カット」

 ヒパティに加勢しようとするカットを抑えた。半分砕けた後頭部を修復しながら、バスの後方でプラクタが起き上がる。ヒパティに群がる雑魚課共の動きが一瞬、こわばる。死のコストが起き上がりよりも高い黄泉帰り特有の反射的な躊躇。空中に新しく6枚の名刺が投射される。「臓腐市役所 暗黒管理社会実現部 自爆心中第4課担当」「担当」「担当」「担当」「係長」「係長」。

「プラクタ」

『おう』
 
 今度は自身の体をしっかりと固定し、プラクタがジェット・ガスを放った。頭部と腹部が異常に肥大した自爆心中第4課の6人は、ヒパティごと木の葉のように宙を舞い、橋脚に貼りついた赤い汚れになる。途端、その頭部と腹部に目いっぱい詰め込まれていた爆薬が炸裂する。爆風に吹っ飛ばされたヒパティがこちらまで飛び戻り、バスの横に転がる。市役所職員は全員が黄泉帰りであり、その場で肉体が復活することはない。一度片付けたら、終わりだ。楽でいい。

 ヒパティがこじ開けた門扉をくぐり、橋を渡る。自爆職員により橋脚を損傷した橋は傾いていたが、プツプツという不気味な声と共に、神経・血管を伸ばし、既に修復を始めていた。市役所が作る公共施設は全て職員を原料として作られていて、死に至るレベルの傷を負わない限り決して倒壊することはない。ベースが黄泉帰りであるため、起き上がりほどの回復速度はないが、それでも3時間ばかりでこの橋も元の姿に戻るだろう。

 途上に配置された雑魚課共を蹴散らしながら歩道を進み、ユビキの足下に辿り着く。接岸という名の回復を試みようと、その太すぎる足首に橋の神経が絡みついてはユビキの微かな身じろぎによって引きちぎられている。彼女は、ただ静かに、つまりは、辺りの海面をビリビリと揺らす振動と共にすすり泣いていた。俺がこんなにも近くに来ているというのに気づく様子はない。俺は小さすぎるのだ。声も、身長も。

「プラクタ、出番だ。頼……」

 事前の打ち合わせ通りプラクタを呼び寄せようとしたその時、奴の顔面の皮がスポンと剥け、直後、額から顎にかけ風穴が4つ等間隔に並んだ。すぐに反応したのはカットだった。だが遅かった。爪を伸ばすよりも先に、カットの軽い体躯は吹き飛び、手摺を越えて海へと落下してゆく。何が起きたか理解するよりも前に、鉄臭い匂いが鼻をつく。辺りに撒き散らされた血のミストを見て、カットが噴出された血により吹き飛ばされたとようやく認識できる。

 針金のように細く、真っ黒なシルエット。ヒパティが20人分の筋繊維を束ね、その影めがけて振り上げるも、その「ぶっとい右腕」が振り下ろされる前にチーズのように縦に裂ける。ナイフを取り出そうとした俺の右手首も、懐に差し込むより先に握り抑えられ、千切られて道に転がる。刃物ではなくねじ切ったような粗い断面。視界に映った残像は、俺とヒパティの間合いから飛び離れ、プラクタを穿ち、カットを飛ばし、ヒパティを裂き、俺を千切った血まみれの両掌をだらりと垂らした。

 喪服のようなスーツに、そこに紅を挿すネクタイ。掌の重みに引かれるようにアンバランスに傾いた姿勢。眼鏡越しの三白眼は鋭く、無間労働の勲章である刺青のような隈がその下を縁取っている。整えられた髪型の上にその所属が名刺となって投射される。「臓腐市役所 暗黒管理社会実現部 犯罪鏖殺第3課課長 ネアバス」。名入りの名刺を持つ権利は、課長職以上の特権だという。そして課長の称号は、その課に属する全職員の肉体を融合させた特注品を勝ち取ったただ1人であることを意味する。

「ネクロさん、撫ツ崎なつざき大橋は現在通行禁止だと書いてあったはずですが」

「『市民のより一層の安全と健康のために』か?」

「違います。『臓腐市の皆さまのより一層の安心と健康のために』です」

「ほぼ変わらねえじゃねえか。録音されたト書きを繰り返すだけの脳カラ野郎が。愛を理解しないてめぇらに言っても無駄だと思うがな、いいか、俺は今、キイロとユビキを迎え入れるために動いてるんだ。それはてめぇら市役所にとっても望むところだろうがよ」

「長年犯罪者たちを繋ぎとめてきたネクロさんには、我々も深く感謝をしています。しかし、あなたは先日、その拘束能力が完全でないことを証明してしまいました。それならば、彼女たちを殺し、捕まえるのは我々の役割です。臓腐市の皆さまのより一層の安心と健康のためにも」

 これ以上の議論が無駄であることは、眼鏡越しの眼光が告げていた。臨戦態勢に入るべく、俺は腰を微かに落とす。メガネ野郎は両手の指を組み合わせると、その甲をこちらに向け、左手から中3本の指をずるりと引き抜いた。途端、腹の辺りが生温かく湿った。血液の高圧噴射か、研がれた指骨によるものか。ボタンの筋力全てを眼筋に集約させ、脳の処理をブーストしてもなお目で追うことができない速度だった。俺は腹の皮膚を、肉を、臓腑を、背骨を、断たれながら後ろ向きに折れ、倒れた。その先には、顔面に穴を開けて死んでいる、いや、鼬のように死んだふりをしているプラクタがいた。

「プラクタ」

『おう』

 プラクタは断たれた俺の切断面に右腕を突っ込み、それを更に気道に差し込んだ。俺はボタンを含む全身の肉を、絞り、固め、気道と声帯に圧縮してゆく。あの電波塔のろくでもない記憶がぶり返す。膨張感が上半身を襲う。メガネ野郎は俺の意図を察したらしく、両耳を塞いだ。いい勘してやがる。だが、俺の目的はお前じゃない。ガスの圧が、気道をみちみちと音を立てて裂き、そしてその力で殴りつけるように声帯を震わせる。

ユビキィーッ!

 辺りを揺るがす轟音がピタリとやみ、町が1つ、こちらを振り向いた。いつ見ても記憶よりも幼い顔立ち。ユビキは数ヶ月続いたすすり泣きを初めて止め、俺めがけて助けを求めるようにその右腕を振り下ろした。当然、市役所のメガネ野郎も巻き込んで。


(4)最終セクションに続く